行きつく先は東洋思想なのかもしれない

松浦秀俊 (著), 高江洲義和 (監修)『ちょっとのコツでうまくいく! 躁うつの波と付き合いながら働く方法』を読みたいと思っている。多分、仕事が続かない双極性障害の人に、仕事を続けるコツが書かれた本だと思っている。ただ僕は、収入がなく貯金が減っていくばかりなので、ポチポチと本を買うわけにはいかない。調べたらもう図書館に入荷していた。ただ、誰かが借りていた。

僕は子供の頃から物事が続いた試しがない。ビックリするほど続かない。唯一続いているのが、読書とタバコとコーヒーくらいだ。いや、これは続くとかそういう問題ではないのだが。

松浦秀俊さんはYOUTUBEで双極性障害の情報を発信されている。また、双極性障害の人にインタビューをされたりしている。僕の中では正統派だ。実際に加藤忠史さんとも交流があるようだ。

不思議に思ったのは、彼らはあまり、神田橋條治さんに触れられていないことだ。いや、僕は松浦さんの動画を全て見たわけではないし、加藤さんの本を全て読んだわけではないので分からない。ただ、多分あまり触れられていない。また、坂口恭平さんにも触れられていない。坂口恭平さんも触れていない。考え方が違うので多分興味がないのだろう。

僕は双極性障害に流派があるとしたら、加藤派と神田橋派があると思っている。もちろんこれは僕が勝手に思っていることだ。加藤派は正統派だ。松浦さんも正統派だ。彼らはエビデンス重視で、きちんと薬を服用したり、割と一般的な社会復帰の方法を提示されている。

一方、神田橋派は結構異端だと思っている。坂口恭平さんは神田橋派だと思っている。彼らの考えは人文的というか、東洋的な考えにあると思う。要は「気分屋的生き方をすると気分が安定する」と言っているし、薬もやめられると言っている。

加藤派は西洋医学的で、かつ、一般的な社会復帰の方法を提示される。一方、神田橋派は東洋思想的で、「気分屋的生き方をすると気分が安定する」と言っている。加藤派はどちらかというと双極性障害を「病気」と捉えているのに対し、神田橋派は「気質」と捉えている。

僕は正直言って、加藤派には面白味がかけると思っている。面白さでいうと神田橋派の方が面白い。ただ、基本的には加藤派で行ったほうがいいと思う。神田橋派は何と言うか、「達人の域」というか「偉大」というか「カリスマ」的なところを感じる。神田橋派の代表は坂口恭平さんだと思っているが、正直彼のようにはなれない。坂口恭平さんは何と言うか真似できないところがある。確かに面白いし、読んでいて気が楽になるのだが、何かこれだけではいけない気がする。ある種の距離感が必要なように感じる。

松浦秀俊さんは「普通」の双極性障害の人にインタビューをされている。僕等(等といって失礼かもしれないが)が参考にすべきは、こういった「普通」の双極性障害の人なのかもしれない。「偉大」な双極性障害に憧れるが、「偉大」な人は一握りなのだ。

とはいえ、神田橋條治さんや坂口恭平さんの考えは面白い。僕は神田橋條治さんの本を一冊も読んでいないので、語って良いのかわからない。せいぜい『神田橋語録』やネットに落ちている講演録を読んだくらいだ。

というか、日本人が行きつく先は、必然的に東洋思想的になるのかもしれない。

坂口恭平さんの『その日暮らし』で養老孟司さんとのエピソードが書かれていた。

 すると養老さんは「道元が『正法眼蔵』で言っていることに近い。そりゃ解脱したんだよ」と微笑みながら言った。「私は古典が好きだからよく読むが、時々どう考えても意味が通らない文章と出会う。坂口の話を聞いていると、その意味が突然わかることがある」と静かに口にした。

坂口恭平『その日暮らし』

多分、坂口恭平さんは東洋思想的なものを意識はしていないと思う。「自ずと」そういう考えになったのだと思っている。神田橋條治さんも多分東洋医学的な発想がある。

結局のところ、我々日本人が行きつく先は東洋思想なのかもしれない。

ただ、僕は東洋思想や東洋医学的な発想は好きなのだが、漢方薬や鍼灸が効いた試しがないので、東洋医学はちょっとなあ・・・というところがある。

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