ホゲット1周年記念誌 寄稿依頼
HOGETの秀平さんから、寄稿依頼が来た。
まだ原稿段階なので手を加えるかも知らないが、おおむねこの内容でいくつもりだ。完成はおそらく12月中頃。
以下転載
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ホゲット1周年記念誌 寄稿
「忘れ去られていたものが、失われつつあるものへ語りかける。」
「グローバルな視点なんて、都合のいい目隠しだろ?
ツケばかり回ってくるが、良い思いにゃ程遠い
貧乏クジを引かされて、心配は押しつけられる
俺はワガママな野郎だ、自分のことで手一杯
俺は明日も働くよ、俺は明日も働くよ
源泉で徴収されりゃ、誤魔化すこともできないよ」
これは、1992年に、当時THE BLUE HEARTSでギターを弾いていた真島昌利のソロアルバムに収録された「情報時代の野蛮人」という楽曲の歌詞である。
今から30年も前、まだWindows95すら発売されていなかった頃に書かれた、現代日本において安く買い叩かれる地方労働者の鬱屈と憤懣をぶち込んだものだ。
時は一気にタイムスリップして、今から遡ること約1000年前、平安時代の中頃、西彼杵半島は「石鍋」の一大生産地だったという。HOGETの由来となった「ホゲット石鍋製作遺跡」は当時の痕跡を生々しく伝えている。
僕が初めてその存在を知ったのは、HOGETが現在の姿になる前の古い民家だった頃、2019年の5月のことだ。当時LUMINE meets ART AWARDに選出され「word mutant」と呼ばれる巨大な「文字霊(もじだま)」が闇夜に飛び出す作品「PSYCHO SAVERS TONIGHT」を出現させるために、制作場所を探していた僕は、山﨑マークの山﨑秀平さんのご厚意で、その場所をしばらくの間作業場として借りることになった。
その玄関を開けてすぐのところに、ソイツは鎮座していた。
「!!!!!!!!
えっえっ、なんすかコレ?」
「これはね、ほげっと、って言うとよ。知らん?」
知らんす。聞くところによるとそれは平安時代に、この西海の地で製造されていたものだという。は?平安?まさか、こんな荒々しいつくりのものが?
僕らがガッコウで教わる平安時代というのは、ほとんど京の都の貴族文化、雅な世界観のイメージだけだ。着物を何枚も重ねてゾロ引いて扇子で口元を隠してオホホホホホホ、なやつだ。その同時代における天と地ほどの断絶っぷり、荒削りでプリミティブなこの石鍋の存在感に衝撃を受けた。同時になんとも言えない不思議さと嬉しさが込み上げてきた。その当時にこの地に生きて石鍋を作っていた人々は何を思い、どんな暮らしをしていたのだろうか、そんなことも頭をよぎった。今となっては知る由もない。その証言者はただ目の前に黙って座っているばかりだ。だが確かなのは、のちの時代にイメージとして切り取られるものとは異なる、もう一つの現実が、確かにその時代に並存していたということである。
結局僕はそれから、HOGETに生まれ変わるための工事の着工ギリギリの2020年の9月まで約1年半にわたって、ここを制作の拠点としていた。
2019年から2021年にかけて発表した主要な作品のほとんどがここ(と道を挟んで現在再び借りているパチンコ屋跡地)で生まれたことを考えると場所を提供してくれた秀平さんには、感謝に堪えない気持ちで一杯である。
さて、話は冒頭に引用した「情報時代の野蛮人」に戻る。これを僕が知ったのは昼間仕事の軽トラで移動する最中に流していたYouTubeから飛び込んできた。これは痛々しいほどに、僕にもだけど、これを読んでいるあなたにも、そのメッセージは心の叫びを突き付ける。
現代社会を一言で語るのは難しいけど、あえて言うならば、それは「虚の時代」だと思う。
「情報化する」というのは実態を数値や概念に置き換えていくことであり、一度情報化されると、それはいつでも同じように、そして際限なく再生産される。
「エッセンシャルワーカー」と言う言葉を昨今急速に耳にすることが増えた。それは、社会の実態が急速にエッセンシャルな(本質的な)ものから離れていってきていたということの裏返しでもあると思うのだ。なんとなく肌で感じていたことが、ある一言によって、ハッと明らかになる。僕らはそんな時代に生きている。
そうした時代に生きていく、つまり虚の時代に生きていくにはどうしたら良いのか。それは確かに今ここに息をしているこの身を以って、この時代を生きていくと同時に、超時代的に生きていくということに突破口があるのではないかと僕は思う。それは「ほんとうに自分のこころを打つものと出会い、それ共に生きていくこと」だと思う。
そう思った時に僕の中には10代の頃に出会ったPUNK MUSICをはじめ、さまざまな音楽、芸術、志を同じくする仲間、そしてこの土地に生きる様々な人たちの顔が浮かぶ。
この西海の地は100年後、1000年後、どうなっているだろうか?生身で生きる僕らはその時いない。だが、その子々孫々のKIDS達はどう生きているか。
その時に繋がる今を実は僕たちは生きていて、
HOGETは西海市の文化発信基地を掲げている。秀平さんとHOGETのことについて話すと、やはり西海市の今からを夢想するとき、そこには必ず文化の力が必要だと言う話になる。
個々人が持つ様々な価値観が融合して生まれる独自の精神的な生態系が、この町を面白く活気付けていくと僕たちは信じている。そのためにはかつてここに息づいていたものに出会い、自分たち自身が懸命に生きて創り出してことによってしか実現しない。
誰かがお膳立てしてくれるわけではないのだ。
僕自身の仕事は文字を書くことを通してことばの「タマ」=靈を生み出すことだ。つまりこれは日本の詩の源流である「和歌」の現代の姿である。平安時代のスポットライトの当たらない暗がりから飛び出したホゲット石鍋に僕が驚いたように、僕の仕事はやがてBACK TO THE FUTUREのタイムマシーン・デロリアンに乗り、時空を逆走して平安貴族を仰天させるだろう。「世界一短い詩」にしたためた貴族達の雅の世界にはなかった、このうごめくワードミュータントのもじだま達が、ワッ!っと飛び出し轟音で震動するのだ。その音は、声は、躍りは、その夢想と共に生きる僕の心の中で、この毎日を灯し続けている。