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400字エッセイ

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2022年3月の記事一覧

なりたい自分に近づくために

正直でいる。常に感謝の気持ちを持つ。理解されようとする前に相手を理解する。 自分が大事にしていきたいと日々思っていることは、どんどん周りに発信していきたい。家族や友人含め、同僚や仲間に自分の核となる考えを伝えていきたい。 今の自分がそれらをすべて達成しているかどうかは関係ない。むしろ今の自分が達成できていないからこそ、こういう人物像を目指しているんだということを伝えることで、周囲の人が良い意味で自分を監視してくれる。矛盾した言動をした際、気の置けない仲間は注意してくれる。

勝手に期待して勝手に失望してるんだ

人はいつでも変われるし、何者にでもなれると信じてる。価値観や考え方だって、人との会話や一冊の本、一つの文章と出会うことで大きく変わることはよくある。 それなのに、他者に対しては矛盾する考えを無意識に抱いている気がする。「あの人はいつも笑顔あふれて優しいし、自分と価値観も合っているから話していて楽しい(そして、これはずっと続く)。」と勝手に思ってしまっている気がする。 そう思っているからこそ、その人が自分の想定と違う言動をしたときに「あんなことをする人じゃなかった」とか「あ

それでも感じる言語の壁と対応策

「世界の共通言語は笑顔である」は大好きな考え方だ。相手の笑顔を見るだけで安心するし、そんな安心感を相手に与えたいと思っている。それでもやっぱり言語に勝る他者とのコミュニケーションツールはないと思う。 英語を毎日話すなかで言語の壁を感じるときは、毎日の挨拶や業務関連などのある程度決まった型を使うときではなく、好き嫌いや価値観、思想や考え方をお互いに共有しようとするときだ。 自分が思っていることが異なるニュアンスで相手に伝わってしまわないか、それが相手を傷つけてしまっていない

きなこご飯

「おれは塩昆布があれば何杯でもいける」「ご飯いっぱい食べたいなら梅干しの酸っぱさが必要!」「やっぱり卵かけご飯かなー。シンプルに醤油だけで。」 大学生時代、寮の仲間と旨くて安くいご飯のお供を探す会話で盛り上がった。王道の卵かけご飯に軍配が上がりかけたとき、「きなこご飯」とニンマリした顔で訴えた男がいた。 頭がクエスチョンマークで溢れかえったことを覚えている。きなこと白ごはんの味を口の中でシミュレーションしてみたけど、甘ったるい嫌な感じが口に残った。「きなこをかけるのは餅や

何もしない選択をしたときは恐怖を感じにくいことを覚えておきたい

新しいことや失敗のリスクが目につきやすいことに挑戦するときは恐怖を感じる。わかりやすい例として、気になっている人に話しかけたり、新しい土地へ引っ越したりすることがある。 挑戦するときの恐怖はわかりやすいしイメージがつきやすい。恐怖だけでなく、行動を起こすことへの面倒さも相まって、結局何もしないことがよくある。 でも、結局何もしないときでも「何もしない」ということを選択していることは覚えておきたい。それに加えて、「何もしない」ことの恐怖もしっかり存在していることを忘れないで

段取りが大事

年に数回、父は台所に立った。凝った料理を作りたいがためにキッチンに入ることが多かったけど、1番記憶に残っている料理はインスタントラーメンだ。 ラーメンの袋を開け、麺や調味料をすべて取り出すと、父はすべての調味料を丁寧に開封し、使う順番に並べていった。その行動を不思議そうに僕ら子どもが眺めていると、父が面白半分、真面目半分な喋り口調で「何でも段取りが大事。段取りさえちゃんとやれば8割、いや、9割は完了したも同然や。」と教えてくれた。 当時小学生だった僕がこの教えにピンと来な

野球部で学んだ、人の群れる習性

大学卒業まで週6でボールを追いかける日々を過ごした中、恩師と呼べる指導者と愉快な仲間に恵まれ、多くを学んだ。人が群れる習性を持っていることに気づいたことは学びの1つだ。 中・高・大の野球部では20-30人の同学年メンバーが存在し、高校3年時には全体で100人近くの部員が所属する大所帯だった。そんな僕ら野球部は群れることが好きだった。ただでさえ坊主頭が目立つのに、坊主頭が5人も6人も学校の廊下を歩けばインパクトはかなり強い。先生方や他の生徒には良い意味で目立っていたことを祈る

兄からの久々のLINE

久々に兄からLINE通知が届いた。こちらからは何度も連絡していたけど、向こうから連絡が来るのはご無沙汰だった。驚きを隠せないままメッセージを開くと、中島美嘉さんの歌「僕が死のうと思ったのは」へのYouTubeリンクが貼られている。一気に不安な気持ちがこみあげた。恐る恐る歌へのリンクをタップした。 ウグイスの鳴き声が聞こえるようになった春の朝、水がチョロチョロと穏やかに流れる大井川のほとりに座って一人で聴いてからだろうか、中島美嘉さんの歌唱力が圧倒的だからだろうか、それとも、

適度な距離を保つ

不思議な感覚だった。 18歳のとき、あれだけ一人暮らしにワクワクしていたにも関わらず、一人暮らし2日目に強い寂しさを感じた。胸の奥が痛くなって食事がまともに喉を通らなかったことを覚えている。1週間ほど経過すると強い寂しさは消えたけど、「家族に会いたいなー」という思いはずっと感じていた。 家族と暮らしている同年代にこの気持ちを伝えても、絶対にわかってくれなかった。今思えば当然だ。彼らは毎日一緒にいるんだから。家族と仲が悪いとか彼らの感謝の気持ちが弱いとかではなく、毎日一緒に

事前に返答を用意しておく

何かを尋ねられた際、その場で適当に返答すると、自分の本意ではない考えを述べてしまうことがある。さらに悪いことに、その返答が相手を傷つけてしまうこともある。ふと思いついた場面例は、日焼け止めへの質問だ。 物心ついたときから日焼けを気にしたことがなく、22歳まで続いた野球人生でも日焼け止めを塗ったことがなかった。ただ、日焼けは良くないという情報に対して腑に落ちるようになったこともあり、日焼け止めを塗るようになった。そんな僕に対して「そんなん気にするタイプやった?」と尋ねる人に出

最後だと思うか永遠に続くと思うか

人と接する際「これが最後だと思う」または「これが永遠に続くと思う」という2つの考えは絶対に両立しないと思っていた。さらに言えば「最後だと思う」方がより良い考えであると思っていた。しかし今では、どっちが良いという考えはなく、2つの考えは両立し得るものだと感じている。 一期一会という言葉があるように、人との出会いは間違いなく奇跡であり、今後も同じ人と会える保証はない。家族や兄弟、属している組織の同僚など、日々出会う人だって、病気や事故、転職でいつ会えなくなるかはわからない。この