なぜ私はコムデギャルソンを
ラグジュアリーブランドは1984年から大きく発展した
日本国内のブランドやメンズファッションが大衆化したのもこの年です
当時私は大学1年生でした
その前年(1983年)受験勉強に明け暮れながら京都で浪人生活を送っていました
共通一次試験(現在のセンター試験)が終わったところで、一息つき
自分のセンター試験の成績と 二次試験で当時の実力で楽勝で入れる大学を探しました
もちろん国公立大学です(大阪は国立大学絶対原理主義が強いのと家庭の経済的事情からです)
関西圏の国立大学と言えば京都大学、大阪大学、神戸大学 の中から選ぶのが順当だと考えていました
それ以外の大学例えば現在の大阪公立大学である大阪市立大、府立大や京都工繊維大学などは 全く考えていませんでした
というのも受験生としては 医学部を志望していて国公立医学部に進学することを目標としていたので当時の私はけっこうな力量があり消去法的に神戸大学を選びました
京都大学はちょっと難しい
家庭の事情から滑り止めの私立大学(例えば早稲田や慶応)と言う選択肢がなかったのでいっぱつで通るところと言えば大阪大学か神戸大学です
ところが私の周りにいる大阪大学志望の連中が非常に性格が悪い
というのも大阪大学と言うブランド名目的で進路を決めていて
大学で何を学ぶか何を専攻するかするかなど視野に入ってない人ばかりだったからです
私は医学部以外では建築の道しか考えてませんでした建築の設計・デザインをすると言うことを考えていましたで自動的に神戸大学の建築を選んだわけです
翌日本屋さんに行き神戸大学の赤本過去問を見ると驚くほど簡単にできてしまうので驚きました
すぐに家に帰って5時間ほどかけて過去問の数学を全て解きました
軽くやってみても 1年分が1時間で 解答ができ わからない問題が1つもありませんでした
そこで他の教科を見るともっと簡単だったのでそんなに二次試験の勉強をしなくても大丈夫だと考えたわけです
少し時間と心の余裕ができたので1984年の1月私は本屋さんに行き雑誌をたくさん読んでいました
どうしても心に引っかかったのが当時の平凡パンチと言う週刊誌です
京都大学の助手であった浅田彰と言う哲学者や 作家でイラストレーターの橋本治の いろんな街について当時の流行について いくつかの特集記事がありました
また台頭し始めていたメンズファッションのブランド特集も強く記憶に残っています
そこで興味があったけども時間の制約、精神的な余裕なし、経済的可能性無い状態から一気に開いた私はメンズファッションについて深く調べ 思索を巡らしていきました
当時の私には小遣いと言えるものはほとんどなくお店に行くことも当然できなかったので、雑誌データ情報を頭の中で組み立て本屋さんに行き別の雑誌を見ることでイメージを膨らませました
そして1つの結論が コムデギャルソンとYohji Yamamotoと言う2つのブランドが私の感覚求めているものに近いと言うことが結論できたわけです
(神戸大学の二次試験は正直簡単でした1限目の英語昼一の数学夕方の理科全部できましたその時私のところに医学部を受験していてもよかったのになと言う迷いもありましたが気持ちが完全にデザインの世界 に傾いていたので医者を目指す事はもうありませんでした)
さて大学に通うようになって洋服に対する欲求がすごく高まります
ただまだお金がないのでアルバイトをする必要があります
当時からコミュニケーションの能力が あ あまり高くなかった私はアルバイトの先を探すのにも苦労をしていました
ようやく大阪梅田の学生センターと言うところで肉体労働を中心としたアルバイトを探し出すことがわかり、汗をかくことで少しずつお金を手にすることができるようになりました
1番最初にしたアルバイトは倉庫の中で段ボールにものを詰め手作業で積み上げていくんですがそこそこ良い時給がつきました当時2000円を超えていたと思います3日ほど自分を無にして倉庫の中で作業することで30,000円近いアルバイト料金をもらいその足で大阪ミナミのファッションビルを 徘徊しましたちょうど夏のセールも始まっていたのでいくつかの夏物のTシャツやパンツの正直売れ残ったものが買うことができました
買ったのはコムデギャルソンの黒い長袖のTシャツ袖がメッシュになっていましたコム・デ・ギャルソンオムの青いタグです
Yohji Yamamotoの服は非常にサイズ選びが難しくまたセール会場に出立っていた店員の無愛想様相まってちょっと自分の世界観と違うと言うこともよくわかりました
正直コムデギャルソンの服は高いです大学生の時もそうですし
社会人でそれなりに稼げていても高いと感じます
2025年現在の円安・インフレもあります
私は勝負服としてコムデギャルソンオムの黒長袖しましまメッシュTシャツを買いました
そこからコムデギャルソンとの40年にわたる長い長いお付き合いが始まったわけです