イランの学生たちをペルシャ語で爆笑させた話
イランを旅したのはもう十数年前のこと。
あれは確か,キャンドヴァーン(کندوان)という名の,奇観の見られる村に行き,帰路のバスに乗り込んで出発を待っていたときだったと思う。
楽しそうな学生(?)の集団がバスに乗り込んできた。
向こうから話しかけてきたのだったか,私はペルシャ語も英語もほとんどできないけれど,簡単な単語をひねり出すようにして言葉を交わした。
彼らは目をキラキラさせて,好奇心いっぱいにいろいろな質問をぶつけてきたり,自己紹介をしてくれたりした。
「どこから来たの?」「日本から」
みたいな会話から始まり,
「(僕は)ママド」「モハンマド(のことね)」
とか
「(僕は)〇〇(人名)。ゴム出身」「宗教都市ね」「え?(通じてない)」「(ゆっくり)シュウキョウ ノ マチ(イラン人ぽい?祈りのポーズを付けて)」「そう(たぶん通じた)」
みたいな感じで話した。いちおうペルシャ語で。
そのうち,やはり気になるのだろう,「イランのイメージは?」というようなことも尋ねられた。
あらまほしきは語学力よ! イランの文化や土地や人々については褒めどころがたくさんあるので,本当はそれを伝えたかったのだけれど,そんな難しいことは言えないので「農業国」と答えた。
まあイランが農業国でもあるのは確かだけれど,これはただペルシャ語で知っている言葉が口から出てきただけだ。
そのうち,「じゃあアメリカは?」と訊かれた。
ううむ,これは答えづらい。
当時もイランは国家として反米を掲げており,首都テヘランのどっかのビルの側面に「DOWN WITH THE U.S.A」(打倒合衆国)とか「مرگ بر آمريكا」(アメリカに死を)とか書いてあったりする国だ。
一般の国民の対米観がどうかは一言では言えまい。いろいろな考えの人がいるし,一人のイラン人の中にも好悪あわせていろいろな思いがあったりするだろう。
学生たちが米国をどう思っているかは分からない。
ただ,おそらく日本を親米国とみて訊いたのだろうとは思った。
イランを訪れている日本人が米国をどう思っているかは興味をひくところなのだろう。
まあしかし,日本語でさえ簡単には答えられない質問に,ペルシャ語で答えられるわけがない。
私はちょっと考えて,
と言った。
一同キョトンとした顔で一瞬静まり返ったあとに大爆笑。手を叩き腹を抱えての大笑いだった。
シェイターンはサタン,つまり悪魔のこと。
ボゾルグは「大きい」という形容詞。
ペルシャ語は形容詞が後ろに付く。このとき,間に /e/ という母音が挿入され,シェイターネ・ボゾルグとなる。
この言葉は日本語でふつう「大悪魔」と訳されている。
「大悪魔」は,1979 年のイラン革命を主導し,イラン・イスラーム共和国の初代最高指導者となったルーホッラー・ホメイニーが米国を指して使った言葉だ。
私は小学生のとき,テレビのニュースで連日「パーレビ国王」という言葉を聞き,そのあと確かアゴヒゲを蓄えたおじいさんが飛行機のタラップを降りてくる映像を見たようなかすかな記憶がある。
これは,Pahlavi 国王が国外に脱出したあと,パリに亡命していたホメイニーがエール・フランス機で帰国した瞬間である。
いま計算すると,この日,私は 10 歳であった。
キャンドヴァーンで出会った学生たちは革命後の生まれであり,当時のことをリアルに知っているはずはない。
しかし,革命時のことは聞かされてきただろうし,「大悪魔」という言葉はその後も米国に対し使われてきたようだから,当然知っているのだろう。
私は米国政府に対する批判的意見も持ってはいたが,なにも「米国=悪」と思っていたわけではない。
(どこの国もいろんな側面があり,国全体を単純な善悪好悪で論じるのはナンセンスだと思っている)
だから「シェイターネ・ボゾルグ?」と疑問の形で答えたのだ。
ジョークを飛ばしたつもりはあまり無かったが(若干はあった),めちゃくちゃウケてしまった。
ウケたのはよいが,やはり変な誤解をされるのはよくない。一口にアメリカといっても,まず政府と国民は分けて考える必要があるし,・・・
いや,そんなややこしいことが言えるはずもなかった。
言葉を補おうとしたが,ほとんど何も伝えることができなかった。
あらまほしきは語学力,である。
(完)
冒頭写真:Kandovan, Iran. Picture taken in june 2005 by Fabienkhan.
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