『アンサー』(4)
🌃
「母さん元気だった?」
「おう。あれは俺と会って元気になった顔だったなぁ」
二人の肩の間を、夜風が通り抜けていく。厚手の上着でなくても丁度良い気温だ。
「忙しそうだった?」
「ああ。『今いいところ』らしいぞ」
「久々に聞いたな、それ」
「ちょっと雑に扱ってくるのも相変わらずだ。愛は母さんに似たな」
「そうかな」
「優希も母さんに似たな」
「そうかな?」
「そうだ。正直ちょっと悔しいな。でもそんなことより、もし優希が家出たら、寂しくなるなあ」
父の顔を直視できない。でも、夜道だから仕方ない。
「出るだけだよ。離れるわけじゃない」
「いつからそんなこと言えるようになったんだ? うちのみんなは俺たらしだな」
「よく言うよ。誰が一番たらしなんだか」
「そうか?」
「そうだよ」
住宅街を抜けて県道に出た。通学路に合流した形になる。暗い上に車通りも少ないため、受ける印象は昼と大分ちがう。あまり一人で通りたくはないな、と思う。
「優希、さっきの話で言ってたのは目標だよな。夢はあるか?」
「夢? 高校生になって?」
「ないのか? 高校生でそれはちょっと…夢がないな、ロマンも」
「同じこと二回言ってるだけだよ、それ」
「冷めてるなあ。そういうとこはやっぱり母さん似だな」
同じ話になりかねないので、試しにかねてからの疑問をぶつけることにした。
「目標と夢って何が違うの?」
「…何が違うんだろうなぁ」
「…え」
「いや、実際どっちも叶えたいものではあるだろ? そんでどっちも叶えたしなあ」
「自慢じゃん」
「夢を叶える手段とか通過点かな、目標は」
「目標が達成できなかったら?」
「夢は夢のままだな。だからこそ夢だとも言える」
「…なるほど?」
夢なんて考えたこともなかったけど、夢かもしれないものは、あるには、ある。
「もっかい、宇宙に」
あの時の光を失った父の目は、果てしなく闇が広がる宇宙を映していたのかもしれない。もし自分がそうなったら、鬼のいないかくれんぼなど、多分気が狂ってしまうだろう。
「ダメかな?」
「ダメなわけあるか。嬉しいって言ったろ。というか、みんなスパルタだな」
「無理はしないで。宇宙に行けるのは父さんだけじゃないし」
「うわあ。急に現実的」
「夢のない高校生だから」
赤信号に立ち止まる。大きめに息を吐き出す。
「この道は、この選択肢は、選ばない方がいいのかなって思ってた。よくないのかなって」
「誰がそんなこと決めるんだ?」
「わかんないけど…」
「誰かに見てもらうために選ぶわけじゃない。『青春の1ページ』とか言うけど、それを読むのは〝誰か〟とか〝みんな〟じゃないからな。まして物語でもあるまいし」
「じゃあ誰が読むの?」
「読む、とかじゃないだろうな。死ぬ前に思い出せるものがあったら、それでいいんじゃないか?」
父は、『死』を感じたのだろうか。その時、誰を、何を思い浮かべたのだろう。
「それに道は一つじゃないし、歩き方も一つじゃない。そりゃ、偶には『飛車』とか『角行』みたいなやつもいるけどな」
「姉ちゃんは『桂馬』かな」
「はははっ。愛は『桂馬』かあ。『金』にもなるしな。意外と『香車』もいいんじゃないか」
父が楽しそうに笑う。
「母さんは?」
「『王将』」
「言うと思った」
信号が青に変わった。もう一度歩き出す。
「もうちょっと歩いてから帰ろう。なんか買って帰るか? その、デザートとか?」
「最近多いね。太るよ?」
「うっ、我慢するかあ」
夜風も、もう寒くない。
🌸
懐かしい景色。ちょっと足を延ばして遠出した結果、膝に傷を負って帰った時の父の狼狽えた顔。そんな父の顔を見て自分が泣き出したのか、視界がぼやける。はっきり見えるようになったと思ったら、目の前に両親がいる。けがを心配し、一人で遠くに行くことを優しく諫めた二人の複雑な表情が並ぶ。一度瞬きをしたら、青空の下、目の前を立ち漕ぎで走る姉の背中が目の前にある。突き放されるほどの速度は出ていないみたいだ。
視界に自分の机が映る。横を見ると、ほんのり明かりを受けたカーテンがある。自室だ。
部屋を出て、リビングに向かうために階段を下りる。十四段あったことを確かめ、階段の傍にあるトイレのドアを開ける。
