目の前の主治医を信頼する
今日は図書館へ行ってきた。といっても本を読む気がない。午前中は外に出ないといけない、という強迫観念の元、図書館へ行ってきたのだ。図書館で腰を据えてじっくり本を読む気にならない。昔はこれができたが、今ではできなくなった。というわけで、自ずと精神疾患の本が並んでいる本棚に吸い寄せられて、双極性障害の本を読んできた。
分かりやすい教科書的なTHE双極性障害の本だ。これをパラパラと読んだ。まあ双極性障害とはこういった病気で、こういった薬を使って、ストレスのない生活をおくりましょう、と書かれているような本だ。
この教科書的なTHE双極性障害の本の良い所は極端なことが書かれていないことだ。例えば、学校の教科書を読んで、極端な思想に走ることはないだろう。それと同じようなものだ。まあ無難なことが書かれている。エビデンスに沿ったことが、非常に分かりやすく書かれている。ただ、面白いのは、「これをやったら治る」と書いていないところだ。こういうところが良い。ただ、薬の服用をするということと、規則正しい生活やストレスを溜めない考え方が重点視されている。
僕は以前、精神疾患をもつ人を支援している知人に相談したことがあったのだが、「病気の本は読まない方がいい」と言われたことがある。なぜかというと、症状を当てはめるからだそうだ。当事者の周りの人が読む分には良いが、当事者は読まない方がいいらしい。まあこれはあくまで、その知人の考えなのだが。とはいっても、「双極性障害」なんて言われたら気になりますわな。調べますわな。
まあこの知人が言っているのも一理ある。というのも、確かにこういった本を読むと、症状を当てはめてしまう。これが良くないのだろう。「あれ?これは軽躁状態なんじゃないか?混合状態なんじゃないか?」とか妙に心配しだしてくる。とはいえ、双極性障害というのは、その病識を自覚することが大切な面もあると思うので、知人の言っていることが全て正しい訳でもないと思う。
もう調べるなら、分かりやすい教科書的なTHE双極性障害の本一冊で充分だと思う。ネットで調べると、余計な情報が入ってくる。だから、どこかの偉い先生が書かれたこういった本一冊で充分だ。
坂口恭平の『躁鬱大学』や『神田橋語録』も良いが、これだけ読んでいると、結構考えが偏る気もする。僕は双極性障害に関する文章では、この2つが面白いと思っているが、あまり傾倒するのはマズいと思う。あくまで参考程度だ。
とはいえ、「病気」の本ばかり読んでいても参ってくる。『躁鬱大学』や『神田橋語録』は「気質」として捉えている。要は、「病気」として捉えられているか「気質」として捉えられているかだ。脳がどうこうで、薬がどうこうと言われるよりも、『躁鬱大学』や『神田橋語録』の方が、彼らの経験の元書かれていて、人文的で面白い。
色々、鬱や双極性障害に関する本を読んできたが、まあ分かりやすい教科書的なTHE双極性障害の本を一冊読んで、後は目の前の主治医を信頼するのが一番の近道だと思う。僕はかなり迂回してこれらのことに気づいた。
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