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オープンダイアローグのリフレクティングに関して最近私が思ったこと

昨日、今日とオープンダイアローグの「リフレクティング」に関して対話を重ねる機会があったので、振り返りのメモをしてみたくなりました(私の主観的なメモです。一般化するものではありません。)。


・リフレクティングでは、ただただ興味を持って話を聴いたうえで、もっと聴いてみたいと発してみたり、その場で発せられた他者の声を聴く中で自分の中で生まれた考えや、感情、身体感覚を発して応答する場になると思うのですが、自分をある程度空っぽにして、相手の話を興味を持って聴く状態や、この場の他者に触れる前の自分の思いがその場の他者の声に先行してどんどん発生してしまう状況を抑えるには、やっぱり自分に余裕が無いと難しいのかなぁと思ったりしました。
そういう意味では、普段から自分のことを聴いてもらえる環境があって、自分の中に溜まった他者性を吐き出して、一定の余裕(自尊心の高い状態)を整えていないと、ちゃんと、リフレクティングができないかもしれないなぁと私は思いました。


・最近対話の場で、2名~3名くらいのグループでリフレクティングのような感じで、対話を重ねていく場を何度か持ちました。
 風が通り過ぎるように、自然と声が自分の中に入ってきて、応答したくなって応答していくようなことを皆さんがされていて、そんな場に、自分もいることによる心地よさを感じました。その場によい風が流れていると感じる時は、声の循環が起こっていたり、色々な想起が自分の中で起こったり、自分とは違う何か(痛み、違う価値、違和感など)を少し余裕を持ちながら感じとったりして、最後には何かいい余韻をもたらしてくれる時だなぁと思ったりしています。


・リフレクティングによって2名の聴き手同士が話すことで、言葉を直接相手に投げかけずに、その場に言葉が置かれて、話者がそれを眺められる状況を作れるのは、直接相手の言葉が自分に投げかけられることによる緊張性、コントロール性を回避しやすくなり、言葉のやりとりの安全性をお互いに担保しやすくなるので、トラウマケアという観点や、日常的なコミュニケーションにおいても、相手を傷つけない保険的な枠組みとして、やっぱりいいなぁと私は思いました。
 もっとユニバーサルなコミュニケーションの枠組みとして普及してもいいのではないかと思いました。
(※とはいえ、リフレクティングをどう受け止められたかは相手次第のため、リフレクティングに対して安心して応答できる環境が必要だと思います。)


ということで、今日は、ほぼモノローグ(自分の中に蓄積された他者が更新されなかった状態)なあまりいい一日ではなかったのですが、最後に対話ができたので、いい一日として終わることができそうです。


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