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共通テスト当日に、死がルサンチマンを解消した話

本題に入る前にまず、
ルサンチマンとはなんぞや?
と思われる方向けに、ルサンチマンを説明しよう。
ここでは、ルサンチマンを、弱者が自身では到底敵わないと思う強者に対して、内に抱える怒り・憎しみ・嫉妬のこと、と簡略化して捉えさせていただく。

本題に入る。
私は受験生時代
常にこのルサンチマンを抱えていた。
自分より成績が良い、京大に推薦をもらったあの子に対してだ。
自分では到底敵わないと知っていたのに、いや、知っていたからこそ内々に嫉妬の炎を燃やしていたのだ。
また、私はその時期、
精神状態が芳しくなく、
母の偏差値一辺倒の考え方に染まりきっており、やりたいことを基準にするのではなく、偏差値が高いことを基準に志望校を選んでいた。

さらには、自殺も考えていた。
ひとえに私が母の期待に添えないからだ。
そして、母を遠ざけたいと思う自分がおかしいんじゃないかという罪悪も後押ししていた。

これらの要因が重なり、
私のルサンチマンは加速していくかと思いきや、
ある日を境にピタリと止まった

その日は、共通テスト当日だった。
希望大学への推薦も通らず、
試験会場で一人追い詰められていた私は、
もう死のうと思っていた。
浪人が決まったら死んでやろうと思っていた。
しかし、
試験が始まる直前にふと思った。

みんなどうせ死ぬのに。と。

死ぬという結果は同じなのに、なんでこんなに過程にこだわってるんだ?
我々は成果主義を重んじているくせに、
その成果は、全て死という結果に向かう過程の上に生じることを忘れている。
まるで死は訪れないかのように。

皆、死という終着点を忘れて、今という永遠に耽っている
ということに気づいた。
どうせみんな同じ結果にたどり着くんだから、過程なんて自分自身にのらりくらりと従えば良いじゃないかと思えたのだ。
これにより、内に巣食う嫉妬の炎は見事鎮火した。

私は死という結果によって、過程に生じるルサンチマンを克服したのだ。
共通テスト当日に。

という話。






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