先生
高校の時の教師で、私の一番印象に残っているのはおそらく、世界史の先生だと思う。
私の通っていたのは、地方の進学校だったけれど、
彼は、「世界史は北日本では1位」を目標に掲げ、日々私たち生徒に指導をしていた。
北日本では、というのは、東日本では、にすると、現実的にその目標は叶わないということを自覚しているから、という、そんなところまで正直に私たち生徒に話してくれる先生だった。
その先生は、見るからに「変わった」先生だった。
一見、カタギの世界の人ではないかにも見えた。
硬い髪の毛は短く刈り上げ(当時既に40代後半〜くらいだったかと思う)、薄い色のついたサングラスをかけ、いつも正面を見据えている感じで滅多に笑わない。
いつも、何かを考えていたのかもしれない。
時々、「それは、私が言ったのか?」などと生徒に聞くこともあった。
先生の人気は、絶大だった。
先生は、「変人」といっていい部類の人だったかもしれない。
普通に結婚もして、お子さんもいらっしゃったけれど、
先生の人生のエピソードや、その人となりが当時高校生の私にも、面白かった。
初めての授業の時に、先生は私たち生徒にちゃんと自己紹介をしてくれた。
その自己紹介が強烈だった。
先生は、東京の有名な私大の確か政経学部を出ている。
学生時代はマージャンにハマり、バイトに明け暮れて、2年留年した。
そして、嘘か本当か(本当だと思う)、自分の薬指(だったと思う)を私たち生徒に見せて、「これは、印刷工場でのバイト中に誤って切り落としてしまった」と言った。
ほんの数ミリだったと思うけれど、その切断してしまったという先生の指の表面には肉が盛り上がり、言われてみれば少し不恰好だった。
その先生の、授業が凄かった。
私たちは、先生の「熱意」と絶大な「自信」にほとんど一人残らず、巻き込まれていったと思う。
自分の中に「情熱」がある人に、人は引き込まれるのだと思う。
数字で実績を示し、方法を余すところなく私たちに伝える。
そして、自信たっぷりに、私のやり方でやれば必ず良い点が取れる、と言った。
この話の前提として、受験勉強に意味があるかとか、大学進学ばかりが道ではない、といったもっともな疑問については、ここでは問わないこととする。
当時は今よりなおのこと、学歴信仰の強い時代だった。
文武両道を是とし、そしてわけの分からない、バンカラの校風が残る学校でもあった。
センター試験での私の世界史の成績は、大して褒められるほどのものでもなかったと思う。
でも、あの先生のことは今でも心に残っている。
おそらくもう、70代半ば〜にはなられていると思う。あの土地で、震災にも遭われたかもしれない。
「先生」って、生徒が選ぶものなのではないか。
「先生」と呼びたくなる人が、「先生」なのだと思う。