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事故車の救援をした話
もう何年も前、ちょうどこの時期のこと。
夫の祖母入院の知らせを受けて、イタリアまで車で見舞いに行ったことがあった。
ドイツへの帰りの道中、スイスに入ったあたりの高速道路(まだイタリア語圏)で事故を目撃した。
前を走っている車の様子がおかしい。「なんだろうね、あれ」と、夫は車間距離を多く取った。車線内にはかろうじて収まっているものの、時折ふらーっと緩く右へ左へ蛇行していたのだ。
と、ほどなくその車は大きく右にカーブし、ガードレールに激突。
その反動で3車線を横断して一番左まで滑っていき、そこで動かなくなった。
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ハザードランプを点灯させて路肩に車を停める。
幸い、そこは見通しのよい直線になっており、いつになく交通量も少なく、後続の車3台も安全に停まることができていた。
夫と私は蛍光オレンジの安全ベストを着て車を降りた。
すぐに運転手の状況確認に向かう。
同時に、私たちの後ろを走っていた車に乗っていた男女のうちの男性が警察に電話、女性は三角板を設置するのにはるか後方へ走っていった。
さて、事故車に駆けつけると、70代ぐらいだろうか、運転席に男性がひとり。
大きな怪我はないようで、とりあえずほっとした。
ところが、このおじさま、ちょっとおかしい。
事故で動転しているといった様子はないのだが、逆に悠長というか、事の重大さがわかっていない様子で、車を降りてふらふら歩き出した。
事故のショックかもしれない、と、ゆっくり話しかけてみた。
「どこか、痛いところは、ありますか?」
話は普通に通じるようだ。ズボンの裾を捲って、「ここが」と言う。
両膝にかなり深い擦り傷があり、出血していた。
備えてあった救急治療キットで応急処置をする私の顔をしげしげと見つめ、「ほー、あなた、イタリア語を話すんですね。なんでですか?」などと聞いてくる。
「夫がイタリア人なので」と答えると、ひっひっひといった場違いな笑い方をして、「あー、結婚したばかりなんですね」と言う。当時でももう20年以上経っていたのだが、これってもしかして若く見えるってことかしら、と、いやな気はしない。まあ優しくしてやろう、と思った。
警察は15分ほどでやってきた。
まずは事故を起こした本人の免許証や身分証明書を確認し、その時の状況を訊ねた。
ところがおじさまの説明に仰天する。
「どうもこうも、左から無理やり追い越そうとした車がぶつかってきて、そのまま逃げたんだ!」(もちろん大げさなジェスチャーつき)
いやいやいや、そんなことないでしょ。
……と心の中で思っていたら、同じフレーズで警察官が返していて吹き出しそうになった。
車の状態を見れば一目瞭然。右側面は大きく潰れているものの、左側は無傷だ。プロが見れば(プロじゃなくても)わかる。
証言を求められた夫は「たしかに左車線を通り過ぎた車はあったと記憶していますが、接触したようにはこちらからは見えませんでした」と、慎重に答えた。
でしょうね、という面持ちで書類に記入する警察官。それをにこにこと見ているおじさま。やはりヘンだ。
さらにおじさまは夫にとんでもないことを言い出した。
「うちはこの先のトンネルの向こうなんだけど、通り道だったら乗せていってくれない?」
これで「ちょっとおかしい」が決定づけられた。
おじさまの願いは、警察官の「でも乗せてもらっちゃったら、あなたの車がどこに牽引されていくかわからなくなっちゃうでしょう?」という、わりとテキトーながら秀逸な返しに阻止された。
なんでもこの車、前日に納車になったばかりで、その日が初運転だったのだそうだ。
ともあれ、大きな事故にならずに済んで本当によかった。
交通量の多い時間帯や、ドイツの速度制限のない区間だったりしたら大変なことになっていただろう。高速道路での車故障のときも命拾いしたが、このときもかなりヒヤッとした。
こちらが気をつけていても、突発的に事故に巻き込まれることもある、と改めて心に留めたい。