Skyward 2話
アーツとリクオの2人は、青い帽子の少年とぶつかった場所まで戻ってきた。
「ごめん、リクオさん。オレがもっと用心してれば…。せっかくリクオさんが用意してくれたチケットなのに…」
アーツは申し訳なさそうに俯いている。
リクオは「大丈夫だよ」と笑って見せた。
「そもそもビルム・インガムでスリなんてほとんど聞いたことはない。ぶつかった拍子に落としたのかもしれないし、念のため探してみよう」
アーツを気遣いそうは言ったものの、リクオは先ほどの青い帽子──確かハンチング帽だった──の少年の行動をずっと怪しんでいた。ドラマじゃあるまいし、あんなぶつかり方、なかなか現実では見掛けない。
リクオは道の端を、アーツは路地を覗き込みながらチケットと少年の姿を探した。
リクオはふと、青い色が動いた影を感じ、路地に視線を移す。一瞬だったが、何かが奥へ消えた気がした。
確かあの先には…。
「アーツ、少し待っててくれるか?」
「え?…はい」
頷くアーツに少し笑顔を見せ、リクオは路地に入っていく。そんなリクオの行動を不思議に思ったアーツは、どこに行くのかとその背中を注意深く見守った。
リクオが『pause restaurant&Bar』と看板に書かれた店に入って行くのを確認すると、アーツはその後を追う。
「よう、ノア」
リクオは、カウンターの向こうにいる店のマスターに向かって軽く手を挙げた。
比較的広い店内には数人の客がチラホラと見えた。
世間話に華を咲かせているのは、たぶん常連客なのだろう。荷物も少なく、ラフな格好をしている。
観光客らしき人はあまり見当たらない。
「…リクオ?リクオ・ワディスか!どうしたんだ、いきなり現れやがって!どうしてここがわかったんだ、偶然か?」
ノアと呼ばれた店主は嬉しそうに、カウンターに身を乗り出した。「久しぶりだなあ!元気そうじゃないか。…仕事か?」
リクオの全身黒づくめな服装を見ながら、ノアと呼ばれたマスターが言った。
「いいや」
懐かしさで嬉しそうな店主にリクオも少しだけ笑顔を返し、カウンターに寄りかかる。「そっちも元気そうだな。ちょっとドゥイスバークまで野暮用があってな。それより聞きたい事があるんだが…」
「誰だろう…?」
アーツはリクオが入っていった店の中を、窓から覗き込みながら呟いた。「知り合いっぽいなぁ。とすると、仕事関係の人かな。IIBとか?」
世界には『IIB』と呼ばれる捜査局が数カ国に存在しており、ここビルム・インガム国にはその本部局がある。
IIBは各地区の警察と協力しながら犯罪を取り締まっているが、IIBの扱う事件はより難解で凶悪だ。しかし、その内容を把握している者は多くはない。
アーツの旅の連れであるリクオは、以前IIBに勤めていた。身分証明として各人にバッジが配布されており、休日もそのバッジは携帯するのがIIBの決まりであるらしく、以前からのその癖が抜けないからだろうか。現在は休職中であるにも関わらず、今回の旅行にもバッジを持ってきてしまったと道中の車内でリクオは言っていた。
バッジを見せれば泣く子も黙る、と言っても過言ではない組織の一員との旅行だ。もし、あの青い帽子の少年が何らかの理由でスリを行ったとして、警察に届けるのは最終手段で良いかもしれない、とアーツは想った。
リュックを開け、お金の入った財布を覗き込む。
今からチケットを取り直すと、出発は明日以降になってしまうだろう。なんせ人気の船旅だ、取りづらい予約を、せっかくリクオさんが取ってくれたというのに…。
1泊2日の客船のチケット代とは、一体いくらなのだろう。きっと高いに違いない。高校生の自分が簡単に払える金額ではないだろう。
コースを変えて空路で行くことも可能だが、リクオ曰く、船で行くことに何か意味があるようだ。
それに旅行先でのことを考えれば、余計な出費は出来れば避けたい。
「情けない…」
アーツはガックリと肩を落とした。
とにかく落としたのなら風で飛ばされていないことを祈るか、親切な人が交番に届けてくれていれば…。その可能性はどの程度なのだろう。
でももしあの青い帽子の子がスッたとして、持っててくれてた方が見つかりやすい…のか?
