見出し画像

「ごはんや」さんの想い出

かつて、千駄木には「ごはんや」という店があった。
谷根千に引っ越してきた頃、30代半ばで猛烈に働いていた。若かったというのもあるけれど、映画の仕事がすごく忙しくて、器の仕事も始めたころだったと思う。
すごく疲れて帰って来て、夕飯をつくる元気のないとき、「ごはんや」に滑り込む。お父さんと娘さんが調理場にいて、お母さんがフロアを担当していた。いつもやたらと疲れていたので、注文した料理はぺろっと残さず食べていた。気取ったところのない、シンプルだけれど、ちゃんと手をかけた、どれも優しくて美味しい料理だった(細かい献立はもう思い出せないけれど)。
ある日、(たしか嫌なことがあってより疲れていた)注文をしてぼーっと座っていたら、お母さんが「はい!」と手にみかんを置いてくれたことがあった。何かに気づいていたのか、はたまたどこかから届いたみかんなのか。あの時のなんとも言えない、うれしさは今もよく覚えている。そのひとつのみかんで、疲れが吹っ飛ぶような、そんな優しさだった。

暮しの小さな教室「マナの台所」という屋号で、料理教室を始めたのは2019年。二回実施した後、すぐ忙しくなりちょっと休んでいたら、コロナ禍がやってきた。それどころではなくなり、あっという間に2023年になってしまった。やっとのことで、8月に料理教室を再開した。一回目は「沖縄料理の会①初級」から。告知もままならず、参加者は一名。4年前の「味噌の会」に参加して下さった近所にお住まいの方。4年前に渡したレシピを今も持っていて何度も作っていることを教えてくれました。
先日、二回目の「蒸す会①初級」を開きました。まだ暑い10月に企画を練っていたので、不安でいっぱい。でも当日は急に冷え込み、蒸し料理にぴったりの季節が到来しました。蒸し料理のよいのは、湯気があがっているだけで、なんだか幸せな気持ちになれること。そして、蒸すだけでなんとも美味しく仕上がること。電子レンジで急激に熱を加えるのとちがって、じわじわと蒸気が熱をくわえることで食材がちょうどよく仕上がる。なんとも幸せな調理法だと思うのです。蒸し鶏、パン、花シュウマイ、小籠包、蒸し野菜とたくさん蒸して、部屋は湯気でいっぱいであったかく、なんとも楽しい時間になりました。

話はもどり、「ごはんや」さんは閉店することになった。娘さんが海外に嫁ぐことになったといういたってポジティブな閉店だった。閉店後に使っていた用具をセールに出していた。もう営業を終えた店内に色々と並んでいて、お重、小さな鉄の鍋、ガラスの大きな瓶を買った。「ごはんや」があったことを自分のそばに残しておきたい、そんな気持ちで選んだと思う。自分にとって初めてのお重は、お節はもちろんお弁当を詰めて持って行くときや、家での会合でも使っている。鍋はなべ焼きうどんに、チゲ鍋など普段使いに。大きな瓶はらっきょうや梅をつけて季節の仕事に重宝している。あれから10年ちかくたった気がするけれど、今も現役。
料理教室を始めたのにはわけがある。おばあちゃんになった時の自分を考えた。独身で子供がいない自分にとって、私がやってきたことを残せるひとは今のところ存在しない。でも料理をレシピとして残しておけば、それを伝えることは今からでもできる。そして、おばあちゃんになった私にとって、きっと教えることは生きがいになるのではないだろうか?「ごはんや」さんのお母さんが、手においてくれたみかんのように、今から誰かに気持ちを繋げられたら良いなと思っている。

※画像は料理教室で参加者が作った「花シュウマイ」です。子供の頃、母が作ってくれると、いつもとちがう特別感がありました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?