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自己紹介年表

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2021年1月の記事一覧

ピアノを辞めたいと思った時に

ピアノを辞めたいと思った時に

自己紹介のシリーズ 13歳の2。

ワタシが小學校の時って、今みたいに情報がないのもあって、近所でいける習い事がそろばんかピアノか習字ぐらいしかなくて、友だちが習ってるから行きたい!ぐらいのノリで、ピアノを習っていました。

普段の生活にクラシックなんて全然ご縁がないのに、赤いバイエルから入るピアノ教室は、部活でヘロヘロになりながら續けていく程興味のあるものではなく、

中學に入ってすぐ、辞めたい

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これでは潰れると悟った13歳

これでは潰れると悟った13歳

自己紹介年表シリーズ 13歳

校内暴力が怖すぎて、春休みに盲腸で入院を経て入った中學ですが、

同じ小學校からは全員同じ中學に行ったので、クラスの1/3は知ってる人という環境の中、樂しく始まる中學生活。

中學でもっとも樂しいことのひとつ、「部活何にしよう~?」

たまたま小6の時の担任の先生がバスケ好きで、よく体育館でやってたのと、バスケ部を見に行った時に、ランニングパンツが赤のキラキラサテン

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怖すぎると病氣になる話

怖すぎると病氣になる話

自己紹介シリーズ 12歳。

まだ、小學校を卒業したら次は地元中學に行くしか選択肢を知らなかった時代、めでたく小學校を卒業したリンダは、中學に行くのですが、

その、小學校卒業後から中學入學までの春休みに、なんと「盲腸」で入院。

昭和50年代の中學は、「校内暴力」が流行っていて、今聞くと、夜の校舎窓ガラス壊してまわるほど、なんの鬱憤があるんやろうと思うけど、

ワタシが行く予定の中學も、例にもれ

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しょうがなくでも、子どもの頃に修行した方が身に付くから丁稚奉公とかあったんやろな

しょうがなくでも、子どもの頃に修行した方が身に付くから丁稚奉公とかあったんやろな

自己紹介の續きです。

10歳の時、子どもたちも手を離れたのでと、母が学童保育の先生を始めた。

当時はまだ學校に學童保育が併設されてなくて、本当に必要だと思った父母会が共同で作った民間の學童保育だったので、子どもが歸って來てから夕方までの仕事だと思って始めたのか知っていたのかは知らないけど、一人でも遅くなると歸れないことや、運営會議や、バザーや、キャンプやで、夜ご飯の時間に歸って來れない事態が頻

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