アーツは腕を組みながら、うーんと頭を悩ませる。
ふと、店内を再び覗き込んでみた。まだリクオは店員らしき男と話しているようだ。待つよう言われたものの、しばらく出て来る気配はない。
落ち着かないアーツは、とりあえず自分も店内へ入ってみることした。
地元のそれより広く開放感を感じる店内に入った途端、ちょうど前を横切った店員の運ぶ美味しそうな肉料理の香りが、腹の虫を呼び覚ます。
「邪魔だぞ、坊主」
お腹をさすりながら肉に見とれていると、後ろから店内に入って来た2人組の男に睨まれてしまった。
アーツは慌てて端に寄り、小さな声で謝りながらリクオを探す。相変わらずカウンターに寄りかかって話をしているリクオを、すぐに見つけることが出来た。
どうやら、さきほど肉料理を運んでいた店員の女性に声をかけられている。肩に手を置かれているが、何の話をしているのかは聞こえてこない。
「つれないわねえ」
フフッと笑いながら女性がリクオの元から去ろうとした時、アーツと目が合った。
「あら、いらっしゃい。坊やお1人かしら?」
「いえ、知り合いが…」
アーツはそう言ってリクオの元へ行くと、彼の腕を掴んだ。
「アーツ?来たのか。待たせて悪いな」
リクオが気づき、アーツに声を掛けると、カウンターの向こうにいる男がリクオの影から顔を出した。
「なんだリクオ、一人じゃなかったのか」
店主であるノアが、リクオに目で合図するようにアーツをちらりと見やる。
「ああ、連れだ」
「若いな。まだ高校生くらいじゃないか?」
アーツの顔を覗き込もうとするノアから隠すように、リクオはアーツをさりげなく背中に回した。
「ここの事は前にジュンリー…、ロイジャー教官に聞いたことがあってな、思い出したんだ」
「…父さんの話?」
アーツがボソッとリクオの耳元で呟くと、リクオは制止するかのように目配せをした。どうやら、口を挟まない方が良さそうだ。
「へぇ、ロイジャーか。そういやあの人、前にここへ来たことがあるよ」
ノアは懐かしそうに笑った。
ジュンリー・ロイジャーはアーツの父親の名前だ。父はIIBの候補生を育てるアカデミーで教官をしている。
父のことを知っているのかと、アーツはリクオと店主を交互に見た。
アーツと目が合ったノアが、
「ああ、自己紹介がまだだったよな」
と口を開く。「オレはノア・グリースだ。よろしく」
「あ、よ、よろしく。アーツです」
ノアが差し出した手をアーツは掴み、握手を交わす。握力が強い。腕の太さから想像した以上の強さだ。
「俺はリクオとIIBアカデミー時代の同期でな。今はここで、親の店を継いでる。町のことは大抵知ってるから、なんでも聞いてくれ」
がっはっはっと豪快に笑うノアに圧倒され、アーツは愛想笑いをして小さく頷いた。
「ずいぶん大人しい性格みたいだな。リクオとはどんな知り合いだ?」
「こいつのことはいいから」
アーツに質問しようとするノアに、リクオは割って入る。「さっきも言ったが青いハンチング帽の、12、3歳くらいの子供だ。少年に見えたが、少女かもしれない。何か知らないか?」
「なんだよ、リクオ。少しくらいリラックスしろって」
ノアは笑ってリクオの肩をポンポンと叩くが、リクオは笑っていない。
「船は19時出港なんだ。それまでに見つけないといけない。アテはあるのか、ないのか」
「…今日は家族連れも多いからな。青いハンチングの子供ってだけじゃ…」
ノアはグラスを拭き始めながら首を傾げている。
「隠し事はなしだ、ノア」
まっすぐに店主を見つめるリクオ。「“青いハンチングの子供”なんて条件、そうそう何人も現れるもんじゃない。むしろ、目印にさえなりかねない。違和感があるんだ」
リクオのその視線は、知ってるぞ、とでも言うような鋭い視線だ。ノアは息をついた。
「…やれやれ」
ふぅっと小さく息をつき、持っていたグラスをそっとカウンターに置いた。「確かにおまえには借りがあるし、力になりたいが……。なあリクオ、なんでその子供を追っている?」
「そいつは、連れの舟券を盗んだかもしれない」
その言葉に、ノアは驚いた顔を見せた。リクオはその表情の変化を見逃さない。「もし庇ってるのなら、今後おまえとの連絡は絶たなければならなくなる。オレは舟券を取り返さないといけなくてな」
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