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『アンサー』(3)

          🎬
「父さん?」
蛍光灯の下、珍しく姉が頓狂な声を上げた。
「うん。父さん」
「アンタも宇宙飛行士志望?」
「いや、飛ぶ方じゃない」
「えっ、オペレーターとかってこと?」
美形の姉の顔に、頭の中の疑問符が浮かび上がっている。
「いや、あくまで開発とか、遠回りだったり間接的でも、サポートに」
「はえ~」
「予測してなかった?」
「『飛びたい』とかは言わないと思ってたけど…。てか、そもそもそっち方面だとは全く」
「そうだよね」
 
 
 久々の再会を前にドキドキと不安を抱えた家族に対面した父は、やつれた顔で口だけで笑うのが精一杯だった。そもそも、あの表情は笑顔と呼べるものだったか。羞恥心の欠片もなく『地球は青い』と言い切った、あの打ち上げの時に見せた光は、目から消え失せていた。
「――――ですね。長期化の可能性も大きいと思います」
 無機質な部屋には似合わない、同情的で深刻な医師の声。澄んだ、とは言い難い、人工的に管理された部屋の潔癖な匂いで、まるで自分が患者であるかのように錯覚した。
「もちろん個人差もありますが、今回の場合は特に、可能性は高いかと」
「直接経験したから、というのが大きいのでしょうか」
母の声もらしくなかった。いつも堂々と凛とした声だが、その時ばかりは困惑が滲んでいた。
「もちろんそれもあります。また―――、私は懸念点だと思っています」
医師のやけに丁寧な言葉に、なんとなく〝大人〟を感じたのを覚えている。
 一見何の問題もなさそうに見える父が、元気な挨拶と笑顔の裏に薄暗いモノを隠しているのかも、と思ってしまった途端に、誰か知らない人と相対しているのかと錯覚してしまった。いつも通りが再び訪れはじめても、どこかに影を見つけてしまう、見つけようとする、そんな自分がすごく嫌だった。
「父さんは父さんよ」
 優しさとも、諦めともつかない声音で、母は言った。
「そうね。好きなことやってきたんだから、私だって好きにやるわ」
「ええ。それがいいかも」
 二人の言葉を聞いた時、そう言い切れるのが不思議で仕方なかった。
 
 
「姉ちゃんだって、同じじゃん。父さんのためじゃないの?」
「父さんだけじゃないわよ。同じような人がどんだけ居ると思ってんの」
「どれくらい居るの?」
「それはもう、たくさんよ」
開き直りに聞こえないのは、姉の纏う雰囲気の成せる業だ。それに反して、この口から出る声は萎んでいく。
「立派じゃん」
「自分の考えは立派じゃないとでも?」
「…きっと、父さんは嫌がる、と思う」
「家族だからって全部わかるわけじゃないらしいけど?」
「瘡蓋を剥がすのは趣味じゃない」
「どこが瘡蓋なのよ。こういうのはいつまでたっても血みどろの生傷なの。どれだけ直射日光に晒しても、バイキンが死滅して瘡蓋ができて、ってことにはならない」
「だったら尚更、どうすればいいのさ」
目の前に立つ姉は、よくぞ聞いてくれた、とでも言いたそうな顔をした。
「簡単じゃない。名誉の負傷にしちゃえばいいのよ」
「…父さんが?」
「みんなで。できる人ができることやって。それでようやく父さんも弁慶になるのよ。義経なんて居れば居るだけいいんだから」
詭弁だ。それをわかっているだろう姉は、仁王立ちで笑っている。
「逆だよ。弁慶の方が郎党だから」
「知ってるわよ」
「それに弁慶じゃ、死んじゃうじゃん」
「人間誰だって死ぬものよ」
「まあ、そっか…」
「とりあえず、本人に言う所からね。どうせ気付いてるだろうけど」
「えっ」
「私がわかってんのに、父さんが気付いてないわけないでしょ」
 それもそうか。そりゃそうだ。
「あ、それと本題だけど、今日の夕飯のおかず当番、アンタだからね」
 そうだった。忘れていた。
 
