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【🍋ノスタルジーシリーズ#59】昔あった怖い遊具たちの話。
まず謝罪を笑
昨日、もう一記事アップしますと書いたのに、たいこばしの絵を描いていたら難しすぎて寝落ちしました。すみません。
結局何回描いてもへったくそだったのでそのまま載せます。
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昔、最初に通っていた小学校の遊具に『たいこ橋』があった。
たいこ橋というのは、ヘッダーにあるような遊具のことである。
ここで一旦話を中断するが(え、早速?😂)
サザエさんに出てくるイクラちゃんのママって、私は小学校高学年ぐらいまでタエコさんなのだと思っていた。
1人だけ魚介類じゃないなと思ったら、磯野家の謎だかそんな本を読んで『タイコ』だと知った。
おめでたい名前だなぁ。
イクラの母なのだから、サケミさんでもよかったのでは。マスミさんとか。
あ、そうなるとマスオさんを変えなきゃならんのか。
でもマスオさんはマスオ!って感じの顔してるよね。
あとさ、これ以上ピッタリなのないわ!ってのがあなごさんだよね。あの人あなご顔だよね。
(あなご顔とは、、)
時を戻そう!(ぺこぱ
はい。たいこ橋の話ね。
その学校にあるたいこ橋は、ヘッダーにある絵の橋が交差した遊具であった。
交差部分の真ん中は四角の穴?(穴っていうのか?この場合)空洞?鉄筋と鉄筋の交差による四角の枠、、?になっており、よく考えたらちょっと危ない構造であった。
私たちはたいこ橋が好きで(といっても私は高所恐怖症のため、その麓あたりで日向ぼっこをする、という感じだ)
小4当時、交換日記をしていた6人で、昼休みはたいこ橋で日向ぼっこをしながらおしゃべりしていた。
アクティブなすずなんかは登ったり降りたりを繰り返し、私はたいこばしの曲線に沿って寝そべる形をとっていた。
冬の日差しが暖かく、すきな時間であった。
さて、そのたいこ橋に一個上の女の先輩がきた。
その先輩は今で言う支援級の児童で、いつも1人で遊んでいた。優しくて面白いことをいう感じの女の子だったと思う。
声も体もとても大きいので、私は彼女の存在を知っていた。
その先輩はズンズンとやってきてたいこ橋をあっという間にてっぺんまで登り、てっぺんの場所に立ったり座ったりして遊んでいた。
すると、てっぺんから
『んぐぎぎぎぎぃぃぃ‼️』とうめき声が聞こえてきた。
私たちが驚いて上を見上げると、その先輩は先程記述した空洞の部分に引っかかってしまい、
首だけがたいこ橋のてっぺんにあり、首から下がたいこ橋からぶら下がっている状態になっていた。
つまり、吊られているような状態である。
しかも、パニックを起こして体全体を揺らしているため、さらに悪い状況となっている。
顔がみるみる真っ青になってゆき、このままでは死んでしまう、、!と、私たちは急いで先生たちを呼びに行った。
すぐに先生たちが駆けつけ、下で支える先生4人➕首をどうにか抜けさせようと頑張る先生2人という計6人で救出作業が始まる。
私たちは息を飲み、下で見守っていた。
数分の格闘のあと、無事その先輩は救出された。
そして一言。
『ふぅー!あっぶねがっだァー!』
となぜか訛りながらいつもの大きな声でいい、先生たちは保健室や病院に行った方がいいと心配するも
『おら、だいじょぶだぁー!!』
といいながらズンズン校舎の方へ帰っていった。
その後も彼女の元気な姿を度々目撃したので、あの時本当に無事でよかったな、と思うのである。
だがたいこ橋には二度と来なかった。
他にも、回旋塔という遊具があった。
三角錐みたいな形の、、、わかる?同世代はわかりますかね、、、
ぶら下がって、ぐるんぐるん回って遊ぶ遊具。
私は危ない遊具は一切やらないタイプなので(怖がり)見ていたのだが、ある日高学年男子とケントたちがそれにぶら下がって、とんでもない高速回転をしていた。
ケントはこちらを参照↓
※ケントはヤンチャ系男子である。
危ないなぁ、、と見ていたのだが、案の定。
高速回転でケントは飛ばされ、全身血まみれになっていた。
どこをどう怪我したのか分からないぐらい血まみれで、恐怖すぎて私は大丈夫?と声をかけることすら出来なかった。
