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不登校になった子どもたち2
不登校のはじまり
前回は幼少期から学童期までの息子のことを紹介しました。
今回は、中学生になった彼がどのような形で不登校になっていったかお話したいと思います。
不安を抱きながら中学入学式を迎え、親子で学校に向かい式が終わり教室から運動場へ集まって解散…そんな中彼は誰とも関わらず下を向き、そそくさと学校を出て独りで帰っていきました。
(仲のいいお友達と確か同じクラスだったようなのになあ)なんて思いましたが、人数も増えて疲れたのかな、ぐらいに思っていました。翌日わたしも仕事をしているので子どもたちより先に家を出ないといけないので「8時には出えや〜」と伝え家をあとにしました。それから2時間くらいでしょうか……1時間目が終わったくらいに学校からスマホに連絡が入り学校に来ていないと言う内容でした。本人のスマホにかけてももちろん電話に出ず。所在を確認しないといけないので早退し家に帰ると制服は着たままでゲームをしていました。
それからは毎朝逃げ出せない距離で後をつけ、追い詰めて、朝起きない時は「何で起きないの着替えないの、早く準備して、いい加減にして、行かないなんていいわけないやろ!」などなど。書ききれないほどの言葉を浴びせ、どうにかこの生活リズムに慣れればきっと行ける、行かなきゃダメなのよ!
とにかく必死に、普通にみんなと同じように学校に通ってくれるだけでいい、人と同じ道にいて欲しいと、私の思いを押し付けていました。(親としてはこうするのが当たり前だ、正しいのだと思い込んでました)
そんなこんなで、4月は8日ほど登校しましたがゴールデンウィークを機に行けなくなりました。
私は手当り次第、不登校について調べたり学校の先生、スクールカウンセラー、児童精神科もいくつか受診したり彼がどうにか学校にもどってくれるようになるように余計な働きかけをしていたのです。
昼夜逆転
引きこもり
ゲーム依存、、、など
そういったリズムの生活が日常になり、もちろん本人も苦しんでいたと思いますが、わたしは自分のことばかりだったと今では思います。せめて週1回は登校して欲しいと無理くり学校に付き添い登校し、児童精神科の予約が取れれば引っ張って連れていき(ここで改めて発達検査をすることに)スクールカウンセラーの予約が取れれば、仕事を休みどうにか学校に戻れないか思いを伝え(カウンセリングは1度のみで2度目はなかったです。解決というところにはたどりつかないと。)、とにかく必死に……。
児童精神科での発達検査と診断
スマホで夫が児童精神科について調べ、少し離れたところに有名なメンタルクリニックの予約がとれたので電車にのり、息子をひきつれ夫とともに受診に行き、話しをし、発達検査をすることになりました。
結果は、以前やったときと同じでした。小学生の頃は詳しい結果を教えられなかったけど、その頃からADHDで、発達の凹凸があったのだと…。
精神科医から告げられたADHDに対し、彼がどうにかして学校に通えるようになってもらいたい思いを伝え内服薬をはじめることになりました。
内服を始めてから暗黒時代の突入です。