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読書レベルの変遷を振り返る

最近、自分の読書レベルが向上したことを感じている。
良い機会なので、自分の読書レベルの変遷を振り返りたい。


※誰にでも伝わりやすいと感じたので「レベル」という単語を使っているが、読書レベルが高いほど良い読み方をしているという意味ではない。あくまで、「本の読み方が変わり、その変化が今の自分にとって良い変化である」というような意味合いで捉えていただきたい。

※今回の記事では「漫画」は対象外とする


読書レベル1: 小学生~中学生

学校の「朝読」時間で小説を読み始めた。朝読時間は学年によって10~15分くらい。両親の本棚には重松清さんの本がたくさんあったので、自然と重松清さんの本ばかり読んでいた。「流星ワゴン」「疾走」「希望ヶ丘の人びと」などが強く印象に残っている。中学1年生のとき、思い切って村上春樹さんの赤と緑の本を読んだところ、溢れんばかりのエロティズムに頭がクラクラしたことも覚えている。今読み返すとそれほど「溢れている」とは感じないので、中学1年生という若さゆえの反応だったんだろう。

朝読時間は大好きだった。当時は、朝の納豆ご飯と朝読時間が楽しみで眠れない夜が何度もあった。それなのに、朝読時間以外で本を読もうとしなかったのが不思議だ。家では漫画ばかり読んでいた。


読書レベル2: 大学生

高校生のときは野球部と勉強でまったくと言っていいほど本を読まなかった。その反動なのか知らないけど、大学生になるとあらゆる本を手にするようになった。大学生でも野球部に入り、一人暮らしで家事もあったので、時間の余裕という観点からいうと、高校生とあまり変わらなかったと思うのだが、どうしてあれほど本を読もうと思ったのだろうか。よくわからない。「大学生なんだから本くらい読まなきゃ」という思いもあった気がする。

小説を含め、植物や食べ物、歴史や宇宙、あらゆるジャンルの本を読んだ。読み方としては、一度手に取った本は一気に読るというやり方で、複数の本を並行で読むことはしなかった。というか、並行で読むと内容がこんがらがってしまうのではと恐れいていた。1日の中で決まった読書時間は設定せず、気になる本を買った際にだけ本を読む時間をつくった。

14歳からの宇宙論」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「ヤバい経済学」などが印象に残っている。


読書レベル3: 留学~社会人最近まで

いわゆる「ビジネス本」や「自己啓発本」を読み漁った。小説はほとんど読んだ記憶がない。読み方のスタイルは大学生時代と変わらず、読みたい本を買って一気に読んだ。本のあちこちに線を引き、自分の感想を書き込み、デジタルにも記録し始めた。

7つの習慣」「嫌われる勇気」「自省録 」には今でも強い影響を受けている。


読書レベル4: 現在

最近、本をおすすめしていただくことが増えたこともあり、読みたい本リストが溜まっていく一方だった。また、リストの中には、2,3日では到底読破できそうもない本も多くあった。そこで、読書のやり方を大幅に変えた。変わった点は大きく3つある。

まず、複数の本を並行して読むようになった。現時点だと4冊の本を並行して読んでいる。やってみると内容がごちゃ混ぜになるなんてことはなかった。集中力が切れた際に読む本を変えることで、新鮮な気持ちになり再集中することが容易になった気がする。

2つ目は、海外文学に対する苦手意識がなくなったことだ。なんとなく遠ざけていた海外文学を人からのすすめで読み始め、問題なく楽しむことができている。読書の世界がさらに広がった気がして嬉しくなった。

そして最後の変更点は、「読書」に対して自分が勝手に設けていたリミッターを解除したことだ。つまり、現在では余暇時間のほとんどを読書に注ぎこんでいる。大学生以来、自分の余暇時間を「バランス良く」あらゆる趣味に使うことが正義だと考えていた。そうすることで偏った人になることを避けている自分がいた。今もこの考えを否定しているわけではない。しかし、偏った人になるかもしれない恐怖に比べて、本を読みたい欲望が圧倒的に上回っていることに気づいた。

最近読んだ本の中では「緑の天幕」「USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか」「ロング・グッドバイ(村上春樹 訳)」が好きだった。


いつでも本を読める時代に生きていることに感謝したい。


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