トイレで用を足してからリビングに入ると、皿を空にした父が食卓に着いていた。新聞からこちらに視線を寄越した父は、コーヒーの入ったマグカップを口から離し、挨拶してきた。
「おはよう」
「ん。おはよう」
キッチンを通り過ぎ、洗面所で顔を洗いながら、朝食を何にするか考える。今日はソーセージにしようか。さっぱりしてからキッチンに戻り、冷蔵庫を開け、ソーセージを焼き始める。ケチャップは卓上に出ていた。
「いただきます。姉ちゃんは?」
「まだ寝てるんじゃないか? 今日は大学もバイトもないって言ってたし」
「ふうん。いいね大学生は。休みが長くて」
「そうだな。今日は自転車か?」
「いや、天気いいし歩いて行く」
「そうか。気を付けてな」
「父さんは?」
「俺は病院」
「そっか。気を付けてね」
昨日と同じ時間に外に出た。ドアの外は今日も晴れだった。玄関先に塀の影が差している。タンポポはわずかに葉に水を溜めている。
なんとなく、前を向いて歩いた。目新しいものも、自分を見てくる視線も何もない。街がただ少し静かに動いている。県道に出てもそれは変わらなかった。速くはないが止まることのない歩調に、息が弾む。正門前の信号で一つ深呼吸をした。
「おはよ」
「おはよ」
後ろから歩いてきたヒナタが、隣に並ぶ。
「今日も自転車パクられたの?」
「いや、今日はなんとなく歩きたかった。早く起きたし」
「ふうん。…あのさ、ごめんね」
「いや、こっちこそ」
「思慮足りなかった。怒らせたと思ってる」
「怒っちゃったと思ってる。でもいいよ、もう。どっちも得しないからさ」
「そうだね、ありがとう。…ユウキさ、なんかあったでしょ」
「断定?」
「断定できるね」
「あったよ、なんか」
「へえ、教えてくんないんだ」
ヒナタの笑顔を見て、安心した。昨日の自分は不安ばっかりだったことに、改めて気付く。
「知ってる? 将棋の『歩』ってさ、可動範囲が前に一マスだけ」
「知ってるけど」
「でも一定ラインまで進むと、『金』と同等になる」
「知ってるって」
とは言いつつ、ヒナタは楽しそうに話に付き合ってくれる。やっぱり喧嘩はつまらない。
「いいよね。『王』になるんじゃないんだよ。〝一歩ずつ積み重ねれば最強になる〟とかじゃなくて、〝負けずに真っすぐ歩け〟ってことでしょ」
「なるほどね。ははっ」
「しかも一列に二個、『歩』は置けない」
「『二歩』ね」
「でもそれは、二回目がないってことじゃない」
「確かに」
「いいじゃん、『歩』。好きになれそう」
「テンション高いね。どうしたの、いきなり将棋の話。好きだったっけ?」
「昔母さんにボコボコにされたのを思い出しただけ」
「ホントに~?」
「ホントに」
信号が青になる。正門をくぐって教室を目指して歩く。
「あ、そうだ、春休みどこ行く? 遊園地、水族館、映画、買い物、科学館とか博物館、エトセトラ、エトセトラ…。どっか行こうよ」
ヒナタだって、テンションは高い。声が弾んでいる。
「後半渋いチョイスだね」
「なんかいいかもなって。高校生だし」
「確かに。なんかいいかも」
「どこにする?」
いつだって、誘ってくれるのはヒナタだ。でも。
「んー、一旦保留」
「保留? どこ行くかを?」
「全部保留」
背後から風が吹いた。柔らかく、あたたかい風だ。そろそろ桜の開花の時期だろう。
「えー、なんでぇ」
「なんでも」
足早になり、ヒナタが一瞬だけ出遅れる。
「ちょ、待ってよ。なんかあんの、今日?」
「べつにい」
紙はまだ白い。早く自分で、自分の色を。それだけ。
また春が来るから、その前に。
(完)
inspired by 「春が来てぼくら」/ UNISON SQUARE GARDEN
https://www.youtube.com/watch?v=vrd95QQe6Gc
「アンサー」/ BUMP OF CHICKEN
https://www.youtube.com/watch?v=bRWQckbQ9tQ
『3月のライオン』/ 羽海野チカ / 白泉社
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