とあるJKの日常譚 # 17 受験期の私の支え① 両親
もう、10月。
私の学校では、まもなく学校説明会が行われます。そこで、放送部員の私はアナウンスを任されました。
中学3年生の皆さんはきっと、一生懸命頑張っている時期だろうなと思いを巡らせているところです。
一年前の私の事を書いてみようと思います。
高校受験を通して気づいた大切な事を振り返ります。
私の高校受験が始まったのは、中学1年生の冬頃。合格判定テストを受けたのが最初でした。
今通っている高校・学科は、当時の私の第一志望で合格可能性の判定は、D判定。偏差値は55で、第一志望高校・学科の偏差値は71。
当時の私は、理想と現実のギャップに愕然としました。
それから両親は、私を塾に通わせてくれました。
月に一回のテストの結果が返ってくる度、一喜一憂しました。
点数の偏差値も決して右肩上がりではなく、むしろ下がっていると言っても過言ではありませんでした。
そんなとき、両親は私にこう声をかけました。
『お前はやれば出来る、頑張れるやつだから、絶対に受かる。目の前のテストで一喜一憂するな。今できなくても、入試本番でできればいいんだから。』
その言葉が、いつも私の背中を押しました。
点数・偏差値が上がったときは一緒に喜び、下がってしまった時は、叱るのではなく、一緒に傾向を探ってくれました。
そして、合格発表の日。
第一志望の学科に私の受験番号があったのを見つけたとき、一緒に泣いて喜んでくれました。
今、当時、思い描いていた高校生活とはほど遠い日常を送っています。
簡単に言うと、高校に入った途端に受験生みたいな。
今の私は学年244人中111位。
最初のテストでは159位で、6月頃に、一度心が折れてしまいました。
そんなとき。
またあの時と同じように声をかけてくれました。
『お前はやれば出来る、頑張れるやつだから、絶対に受かる。目の前のテストで一喜一憂するな。今できなくても、入試本番でできればいいんだから。』
その言葉のおかげで、今もまだこの高校にいることが出来ています。
目標は、中学生のときとは比べものにならないくらい高く、何枚もの壁を隔てた先にあります。
道のりは辛く苦しいと思います。
だけど、こんな風に声をかけてくれる両親が居るから、私はきっと大丈夫です。
あの時折れた心は、今はもう二倍、三倍もの強さになっています。
絶対に諦めないと改めて決意した、蜜焚りなでした。
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