どこかの健常者とか我々の敏感さとか
外出先で熱を出したので暇になった。
文章の体裁は崩れるが、気にしない人は読んでほしい。
(考えていることが多い時、何から書けばまとまるか悩むだけ悩んで筆を折ることがあり、そうやって書きかけのノートが溜まっていくので、順序なんて気にせず書き上げてしまおう)
弟が自閉症と診断された。
以前書いた通り私はさす九生まれということで、祖母の「女じゃ墓守が務まらん、男孫が欲しい」を母親が「あんたに兄弟がいれば生涯寂しくないでしょう」と言い換えて作られたのが弟である。妊娠を繰り返したところで男児が生まれるとは限らないのに、1/2を引いたのはおめでとうって感じだ。
仮に墓守とすれば、弟は子孫を残し家名を継ぐ(大層な家柄でもない)のが生まれた意味ということになってしまうが、彼は言語の発達も身長の発達も遅かった。最近ようやく平均に追いついて、特別な心配はなくなってきたところだ。
だが学校での態度や提出物、出席日数が思わしくなく、常に校長/担任教師の温情を得てギリギリを渡り歩いているという状態だった。私も似たようなものだったと回想したが、実家で彼を養育している母親の言うには「比べものにならん」らしかった。
それで以前私も受けた精神テストをやったら診断が下りた、という流れである。帰省した時に「テストのあの問題難しかったよな?」「そうそう意味分からんこと聞かれたわ」などと呑気に共感しあっていた時は、まさか彼が引っかかるなんて思ってもいなかった。
私と弟は別の人間であり得意不得意はそれぞれだし、同じ屋根の下で楽しく過ごしていても、性格や考えていることは違う。
私を精神科に連れて行ったのも母親だったが、その要因となった私の「異常な中学時代」(←追記:AXは幼少期からなので関係ないよ!理由には関係あるけど…)は受験合格後のパンクにいじめが重なったことによるものだ。親には隠しているが、その主観的な壮絶さは知らないまでも同窓会の葉書を捨ててくれたり、「中学楽しくなかったみたいだもんね〜」をサラッと言ってくれたりするくらいには勘づいていたらしい。
最近ようやくショックで無くしていた記憶が蘇ってきて、発端もショボい入学してたった数ヶ月間のいじめだったし、その間の友達もいたから同窓会行けばよかった、くらいの気持ちになってきている。当時は学校がある地域ごと忌み地にしていたので、選択に後悔はないが。
とにかく、「誰も助けてくれないんだ〜」「迷惑だから死にます〜」「小学時代にやってたいじめが返ってきた自業自得だ〜」(←いじめはあったけどむしろ助けていた側だと判明、防衛のための妄想ってすごい)
などで頭がいっぱいで涙しか出ず、症状としては完全に鬱病の状態で「この子忘れ物が多くて起きられなくて、ADHDですかね、口から生まれたくらいお喋りだし」と母親から精神テストを受けさせられ、語学140数学100を「お子さん国語が出来るから喋ったり忙しなかったりするだけで問題ないっすよ」と釈放された。(乖離が大きいのも女児は繕いが上手いのも言及はなかった)
このときまだ小さい私は(もしちょっとテストの点が悪ければ障害になっていたんだ)と思い、全ての障害者に対して自分や他人を同列に置いて【健常者】という概念をなくした。
その後の「人はみんな変!この世は個人的正義バトル!」という考え方はここから生まれている。
しかし考えてみよう。私は診断が下りなかったが、まだ自分を「変の中でもまた特別に変なんじゃないか?」と疑っている。
まず、私は言語力というより読解力があるが、それは小説を沢山読んで「正解」を返しているだけだ。なんなら空気や人の感情は読めなくて、とにかく場数を踏み周りの人の真似をすることで相手に合わせて振る舞っている。常に会話ではなく、雰囲気に対する正しき反応である。嘘ばっかり吐いているから、嘘の方を自分の感情にすり替えることも出来る。
最近は吐いた嘘を覚えておくのが嫌で正直なコミュニケーションを尊重しているが、何が自分にとっての正直に当たるのかは掴めていない。
また私の弟は公衆トイレの匂いで吐く、小さい頃から「ソムリエになれ」と言われるほど味覚が鋭く、無味でも美味しいといって食べられるなどの敏感さを持つ。
子供の障害を疑った母親のほうも、他人の匂いが付いたものを使えない、料理が悉く「素材の味を活かしている」という敏感さがある。
自閉症といわないまでもそういう特性が遺伝するなら、私も気付いていないだけでどこかが敏感かもしれない。
例えば小さい頃から飲食店に行くと必ず腹を下して笑われる。スーパーの肉魚と飲料売り場も、匂いや寒さ、眩しさで苦手だ。テスターを嗅いで満足するから香水を買ったことがない。聴覚に問題がないのによく聞き返す。
何より、部屋がある一定以上汚くならない。私も趣味の物に囲まれて暮らしたいが、友達には独房とか言われる。
私はこれまで自分の普通を悠々と生きてきたから、知らないうちに努力という名の無理をしてきた。ある一定の無理を超えると狂って楽しくなり、体力が尽きると動けなくなる。それに気付いてからは意識的に「お喋り」をやめた。
どこまでが努力でどこからを無理と呼ぶのか、定義がないのも問題だ。普通に合わせるというのは難しいが、全員が多かれ少なかれ普通に合わせる努力をしているのなら、私はいたって普遍的な人ということになる。
皆が普通で皆が異常なのかしら、異常が普通なのかしら、こんなことを考えるのは普通なのかしらーー
耳栓をすればガヤつきが防がれて落ち着く。
日傘を差した方がストレスが減る。
学校に行かない方が楽だ。
こんなものは誰にでも当てはまるだろう。
「無理をしない」という手段に、どこまで頼るのが普通なのかも分からない。
ただただ、全員に無理のない社会を目指したいということだけが明確だ。
誰かにとっての無理が、誰かにとってのやりたい事(例えばジェットコースターなど)という場合もあるのだから。
心ゆくまで無理をしないで、それは自己責任で、誰も責められないと分かっているのだから。
今日の私だって、朝から喉が痛くて体調が悪く、勧められたハーブティーを舐めたら香りに吐き気がして、そのまま授業を早退して休むことになった。
紅茶はダージリンとアールグレイ、アップルティーが限界だ。出来る範囲で楽しもうと思う。
全体的に、そういう話でしたね。
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