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定型を求める日本の文化

決まった型が日本では好まれる。秩序の美や同調圧力と言われることもある。みんな同じことをすることを尊ぶ。

学校では号令をよく使う。全員起立、一同礼、校歌斉唱。みんなに同じことをさせる。タイミングを揃える。バラバラだとやり直すこともある。お辞儀の角度や速さも卒業式では揃える。賞状の授与は、誰もが同じ所作で行う。小さい頃から前に倣えを練習する。

最近までエスカレーターの片側を空けて乗ることが暗黙のルールだった。廃れつつあるが、バレンタインデーに義理チョコを贈ることも流行した。

神社参拝や焼香、ご祝儀、流儀や作法、しきたりも数多くある。

長らく男女の性差についても定型が共有されてきた。男児女児も婿嫁も父母も、あるべき姿があった。ランドセルや制服、髪型、サザエさんに描かれる家庭、関白宣言、例はいくらでもある。

日本で育つと定型化に慣らされる

定型は思考を求めない。ただ従うだけでいい。受け入れると楽だ。正月飾りや鏡餅、決まった通りにやればいい。すぐに合格だ。
定型は共有だ。同じ定型を経験してきた年上の人たちと、経験を共有できる。私もそうしてきた。似た体験談を聞いて容易に共通点を見つけられる。俺たちの時は…と、相違点を語るのも共有だ。共有は一体感をもたらす。地域や時代を超えて共有できる。日本中でだいたい同じようなことが行われてきた。その極みは学校だろう。

学校の個性化、特色化は比較的最近だ。

どこの学校にも、運動会や朝礼、合唱コンクールなど、定型があふれている。日本の均一な教育行政の成果だ。

定型は逸脱を許さない。逸脱者に厳しい。逸脱すると居場所を失う。制裁を受けて矯正される。反抗は定型を共有する人が持つ価値観を否定してしまうので、組織防衛として、逸脱者に対処する。力ずくで塗り替える。服従するまで追い詰める。選択肢を奪う。

多様性と真逆の定型文化

価値観の異なる者との共存が多様性だ。価値観が異なれば、嫌悪感が生じ、遠ざけたくなる。受け入れは容易ではない。理解しても関わりたくはない。自分のスペースは守りたい。みんなが定型を守る。あるいは逸脱しないことを演じることで、表面的には自分のスペースを守れる。自分のスペースに入ってくるのは、異質な他者ではなく、定型を共有している同質の者だ。

表面的な定型の共有は、水面下や地下の文化もつくってきた。日本はアンダーグラウンドやB面の文化も成熟している。タブーをタブーとして共有しつつ抹殺しない。

あいまいやグレーゾーンは、タブーの許容。

定型文化は逸脱を許さないが、アンダーグラウンドの文化を育み、完全に駆逐しないで、ダークサイドで包容してきた。女湯に男児が入れる。混浴温泉もある。際どい風俗営業店もある。タバコは自販機で買えた。パチンコ店はカジノではない。性の商品化は世界最先端で、オタク文化と混ざり合っている。

定型文化の両面を進化させてきたのが日本だ。

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