「私、生きてる意味ないんじゃないかな」
こんにちは。リスナー&事務局のひろみです。ここのところ、「生きづらさの原因になる、ネガティブな思い込み」についての話を別々の場所で立て続けに耳にしました。いわく、
・存在してはいけない(自分は存在価値がない)
・ありのままの自分でいてはいけない(自分は不十分だ)
・自分は重要な存在ではない(愛される価値がない)
などなど、子ども時代の、何気ない大人の関わりからこういった思い込みを抱えることになる、という話をきいて「気をつけなければ…」と思った矢先。「あの時、まさに自分がネガティブな思い込みを子どもに植え付けた!?」と焦る出来事がありました。
学校から帰ってきた娘7歳が、言ったんです。
「今日、学校で朝支度をしながら、私、『生きてる意味ないんじゃないかな』って考えちゃった」これはただ事ではない!私は娘を膝に乗せて、抱きしめながら話を聴きました。「私なんて、お母さんが作ってくれた朝ごはんも食べられないし。学校はつまらないし、生きている意味あるのかなって…」彼女の中でネガティブな思い込みが生まれかかった場を、この瞬間に目撃しました。原因の一つの大きなものは、明らかに私でした。
その日の朝のことでした。私は久しぶりに朝から鯵の蒲焼を作り、我ながら頑張った、そして美味しい~と1人ご満悦でした。以前はよく作っていたメニューでしたが、娘があまり食べないのでしばらく封印。そろそろいいかなと思って、しばらくぶりにやってみたのです。そうしたらやっぱりダメでした。「味はいいけど骨が…」と言って、彼女はたった一口を食べるのに20分もかかり、結局その一口で時間切れ。味噌汁だけかきこんで登校しました。私は「お母さんは一生懸命作って、自分では美味しいと思ってるし、お父さんだって普通に食べてる。お母さんは食べられないようなものは作っていません!あれはイヤ。これはダメ。あなただけ、そんなことを言うのは!」とぷりぷりして、娘を追い出しました。
このあとの、学校での支度時間の話だったわけです。
せっかくお母さんが作った朝ごはんを『自分』は食べられない。→お母さんに申し訳ない。食べられない私はダメなんだ。→私なんて生きている意味がないのではないか。と、どんどん変換して、ネガティブな思い込みに入りかけていたわけです。母である私の立場からは、食事の時間に「ありがちなやりとりの一つ」、そこまで全く意図していなかった、一言で。と言いつつ、朝の時点では全く自覚していませんでしたが、振り返ってみると、私自身、ただ「私が作った鯵の蒲焼」を食べてくれない、というだけで私そのものを否定されたように感じたのだと思います。その自分自身の声を打ち消すため、「私は悪くない。食べないあなたが悪い。」と跳ね返し、その負のパワーを娘はもろに受け取ってしまったのでしょう。。。(これが「食事の時間にありがちなやりとり」だったしたらそれもまた…)
娘にとって、そのあとの時間が楽しいものであれば、もしかしたら自然と
負のパワーは弱まったり、プラスに回復したりしたかもしれないけど、あとの時間も憂鬱なものだったので、「私が悪い。私はダメだ。生きている意味なんてないんだ。」と負の思考のスパイラルに陥ったのではないかと思います。幸い、彼女は、今回はたまたまそれを口に出して言ってくれたので、私はその危機に気づくことができました。たかが、鯵の蒲焼。されど鯵の蒲焼。
子育てってこんな思いがけないトラップに満ちている。私は残念ながらすべてを防ぐことはできないし、むしろトラップを仕掛ける側になってしまうことも多い。そんな恐さを改めて認識した私にできること。
・「自分の反応」に気づきやすい状態を意識的に作る(ご機嫌にしておく)
・できるときは、彼女のココロの内を受容的に聴く
・愛ある人たちに、できるだけたくさん子育てに関わってもらう
私と同じように「やっちまった」と思うことの多い方、お互いの子育てを、離れていても見守り、応援しあうようなイメージが持てたら嬉しいです。「やっちまった話」どうぞ聴かせてください。
(2021年4月21日の記事より)
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