          🥢
「ただいまぁ~。外までいい匂いしてたなあ、今日のご飯何だ?」
「ユウキがつくった生姜焼き」
「おお~、いいじゃないか。大好きな生姜焼き、しかも優希の手づくり」
「もうちょっとだから、待ってて」
 晩御飯も、心の準備も、もう少し。
「「「いただきます」」」
いつも通り、揃っている時は全員で食卓に着く。
「うん、うまいな。うまいぞ」
「そっか、よかった」
「春から高三だもんな。それこそ大学進学して、もし一人暮らしすることになったら料理の腕は必要になるだろうからな。たくさん練習しとけぇ」
「ユウキは、料理の前に友達つくる腕前磨かないとじゃない?」
キャベツを避けて肉だけを取りながら、姉が言う。
「いっぱい居ればいい、ってわけでもないだろ?」
少量の肉と姉が取らなかった分のキャベツを、父は口に運んでいる。
「そうね、確かに」
「ん、なんだ、愛。お前まさか…」
「さあね」
「えっ、ちょ、愛?」
「あのさ」
思ったよりも声が出た。自分でもびっくりしたが、父もびっくりしてこちらを向いていた。
「おう、どうした」
「あの、進学のことだけど」
 左手に持っていた箸を置く。
「おう」
 父も箸を置いた。姉だけは食事を止めない。
「大学進学したいのは、本当。大学行って…」
「…大学行って?」
「宇宙の勉強がしたい」
どうしても、言葉足らず。
「宇宙か。…道はそれだけじゃない、ってのは言わなくてもわかってるな」
「うん」
「そうか。で、具体的には?」
「具体的に…。宇宙工学とか、あとは技術的な支援。安全を保障する宇宙服とか。宇宙飛行士や、宇宙に関わる人のためになることがしたい、と思ってる」
「安全を保障する、か。宇宙なんて安全の対義語だもんな。それは俺が一番よく知ってる」
続ける言葉を持ち合わせてなかった。今は何を言っても野暮になる。
 父はおもむろに箸を取り、豚肉一切れとキャベツを白米と一緒に一口で頬張り、モゴモゴしている。咀嚼し、飲み込み、水も飲んだ。そして深く息を吐いた。
「…優希」
「うん」
「生姜焼き、めちゃくちゃ美味いな」
「え」
「いつの間にこんなに料理上手くなったんだ?」
笑っている。口の端に千切りになったキャベツをつけながら。
「ほんと、美味しいわね。私の味噌汁も天才」
「そうだ、愛の味噌汁も天才」
大皿から容赦なく減っていく豚肉を見て、慌てて二切れ、自分のご飯茶碗にキープする。
「俺はな、最近こう、もどかしいというか、複雑な気持ちになることがある」
「複雑?」
「寿司屋行ったろ、昨日。あの時、いつもの優希だったらって思ってたことが、外れたな」
「コーラ事件?」
「よく覚えてるな、愛。だが惜しい。コーラ・マグロ事件だ。テストに出るぞ」
「何のテストよ」
放って置いたら適当な漫談を始めそうな流れだ。
「それが?」
「生姜焼きもそうだけど、優希のことも、愛のことも、知らないことが増えてきた」
「そんなもんでしょ」
「そうだな。きっとそんなもんだ。俗に言う『普通』ってやつだな」
『普通』を俗に言わせる父は、確かに『普通』とは違う。嫌というほど見知ってきた。
「でもな、それが二人の成長だってわかってても、自分が知らないってだけで、ちょっと寂しい。今までとは逆だな。これまでは何でも知ろうとしたし、知っているつもりだった」
「まあ確かに。家空けてた間なんか、母さんと競ったり」
「そうだ。母さんも母さんで、やたら嬉しそうに煽ってくるんだよな。『私が一番知ってるのと』と言わんばかりにな。おかげでアルバムやら写真フォルダはぱんぱんだ。現像するタイミング見失った宝物もいっぱいある」
「それはいいわよ。それで?」
「知らないことが増えてくると、不安になる。思うにこれは人間の本能的なモンだろうな。大丈夫だとわかってても、心配して疑う俺がもう一人いる」
「知らないことがあるとモヤモヤはするわね」
「そうだ。だからこそ、知らなかったことを知った時は、余計嬉しいな。しかも宇宙だと?」
 笑った顔を前にしても、父の口からその単語が飛び出すと身構える。勿体ぶるからなおのこと心臓に悪い。色を失くし、凍ったような目がフラッシュバックする。
「嬉しいにも程があるだろ」
満面の笑みだった。どうやら、既に雪は溶けていたみたいだ。
「宇宙だもんなあ。ほんと、優希は凄いこと考えるな」
「たま~に突拍子もない事するわよね」
「驚きはするよな。にしても、大人になってきたなあ。一人で自転車漕げるようになって、一人で遠くまで遊びに行っちゃった感じだな」
「迷子になってるし」
姉がドヤ顔で豚肉を頬張る。そろそろ本当に生姜焼きがなくなりそうだ。
「知らない所で、たくさん考えてたくさん悩んで、たくさん新しいことして。でもそうだよな、変わっていくのも当たり前だよな」
「そりゃそうでしょ。父さんといっしょ」
「俺もそうか。…そうだな」
「緑色のスライムが、遊んでるうちに手垢が混ざってくすんだ色になってくのと同じよ」
「多分ちがう」
姉もたいがい突拍子がない。口をはさまずにはいられなかった。
「え、あれ手垢なの…マジ?」
「父さんは抹茶色になったスライム見て喜んでんのよ」
「そうかあ」
「絶対に、ちがう」
茶化し方にも程がある。

         (続)


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