患者に求められることはそう変わらないだろう
僕は以前通っていた病院で双極性障害と診断されていたので、「ああ俺は双極性障害なんだ」と思っていた。ただ、どうやら双極性障害ではないという可能性が今日分かった。どうやら「今は」身体表現性障害らしい。そのことはさっき書いた。
双極性障害なんて診断されたら気になるので、これまでしこたま双極性障害に関する本を読んできた。坂口恭平さんの『躁鬱大学』、『神田橋語録』も読んできた。それで「そうそう!そうなんだよ!ギャハハ」という具合に書かれていることを自分に当てはめていたが、どうやら今の主治医的には双極性障害ではないらしい。なんだったんだこれは。いやあバーナム効果というのは恐ろしいですな。
それで、改めて精神科の難しさについて気づかされた。要は医者によって診断が異なるという可能性が生じるわけだ。現に僕はこれまで、不安障害、ADHD、双極性障害、そして身体表現性障害と診断されてきた。まあ今日、僕の主治医も「精神科ってのは難しいんですよ。状態が変わりますからね」と言っていた。
だから「俺はこう診断されて、この精神疾患なんだ」と思っていても、他の病院に行ったら診断が変わったりすることもあるというわけだ。だから、精神疾患にこだわる必要はないと思う。アイデンティティみたいになる必要はないと思う。まあ何にせよ、患者に求められることはそう変わらない。薬を服用したり、考え方を変えたり、規則正しい生活をおくる、というのは全精神疾患に共通していることだと思う。
そして、精神疾患関連の本を読んで精神科に行くと、間違いなくその精神疾患っぽい訴えをする。「自分はこの病気に違いない」と間違いなく思う。例えば、発達障害の本を読んでから精神科に行くと、間違いなく発達障害っぽい発言をするだろう。双極性障害にしてもそうだろう。間違いなくこういったバイアスがかかる。
だから精神科医がこの辺をどう見極めて診断しているのか気になるところだ。例えば典型的なうつ病や双極性障害、統合失調症、不安障害なんてのは分かりやすいだろう。ただ、実際のところ典型的な人は案外少なく、多くの人はグレーな人が多いように思う。色々調べていると、双極性障害とADHD、パーソナリティ障害なんてのは素人からみると結構似ているように思う。また、うつ病や双極性障害にしても不安は出るだろうし、幻覚や幻聴の類が生じることもあるらしい。だから正直言って、素人には手に負えない。だからあまり精神疾患の本は読まない方がいいと思う。なぜなら間違いなく影響されるからだ。
例えば、精神疾患に関する知識がなかったら、素の訴えがでると思う。本当に今困っていることを言うと思う。ただ、精神疾患の本を読むと、それっぽいことを言う。「気分の波が凄いんです」とか「昔から人の話が聞けませんでした」とか訴えると思う。何なら日常会話で使わない専門用語が出たりする。「躁状態」が何とかとか、「多動性」が何とかとかでたりする。心理学になると「転移」が何とかとか「抑圧」が何とかとかもでると思う。まあだからこの辺が難しいと思う。
まあこれは僕の経験談なのだ。僕がADHDと診断されたときに、ちょうどADHD関連の本が出始めた頃だった。それで多分ADHDの本を読んだのだろう。それで精神科に行ってそれっぽいことを言ったのだろう。
双極性障害と診断されたときは、もしかしたら坂口恭平さんの『躁鬱大学』を読んでいたのかもしれない。正直これは双極性障害と診断されたのが先だったのか、『躁鬱大学』が先だったのか覚えていない。ただ、「気分の波が凄いんです」と言った記憶があるので、もしかすると『躁鬱大学』が先だったかもしれない。正直言って、『躁鬱大学』を読むと「自分は躁鬱病なのではないか」と思ってくるふしがある。ただ、冷静になって読むと、結構普遍的なことが書かれている。要は我慢していると気分の波が大きくなるので好き勝手生きよう、といった主旨の本なのだが、まあ躁鬱病に関わらず誰にでも当てはまるだろう。
ただ、『躁鬱大学』は双極性障害に興味をもって読んだというよりかは、坂口恭平さんに興味を持って読んだ、といった感覚だった。まさか双極性障害と診断されるとは思わなかったので、いわゆる教科書的な双極性障害の本は読んでこなかった。
不安障害と診断されたときは、素の訴えが出ていたように思う。要は本当に困っていることを訴えていたのだ。「授業中や電車に乗ると吐き気がします」とか「頭痛や胸痛がします」とか言ったように思う。まあ今回は身体表現性障害と言われたが、不安障害みたいなものなのだろう。
結局何が言いたいかというと、精神疾患の診断は医者によって変わったりするのだ。また、精神疾患に関する本を読むと、間違いなく影響されるということだ。そして、いかなる精神疾患であれ、患者に求められることはそう変わらないというわけだ。だからアイデンティティみたいになる必要はないと思っている。
そして、病気の診断に関しては、今目の前にいる主治医の診断を信用したほうがいいように思う。自分が思っている診断を求めて病院を変えるのは何か本末転倒のように思う。
結局僕は双極性障害だと思い込んでいたわけだけど(だって前の医者がそう診断したんだから仕方ないじゃないか)、今日改めて診断を聞いたら身体表現性障害と言われたわけだ。ただ、双極性障害から身体表現性障害に変わっても結局僕にできることは何も変わらないじゃないか。
これまで双極性障害という前提で記事を書いてきたので、恥ずかしくてしかたなくなってしまったじゃないか。