『アンサー』(2)
🍣
「ただいまぁ~」
「おお、おかえり、愛」
「あら、父さんもう帰ってたんだ」
「おう。よし、揃ったな。それではこれより、二人のテストお疲れ様会として、寿司を食いに行く! 準備はいいかぁ!?」
「うちの父さんって元気よね」「ね」
「おっしゃあ、寿司ぃ!」
徒歩で店まで向かう。今日は歩いてばかりだ。大学の講義で一日拘束されていたという姉の愚痴を聞いているうちに店についた。
「肘が喧嘩するから、アンタは奥座んなさい」
「父さん寿司久しぶりだあ」
「お茶入れるね」
注文用のタッチパネルを見ながら、何を食べるか迷う。
「とりあえずビール」
「ほいほい、ビールな。じゃあ、二人でコーラか」
「いや、いい。お茶でいい」
「お、そうか。俺もお茶にしよう。じゃあ、まず何から食うかな。優希はマグロからだよな。愛もマグロ?」
「サーモン。二皿」
「マグロ…。いや、エビ。蒸しエビ」
「マグロじゃなくていいのか。じゃあサーモン二皿とエビ二皿で―――」
レーンを回るのを見ながら、この皿たちは選ばれずに来たのか、と考えてしまう。誰かに取ってもらうのを、待っているだけ。
各々好きなネタと三人でサイドメニューのフライドポテトを分けて食べた後、店を出た。帰りにデザートを買って帰ろうということで、コンビニに寄った。プリンが入ったビニール袋を持った父が隣に並ぶ。
「テストどうだった?」
「まあまあ」
「ははっ、『まあまあ』か。…なあ、そろそろ進路の話とか学校で出てたりしないか?」
「…まあ。現時点での希望を出せ、とは」
「ああ、もうそんな時期よね」
姉は既にシュークリームを平らげている。
「それならそうと言ってくれたらいいのに」
「うん…」
「で、考えてる進路はあるのか?」
「…ないことは、ないけど」
「言っちゃいなさいよ。誰も笑ったりしないんだし」
「そうだな。どんなの考えてるんだ?」
「大学には行きたい」
「おお、いいじゃないか」
「大学に行って…」
左手に溶けたアイスが伝う。それほど寒くないのは、春が目前だからか。
「普通に、就職」
「そうか」
「そっか」
二人でニヤニヤしながら顔を見合わせている。
「就職もそれはそれで大変よ。『普通に』とか言うけど。その『普通』が大変なんだって」
「やる前から脅すようなこと言うなよぉ、愛。優希、愛もそうだけど、どの道を選んでも応援するから、してるから」
「…うん。ありがとう」
姉の耳が少し赤い。アイスを持つ自分の左手も、多分赤くなっている。
👊
「よかったじゃん、言えたんなら。てか、考えてたんだぁ?」
「うん、まあ」
「…煮え切らない」
「…そんなことない」
「言い聞かせてるみたい」
「そう聞こえる?」
「顔が割り切ってない」
「…はぁ」
真昼の蛍光灯の下。口に運ぶアイスもない。手は赤くない。
「でも噓はついてなさそう」
「それは、そう。応援してくれるのは、嬉しい、本当に」
「そうだね。正面切って言われると、手ぇ出そうになるけど」
「顔から火じゃないんだ」
「うん。手」
「激しめの愛情表現」
「適切な愛憎表現」
ヒナタがプチトマトをこちらの弁当箱に寄越した。お返しにブロッコリーを渡す。
「なんにも憎むものないでしょ、トマト以外」
「別に憎んではない。好きになれないだけ」
「トマトは悪くないのに」
「まあ、でもわかる。働きたくない。社会に出たくない。大人になるのヤダ。ずっと高校生とか大学生がいい~。気ままに生きたい」
「ピーターパンの両手じゃ間に合わなさそう」
ブロッコリーを咀嚼し終えたヒナタが口を開く。
「違うわけ?」
「大人には、早くなりたいよ」
「じゃあ何さ」
「したいことと、しない方がいいこと」
「ユウキさ、先生になるのとかどう?」
咀嚼したトマトを飲み込んで言い返す。
「…ヤダ」
「ちょっと考えたでしょ」
