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「日韓併合をいきた15人の証言」 オ・ソンファ

生き証人たちが語ったのは、仲むつまじい日常だった。

ぎくしゃくする日本と韓国。そのきっかけは日本の統治時代にある。でもほんとうに統治は悪いものだったのか。いちばん大切なのは当時を生きた人たちがどのように感じていたかだ。


生き証人がかたる統治時代

▼なかよしだった学生たち

当時を生きた韓国人たちは口をそろえて差別はなかったと語る。

学生時代は日本人も韓国人もおなじ学校で学んだ。そもそも日本人とか韓国人とか意識していなかった。だから韓国人の先輩が日本人の後輩をしかることもある。それからプライベートでもお互いの家に遊びにいったのだ。

▼大人気だった日本の先生

日本人の松尾先生は、わたしを本当にかわいがってくれた。人の道理を教えてくれるような方で、日本人からも韓国人からも尊敬された。だから戦後しばらくして、先生が入院したときは日本までお見舞いにいったんです。

▼実力ベースだった銀行員

わたしは銀行員でしたが、日本人も韓国人もおなじように給料をもらった。経理のやつに全員分の給料をみせてもらったけど、優秀な奴がたくさんもらっていただけで、日本人とか韓国人とか関係なかった。

それから酒に酔って日本人のお偉いさんに「おれは財閥の息子。おまえは百姓の息子」といったけど、そのひとは笑ってゆるしてくれた。

▼戦後もつづいた交流

いまでも同期生の日本人とはつきあいがあるし、よく電話をかけてくる。そのときなんて韓国語で話しかけてくるんですよ。それから同窓会もたまにやったりと、今なお親しい仲なんです。

統治はほんとうに悪なのか

▼お米の収穫量が倍増

さきほど紹介した銀行員の方は朝鮮殖産銀行に勤めていた。この銀行のトップだった有賀光豊の活躍により、朝鮮のお米は収穫量が倍増している。

もともと朝鮮には水路がないので雨が降らないと不作になる。そこで有賀氏は水路をたくさん作った。そのおかげで雨が降らなくても毎年ちゃんとお米が収穫できたし、その量も倍になったのだ。

▼貧民街を近代都市に

本書には日韓併合前の韓国の写真が掲載されている。

併合前はまさに貧民街。藁ぶき屋根の粗末な小屋がならび、ボロを着る市民。不衛生でみるからに貧しい。

ところが併合して30年もしないうちに、道はアスファルトで舗装、路面電車がとおり、コンクリート造の建物が整然と並んだ。この時代に日本がどれだけ朝鮮に投資したかがわかる。

あこがれの的だった日本軍

日本軍はなにかと悪く言われるので補足する。実は日本軍は大人気だった。その証拠が昭和18年の採用状況。わずか6千人の募集にたいして、30万人もの応募が殺到した。日本軍は嫌われてなんかいない。あこがれの存在だったのだ。

言論弾圧をした韓国政府

生き証人たちがかたる統治時代とは、争いがないおだやかなものだった。ところが戦後の韓国では「日本の統治は悪いもの」と教育。その結果、生き証人たちがほんとうのことを語ると「売国奴」と呼ばれるような反日国家になった。

まとめ

日本の統治は近代国家の礎をきずいた。こどもたちを教育し、道路や電車、電気などのインフラを充実。民間人レベルでも自然な交流があり、老後まで親交がつづくケースもあった。

それから日本は朝鮮の統治を望んでいなかった。しかしほっておけばロシアに楽々と侵略される。そうなればそこを足掛かりに日本へ攻めてくるのだ。だから日本を守るためには朝鮮を統治して自立させるほかなかった。


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