海外に居場所を求める人々
福原愛ちゃんを見て思う、自分が中国へ渡った時のこと。
Xで愛ちゃんの変化が話題になっていました。
あの可愛らしかった愛ちゃんが、キツイ中国人女性のようになってしまったことを残念に思っている日本人は多いと思います。
でも、私は自分と行動パターンが似ている部分があり、どこか彼女の気持ちがわかるような気がします。
私も、台湾で結婚しました。結婚していた間、台湾と日本の両方に居場所がありました。幸せすぎるほど、幸せでした。
でも、子どもが生まれてから夫を失い、私の精神的支えにはなってくれなかった両親や妹とも大喧嘩したりして、誰のことも信頼できなくなりました。
当時子どもは2歳で、一番手のかかる時期でした。
育児だけでも大変な時期に、私は大人のことで神経をすり減らしていました。
味方ばかりだと思っていた私の世界から、突然誰も味方がいなくなりました。
愛ちゃんは有名人で、それに加えて世間の目があり、容赦無く批判されます。
きっと、孤独感や疎外感は私なんて比較にならないほどだったと思います。
私は、夫のことを思い出してしまう場所ではなく、家族の干渉を受ける場所でもなく、行ったこともない、全然知らない場所で、人生をやり直したい。
幸せだった頃の私も、不幸のどん底に突き落とされた時の私のことも、誰も知らない街で、新しい生活を始めたい。
そんな思いがあったのかどうかも今となっては覚えていません。
台湾で暮らしていた時期があって中国語ができた私は、ただただ、生き延びるために、藁にもすがる思いで中国の仕事を探し、見知らぬ地方の町に私の状況を受け入れてくれる勤務先とのご縁が繋がり、全てを捨てて移住しました。
親に伝えたのは、渡航の前日です。
台湾人の夫と離婚して子供のことで指名手配されるまでの争いになり、世間からも批判されて逃げるように中国に渡った愛ちゃんのことが、事情は違うところはあれど、どこか他人事だと思えません。
私も、顔がキツくなりました。精神的にも肉体的にも疲れていたし、愛を失くして顔から輝きが消えました。
シングルマザーは強くならなければ生きていけません。
まして、海外生活を選んだのなら尚更。
周りに1人も日本人のいない中国の内陸の町に3歳の娘を連れて移住し、到着翌日から仕事を始めました。
背に腹は変えられぬ事情と、全て捨ててやり直すんだという覚悟がなければできないことだったと思います。
我ながら、どんだけメンタル強いんだ、と思いますね。
亡くなった夫も遊牧民族タイプで、2人で住んだ国は5カ国です。全部夫の思いつきと希望です。
私にも元々、「ここにいなければならない」という考えがなく、状況に応じて住む場所を変えていくタイプで、故郷を遠く離れた方がうまくいく星を持っているので、行ったことのない場所に移住するのに躊躇いはありませんでした。
ただ、1人で3歳の子を連れて海を渡るのは、当時精神的にも肉体的にもヘトヘトだったので、身体中に矢が刺さった状態で最後の一歩というくらいパワーのいることでした。
それでも私は、育児と仕事を両立しながらもできるだけ楽に楽しく、そして希望のある生き方をするために、渡中を選びました。
おかげで完全ワンオペとは思えないほど優雅に贅沢に、余裕のある暮らしをして幼児期の育児を終えることができました。
日本ではなし得なかったし、今でもあの時できる最良の選択だったと思っています。
人生にはいろいろなことが起きます。
私たちの魂は地球に修行のために来ているそうなので、1つも辛いことがない人生を送っている人なんて、きっといないんでしょう。
もう生きる術がない、誰も助けてくれない、と行き詰まったとき、人生に絶望しかかったとき、苦しいままで今いる場所にい続ける必要はないと思います。
今いる場所が居心地が悪くなったら別の場所に移ればいい。
家や街、職場を変えるのはもちろん、国だって変えていいと思っています。
死ぬ気で探せばどこかに生きる道はある。
生きてさえいれば道はある。
捨てる神あれば拾う神あり。
それを実感している波乱万丈40代です。