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また「すずき」を|魚介のおいしいレストラン@ミラノ

義母の誕生日ランチに訪れたレストランでの続き。

前の記事で紹介したアンティパストのあと、プリモ・ピアット(第一の皿。リゾットやパスタなど)はパスして、セコンド・ピアット(メイン)へ。

絶対あるはず、と、ちらっとメニューを確認し即決したのは…

Branzino al sale=すずきの塩ロースト!嬉
(珍しく太字にしております)


もうひとり、家族の中に絶対このメニューを注文するだろう人がいる。
義母だ。

初めてミラノを訪れた30年前、復活祭の日に家族で行ったレストランで義母が注文したのが「すずきのロースト」だった。
義母の小さいころにはまだ新鮮な魚介が手に入ることは少なく、魚料理にはあまり縁がなかったらしい。さらに義父が大の魚嫌いということもあって、家で調理することはほとんどない。
レストランでいただく「すずきのロースト」は義母にとってご馳走なのだ。


30年を経て…
「何を注文したの?」と聞く義母。
「すずき」と答えると、満面の笑みで「私も」と言う。ふふ、知ってる。



さて、出てきたお皿がこちら。
「あれ?」と思う方もいらっしゃるのではないか。
そう、焼き魚のおいしさでもある焦げ目がまったくなく、なんとも地味な見た目。

実は、「al sale」というのはいわゆる「塩釜焼き」のことだ。
一尾を丸ごと粗塩の中に閉じ込めてオーブンで火を通す。その塩の部分を大方取り除いてサーブされるのでこうした見た目になる。

通常、こういう丸ごとの魚はウェイターさんが頭と尾、そして皮と骨をきれいに取り除いて出してくれる。

魚などを「食べやすい状態にする」というとき、イタリア語では「Pulire=掃除する、きれいにする」という動詞を使う。初めて聞いたときは、別に身の部分以外が汚いわけではないのにな、と思ったものだった。

今回も「Pulisco io?(私がきれいにしましょうか?)」と聞かれ、「Sì, prego(はいお願いします)」と言ったはずだったが、なぜかこの状態で出てきた。
でもまあいい。こちらは日本人だ。別に問題ないもん。なんなら「箸持ってこい!」と言いたいところだ。(ワイン2杯め)

ともあれ、こうして久々に真っ当な魚にありついた。ドイツの住んでいる町ではまず食べられない。

まずひと口。
あぁぁぁ...…これがもう、染み入るおいしさ。幸せがここにある、と思った。
なんというか、焼いたというよりは蒸し上げたというほうがしっくりくる。
しっとりほろっとした食感、淡白な優しい香りが際立ち、海の恵みに感謝の念が湧く。

ちょうど先日、いつもお邪魔している宮島ひできさんの記事「「蒸す」から餃子を考える」 に、蒸した白身魚のおいしさについてのくだりがあった。
宮島さんはその味を「甘い海の味」と書かれている。まさしく私も同じように感じたのだった。

レストランのドアを押したとき、料理のいい香りの奥に、微かな海の匂いがした。
新鮮な魚介を取り揃えた魚屋さんに漂うものとも違う、それはまさしく遠い記憶にある潮の香りだった。



義母のすずきは「きれいに」なった状態でサーブされた。それでも小骨の取り残しがあったようで、それをそっと指で受けてお皿の隅に並べている。

もともと小柄な上、最近背中が丸くなり、さらに小さくなってしまった義母。誕生会の長いテーブルの真ん中で、ゆっくりと真剣にすずきを口に運ぶ様子に、幼いころの義母の姿が浮かんだ。


レストランを出て、いつものように腕を取って歩いた。
数年来、ミラノにいる間は、外を歩くとき私がお供となる。
冷え性でいつもだいたい冷たい義母の手が、このときは温かかった。

「Auguri ancora(あらためておめでとう)」と言うと、小さく整った顔に光が射すように微笑んだ。

また一緒にすずきを食べよう。


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