甘えたがりの私を発見。そして非二元の実践へ
《Ruruの体験》
最近二元、非二元の話をよくLinpとしている。
この物質世界は二元性の世界。
「正しい」「間違い」
「好き」「嫌い」
「私」「私以外」
私とそれ以外のものが分離しているという見方の世界。
この世界にいるといろんな出来事が苦しく感じる。
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現在、私たちはいろんな方々に助けていただいて生活している。
先日ある方と会話していて、その方には負担をかけてないのだなと思えた。
それでホッとしたの~、とLinpに話したところLinpはこう言った。
「二元的な見方をすればRuruの言うような見方になるね。負担をかけてるんじゃないかと思って苦しさを感じてたってことだよね。自分とその方とは分離してると思うから苦しみが生まれるんだ。
でも非二元的にこの出来事を見れば、すべては一体だから、負担をかける相手もいないし、自分もいない。だから苦しみは生まれないんだよね。」
いや。。。
それはそうなんだけど。。。
私はただ、こういう感情になったんだよーって言いたかっただけで。。。
私の理解を助けようと、一生懸命論理的に話すLinp。Linpの言うことは正しい。
正しいけど!こう感じたってこと言いたかっただけなんだよぉ~~!!
数ヵ月前も似たようなことがあった。
ネガティブな感情になった出来事を人に話すと、その人をもネガティブな感情に引っ張ることになるから話さないほうがいい、と本で読んだ。同様に書かない方がいいってことも。
それを知ったとき、私は思った。
そうかも知れないけど、私は自分の感情の変化を話したいんだもん。聞いてほしいんだもん。
でもやっぱり話したり書いたりすると、話したり書いたりしている間にまたネガティブな感情に浸っている自分を発見。当然聞いてる相手もいい気分じゃない。
なんどか経験してこの気分に向き合って、私は意を決してネガティブな感情について話すのも書くのも止めた。
すると!
いい気分の状態を保ちやすくなったし、結果としてすべていい方向に行ったのだ。
そしてネガティブなことについては、もう話したいとか書きたいとすら思わなくなった。
だから今回も、分離している状態の感情について話さずに、非二元で見ればどうなるのかにフォーカスして非二元の世界に意識を向けていけば、いつしか楽にそれができるようになり、分離した状態の感情について話したいとすら思わなくなるのだろう。
きっとそうなる。。。。
でも一抹の寂しさが私に生まれる。
以前も同じだった。
そう、寂しいの!
だって自分の感情の変化について聞いて欲しいんだもん!
あ、これって・・・
甘えたいんだ
私、甘えたいんだ!!
おいおいおい
かなりいい大人な年齢になって、まだ甘えたいって、うそぉ~~~!(赤面x青ざめ)
私の精神はとことん幼いのだ。
甘えたい。
話さないってことは甘えられないじゃん。
そう思っちゃうから、抵抗しちゃうんだ。
甘いものが大好き。
でも最近、甘いものあまり食べるとすぐ気持ち悪くなる。
でも食べたーい!
どうやら甘いものを食べることも、私の中では甘えてるってことだったみたい。
ひえぇぇぇぇ~~~
実践を重ねていけば、感情の変化について話さなくても、甘いものを食べなくても、きっと甘えられた満足感を味わえるものが見つかると思う。
たぶんいつも充分に愛されてるという実感が増してそこに居続けられれば、甘えたいという気持ちも薄まってくるに違いない。
甘えたいって気持ちがある私をそのまま受け入れる。
愛されたいって気持ちがある私をそのまま受け入れる。
まだ分離の世界、二元性の世界で物を見ている私をそのまま受け入れる。
そして少しずつ、非二元性の見方ってやつを実践していってみよう。
最近変化が早いから、おそらく一週間もあればだいぶ変わってくるだろう。
さ、実践しよっ!!!
楽しみ~♪