スリランカ、2019年4月21日
この日、スリランカで連続爆破テロが発生しました。
スリランカ人にとってはもちろん、スリランカとビジネスをしている私たちにとっても、忘れることのできない日です。
かつてスリランカでは、1983年から2009年までの長きに渡る内戦を経験しました(2002年頃までに大規模な戦闘は終結)。
内戦終結後のスリランカの治安は比較的安定していた印象です。もちろん日本よりも安全ということはありませんが、夜間であっても都市部大通り沿いであれば危険を感じずに歩けるような、”安全な国”でした。
2014年頃からISIL(アイシル/Islamic State)が世界各国でテロ活動を活発化させ、アジア諸国でもその影を感じさせる事件が頻発しました(バングラデシュ・ダッカテロ事件など)。
それでもスリランカでは(表面上は)ISILの影響を感じることはありませんでした。
ただスリランカでは、民族紛争的な要素が色濃かったスリランカ内戦終結後、じわじわと宗教間対立の火種が燻っていました。多数派である仏教徒、都市部に多いキリスト教徒に対して、少数派であるイスラム教徒は内戦中に迫害された歴史もあり、他宗教との間に少なからず壁がありました。
スリランカ連続爆破テロの前年2018年3月には、スリランカ国内で反イスラム運動が激化。スリランカ中部の観光都市キャンディで宗教対立が暴動に発展するなど各地で死者が出る事態となり、スリランカ政府は非常事態宣言を出すに至りました。
2019年スリランカ連続爆破テロ発生当時、同年3月のニュージーランド・クライストチャーチで発生したモスク襲撃事件に対するISILの報復…という報道もありました。これが事実かどうかは不明ですし、犯人グループ(全員スリランカ人)がどこまでISILと関わりがあったのかもよく分かっていません(ISILはテロ攻撃を称賛する声明を出すが、関与を示す証拠なし)。
確かなことは、犯行グループがテロ攻撃を計画するに至る着火点となった宗教間対立や社会構造が、近年のスリランカにはあったということです(インドの情報機関が犯行グループのテロ情報を察知しスリランカ政府に伝えたが、政変に陥っていたスリランカ政府は迅速な対応が取れず、テロを未然に防げなかったとの情報も)。
テロ発生時のスリランカ国内の混乱状況や、その後のスリランカ政府の対応は日本でも報道されました。
その時、私たちの周りでは何があったのか。
それはまた次回、お話しようと思います。