「ちょっと考えただけでヤんなった。向いてないよ」
「でもさ、思ってることは全部ぶちまけちゃった方がいいんじゃない? 遅くなっても余計言えないし。家族だし」
「吐き出せない毒だってある。自分にだけ効くわけじゃない」
「なら尚更じゃない?」
「そうだけど…」
「後で誰かが苦しむくらいなら、その前に…」
「…っ――わかってんだって!」
集まる視線は冷たくない。どちらかと言えば、不快。
「…ごめん。しつこく言った」
「……ごめん。でも、正論が欲しいんじゃない」
食べかけの弁当をしまい、教室を出る。建付けの悪いドアと、自分が嫌いになる。
🧪
昼休み明けの授業が移動教室だったおかげで、良くも悪くもヒナタと会話する機会がなかった。そのまま放課後に入り、部活に向かうヒナタの背中を見送ってから下校した。
気も足も重いまま家に帰ると、姉がソファに寝っ転がって本を読んでいた。分野はわからないが、専門書っぽい。大学生も大変だ。
「ん、おかえり」
「ただいま。眉間にしわ寄ってるよ」
「これが俗に言う不可抗力ってやつよ。いい勉強になったわね」
「それで勉強になってんの?」
「愚問ね」
「さいですか」
弁当箱に残っている昼食を食べ終える。昼休みに食べきらなかったせいで空腹だったことに気付いた。
自分の部屋に上がり、机の傍の床に鞄を下ろす。中からノートと進路関連の冊子、クリアファイルを取り出す。取り出して、机に置くだけ。
どのくらいボーっとしていたのか、日はもう沈みかけていて、進路希望調査書だけが白い。暗くなった部屋で見下ろす机に既視感を覚える。いつかこんな日があったな。時間だけが過ぎていった日が。
「入るわよ。暗っ、電気点ければ? ―――何よ」
「ノックしながらじゃなくて、してから入ってよ」
「ああ、ごめん。とりあえず点けるわよ。何してたのよ」
「別に、何も」
「そりゃそうか。…進路の話だけど」
ベッドに腰を下ろして姉を見上げる。マットレスは以前ほど押し返してこない。
「大学進学して、就職だっけ?」
「…うん」
「どこまで本気よ」
「どこまでって…全部だけど」
「『普通に就職』ってあたり、最高にアンタらしいなって思った。学力も別に心配要らないでしょ。けど、なぁんか信憑性に欠ける」
「…」
「勘だけど? 姉の」
「何も聞いてない」
「『なんで?』って言ってた」
「顔が?」
「心じゃない? 相変わらず隠し事が下手ね」
また無茶苦茶なことを言う。姉が見つけるのが上手すぎるだけ。
「その観察眼も、進路には必要?」
「もちろん必要だけど、アンタ相手に観察も何もないわよ」
「なんでもできちゃうよね」
「そんなことはない。やりたいことやってるだけ。要領は悪くないけどね」
「自分で言うんだ」
「アンタだってそうでしょ」
「詰めが甘いとはよく言われます」
「そうね。でも逆に言えばそれだけよ。やったらできんだって」
「…姉ちゃんだから言えるんだよ」
「私を信じてないわけ?」
「?? な、なにそれっ」
「こんだけ一緒に生きてきた奴の言うことが、すんなり信用できないのかって言ってんの」
姉は僅かな苛立ちも隠そうとしない。
「家族だからって全部わかるわけじゃないでしょ」
「家族と同等かそれ以上にわかる人が居るわけ? 居るんだったら連れてきなさい」
「ヒナタとか」
「一生大事にしなさい」
真顔で言うのだから、拍子抜けする。
「ふっ」
「何が可笑しいのよ」
「いや、別に。真面目に話そうとしたのが負けだった」
「真面目な話ですけど?」
「うん」
「で、ホントのとこ、言いなさい。言ってもバチは当たらない」
「そっか。…そうだね」
どこか近い所で、長針が動いた音がした。
(続)
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