先生が3人ぐらい走ってきて、大丈夫か!と言っているのをボーっと見ていた。
『あー大丈夫大丈夫!』とケントは言いながらも、少し涙ぐんでいたので余程痛かったのだと思う。
回旋塔はギチギチに縛られ、翌日から使用不可になった。
次にロープウェーだ。ターザンごっこができる、あの遊具。
私は怖がりだが数回やったことはある。
その遊具に乗った時はアーアアーとターザンの真似をしたが、ターザンて本当にそんなこと言うのだろうか。
というかターザンがなんなのかすら知らないのだが。
ターザンが肩出しのあの毛皮みたいな服を着てアーアアーというのは、もしかしたら日本人全員が着物を着ておいでやすぅ、と言っているぐらい見当違いな想像なのかもしれない。
ちなみにそのロープウェーだが、ある朝登校したらそちらもがんじがらめに縛られて使えなくなっていた。
こちらは、夜に不審者が侵入したらしく、犬がくくりつけてあったというのだ。
先生が言っていたのだが、事実なら相当物騒である。
昼休みにみんなで見に行ったところ、ロープウェーのある一箇所に血溜まりができており、信憑性が増した。
犬が可哀想だし、そんなことをする人が近くにいるのかもしれないと思うと、とても怖かった出来事である。
というわけでひとつ、またひとつと使える遊具は減っていった。
そのほかにも非常に危険な雲梯、、?があった。
高さがかなり高かったのだ。これって学校に置いて大丈夫なの?というほどの高さ。
馬のような形をしており、近くにあった登り棒よりも高かった記憶がある。
(だが小4の記憶なので、実際どのぐらいの高さだったのかは不明である)
こんな感じ↓
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帰りまできっと何時間でも立たされる
地獄の時間である
それを小4の体育の時間に、またあのOという担任が全員登れと言い出した。
体育の単元にそんなものはなく、他のクラスはやらなかったのに、またOの思いつきで私たちのクラスだけが無理矢理やらされることになったのだ。
※とんでもない教師Oの記事はまだ全然書き終わらないので、とりあえず触りだけでも書いてあるこちら二つの記事をどうぞ↓
Oという教師は、今まで出会った人の中で1番最低な男。
精神病院を出た後も教師を続けたとかゾッとする。
場面緘黙症のキューちゃんを恫喝して数時間立たせ続けたのもこの教師である。
さて、話を戻すと、この『雲梯に登って、降りる。』
ただそれだけなのだが、私は高所恐怖症なので絶対に嫌だった。
見上げると何メートルあるのか分からないぐらい高かった、、、気が遠くなる。
なぜ、他のクラスはやらなくていいことを私たちはやらされなくてはならないのだろう。
涙が溢れてきた。
だが、刻一刻とその時は迫った。
俺やりたーい!と遊具が好きな人からどんどん終わってゆき、女子半分が残った。
だがまたOお得意のセリフ
『お前らのせいで、先にやった人が迷惑してるんだよ‼️早くやれよ‼️お前らのせいで休み時間なくなるからな‼️』
と、怒鳴り始めた。
みんな泣きながら登って降りた。
私は考えただけで吐きそうで、今にも貧血を起こすんじゃないかと血の気が引いた。
だが、Oは怒鳴り続けている。
とうとう、私が1番最後になってしまった。
どうやっても免れそうにはなく、このままだとキューちゃんと同じように数時間立たされ続けて、怒鳴られ続けて終わることになる。
泣く泣く登った。
足はガクガクしており、涙で前が見えない。
地面が遥か遠く、今にも気を失いそうであった。
どうにか降りると、『最初っからそうやってやってればいいんだよ💢』と、Oは怒鳴りながら吐き捨てるように言った。
本当に憎たらしい男である。
そんなわけで、私はますます遊具から遠ざかっていくのであった、、、。
ちなみに、転校後の学校には危ない遊具が少なく、しかも流行っている遊びが『ペケポン』という名の鬼ごっこだったため、怖い思いをせずに済んだ。
本当によかった。
現在の小学校では、ほぼ危険な遊具はない。
というか遊具自体が少ない。
それはそれで楽しいのか分からないが、私みたいな児童にとっては安心安全で良い時代になったなぁ、、、と小学校で働いている時期に校庭を眺めながら思った。