訳のわからない使命感に駆られて走り続けて、180万部になった
簡単に言えば、
「これで教えたい!」という本がなかったから、
自分で作るしかなかった。
ピアノを教えていて、
子どもも私も素敵だ!とは思えない曲で学ばせるなんて
耐えられなかった。
特に、ハーモニーが耐えられなかった。
今、これを教えなくてはならない必然性が
感じられなかった。
最初は待っていた。
子どもたちが嬉々として取り組める
日本人作曲家の初歩のメソッドが出るのを。
でも、待っている時間はなかった。
ある女の子のために、書いた曲から始まった
ある日、
「ここでダメだったら、ピアノをやめさせます」と
すがるように入門してきた女の子は、
バイエルをこの世の終わりのような音でガンガン弾いた。
楽譜が読めなかった。
何年も月謝を払ってきたのに、
ピアノが嫌いになって、楽譜は読めず、こんな音で?
可哀想すぎる。
私の心に火がついた。
楽譜を読めるようにしてあげる。
音楽って本当は美しいもの、楽しくてたまらないものなの。
あなたに曲を書くから。
「どどどど どーなつ」を五線紙に書き上げたとき、
目の前に一本道が見えた。
ああ、このまま両側に両手の音を広げていこう。
様々な拍子やリズムで、私が好きなハーモニーをつけて、
どの曲も伴奏してあげよう。
その子のために歌詞も書こう。
こうして、
訳のわからない使命感に駆られて、
私は一気に(と言ってもいいくらいの勢いで)
『ピアノランド』シリーズを書いた。
1991年3月からの1年間に、シリーズ5冊を出版した。
いきなり火がついて、全てが回り始めた
音大を出てすぐに結婚して、
ゲーム音楽やアニメ、CMを書いていたから、
クライアント(使う人)のことを考えることができた。
子どもとピアノの先生が気に入って使いたくなるように、と
自分が好きであることと同じくらい、
みんなも好きになってくれるようにと願って書いた。
20代の私に、怖いものはなかった。
いきなり、ベストセラー、そしてロングセラーになった。
まだバブルの名残がある時代だったのも運が良かった。
あれから30年の月日が流れたんだなぁと、感慨深い。
気がついたら、そのままの勢いで
子育てしながらコツコツと楽譜や本を出版してきた。
素晴らしい友人や共演者やチームに恵まれて、
力を発揮させてもらうことができた。
これはもう、奇跡ではないかと思う。
でも、私としてはまだ、半分まできたのかどうか、
もっともっとやりたいことや書きたいことがある。
この30周年を記念して、音楽之友社が楽しい企画をしてくれた。
ピアノランド30周年企画
みんなで選ぶ!
ピアノランド人気曲アンケート
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfcI6OvcX0jpImGyruutm5EuPMmXlGYQ_nXWBuD5CK1DicQaQ/viewform
なんて嬉しい!
みんなはどんな曲が好きなのかな?
ぜひぜひ、こちらからアンケートに答えていただけたら嬉しい。
ピアノランドの好きな曲、できればその理由も。
そして、樹原涼子ピアノ曲集からも好きな曲や、理由を。
さらに、演奏動画の募集もあるので、
好きな形での演奏を撮影して応募していただけたら嬉しい。
知らない方には、3月にアップされる動画を見て、
ピアノランドを楽しんでいる子どもたちを見て、
駅ピアノや空港ピアノの番組みたいに楽しんでいただけたら。
コロナ禍で、発表会や楽しい機会が減っている教室もあると思うので、
子供達のモチベーションアップに繋がったらいいなぁ。
そして、先生方やアダルトビギナーの方も、
『こころの小箱』『夢の中の夢』『やさしいまなざし』
『風 巡る』『時の旅』『ラプソディ第1番』『ラプソディ第2番』
等から、好きな曲の投票、動画をお待ちしています。
積み重ねてきたこと
コロナ禍の中、1年間頑張って書いてきた
『ピアノランド こどものスケール・ブック』が
つい数日前に店頭に並んだ。
とても嬉しい。
でも、このテキストを書くためには、
その前のテキストを書く経験が必要だったし、
その前には……と、どんどん遡っていく。
どの1冊も苦労なしには作れなかったし、
それがなければ次は書けなかった。
そのプロセスは、本当に楽しかった。
苦労というのは睡魔に襲われるとか、
時間が足りないとか、
作ることに付随してくる諸々のことであって、
究極まで考えて考えて考えるのは
ワクワクすることだ。
何を何点作ったか、数え切れない
この積み重ねだけで生きてきたかもしれない。
閃くことは誰にでもあると思う。
しかし、アイディアは、アイディアのまま眠ることもある。
それを生かすこと、続けることが難しいのだと思う。
アイディアを形にするまでの執念のようなもの。
そう言えば、「30周年」と打つと、
しばらくの間、「30執念」……と変換されていたので
わかった、わかったから、30周年と出ておくれ!と叫んでた。
長く続けるには、執念深くないとダメなのかもしれない(笑)。
チームの力で遠くまで行ける
一つだけ、この30年で私が学んだことと言えば、
自分が全力で作るだけではダメだということ。
関わる人皆が一生懸命にその作品を愛したくなるような、
少しでもいい形で世に出したいと思ってくれるような、
ここは自分が頑張らないとこの先はクリアできないというような、
それぞれの持ち場で精一杯の力を振り絞ることができるくらい
魅力あるものでなければ、
命がけの仕事にはならないということ。
最近になってようやく実感できるのは、
楽譜の浄書や、イラスト、デザイン、装丁はもちろん、
編集や校正や、すぐ近くにいてバトンを手渡せる人より
もっと遠くで、会えないけれどチームになっている人の力だ。
それは、問屋さんたちの
「いい楽譜や本を届けたい!必要な人に届けたい」
という熱意と、
楽器屋さんの楽譜担当者の皆さんの
「このお客様にはこの本がきっと喜ばれる!」
という勘と言うのだろうか、
そういう「音楽文化を担っているのは私たちだ」という
そのプライドと使命感のようなもの。
プロの嗅覚は凄いと思う。
いいものを探しているアンテナにちゃんと引っかかれば、
その本はふさわしい場所に置かれて、
ふさわしい人の手に渡っていくのだと思う。
手渡す度に、付け加えられていく思い
楽譜や本には、沢山の人の思いが
手渡す度に付け加えられていく。
そして、先生から子どもたちに手渡されるとき、
その子のために選ばれた一冊がようやく届く。
なぜ、その本なのか、その楽譜なのか、
一冊ずつに選ばれた理由があるのだと思う。
だから、物を作る人は、
それが何回も選ばれてどこかに届くのだということを
意識するといいと思う。
そこそこの仕事ではなく、
ベストを出しきったその向こうまで見えるような
そんな仕事をあと何本もできたらと思う。
音楽之友社のwebでは、その「どどどど どーなつ」のページが
立ち読みできる。
ここから始まる一本道をこれから歩く子どもたちが
まだまだ沢山いることを思うと、
あの日、諦めなくてよかった。
大勢のために、ではなく、
あの子のために必死に書いたから
多くの人に愛されるのかもしれない。
そんな風に、
これからも歩いていきたい。