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映画『ファーストキス』、惹き込まれるがあまり、カラッカラの目で見終えた話

号泣必至と話題の『ファーストキス』。
目をカラカラに乾いた状態で見終えてしまいました笑

なぜかというと、映画に込められた観客への「祈り」があまりにも重く、自分ごととして考えさせられたからです。
その重みを感じていたら、泣く暇なくいつの間にか映画が終わっていました……

いわゆるお涙頂戴的な映画とはひと味違う作品だったように思います。

ここからは、私が感じ取った「祈り」やこの映画を見て思ったあれこれを、盛大なネタバレと共に、書いていきます!


いきなりエンディングからで恐縮ですが、

最終的に駆は2024年の死を知りながらも、カンナと結婚しました。
つまり駆は、2009年のカンナと出会った時から15年間、死を迎えるその日まで、自分の死と別れを意識しながら結婚生活を営んでいたことになります。

最後に描かれた、冒頭とは様変わりした二人の生活。
勝手に借りた靴下、連携の取れた朝食の準備、向かい合って食べる朝ごはん、アイス片手に帰る帰り道、当たり前に続くと思っているボードゲーム。
どれもがキラキラと輝いていました。

(夜ご飯を一緒に食べる関係よりも、朝ごはんを一緒に食べれる人に出会いたい、だなんて『NANA』を思い出したりしました)

でも幸福な二人の生活は、駆が結局「カンナとの離婚・死別という未来を知る」ことでしか、得られなかったものなんです。
それって、とてつもなく寂しいことだし、虚しい。いつか失うものだから大事にするっていうのは、すごく残酷なことじゃないですか。
人は終わりを見せつけられたら、そりゃ人だってものだってなんだって大切にすると思います。

でも、駆のような虚しい側面を私も持っていると気づきました。
目の前のことに慣れきって愛せない・愛を伝えられない、当たり前に感じて人をおろそかにする、雑に扱う、そんなことは日常茶飯事です。
こうした目を逸らしたい部分をこの映画で突きつけられたのです。


私は、終わりなんか気にせず知らないままで、
いつか尽きる・終わりがあるもの、なんて考えずに、
ただひたすら目の前の誰かをめいいっぱい愛することに憧れます。

今までも、あらゆる作品で「当たり前は当たり前じゃないんだから、目の前のことに感謝して大切にして」というメッセージは目にしてきました。

でも同時に、それはどこかフィクションの中でしか成立し得ない絵空事のようにも思っていました。

『ファーストキス』は、タイムリープというフィクションの魔法を使う一方で、二人の日常を細やかな描写によって生活に落とし込むことで、
私が憧れたひたむきな愛情のかたちが、絵空事で終わらないよう、現実の私たちに、託しているやうに感じました。

あまりにも使い古され、擦り切れた「当たり前を当たり前と思うな」という直球なメッセージに、輪郭を与えるような映画でした。
私は、この作品の祈りとも言えるメッセージの重さに、ただただ呆然とし、涙すら流せませんでした。

私にとって『ファーストキス』は美しい物語であると同時に、
終わりを知ることでしか、幸福な生活を築けなかった2人の、虚しい物語でもあると思います。

そして『ファーストキス』を見てしまった私は、この祈りを受け止めながら生活を送らなければ。
そう思わせられる作品でした。




最後に!
これはどうしても言いたいんですが、
とにかく『ファーストキス』は、松村北斗さんと松たか子さんの魅了が溢れる作品でした!!
不器用なかわいさを纏う松村さんと、
クサイ言葉を日常でぽんっと投げて、溶け込ませる松たか子さん。
とっても素敵なお二人でした。
お二人だからこそ、こんなにもずっしりと人の心に残る作品になったのだろうな、と思います。

正直見るまでは、よくあるお涙ちょうだい映画だろうな、なんて捻くれた気持ちだったのですが、ファンタジーで終わらせない、ただ観客を感動させて終わらない力が『ファーストキス』にはありました。

劇場の大きなスクリーンで、2人が魅せてくれる世界を見つめることをおすすめします。


ここまでお読みいただいた方、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。

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