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わたしとハリポタ。①

このページに足を運んでいただきありがとうございます。
Potterhead歴23年目、黒木 りりあです。
(Potterhead=ハリー・ポッターシリーズファンの愛称)

昨日からnoteを始めまして、今回が2回目の投稿となります。
自己紹介の次には何を書いたらよいのだろう、と考えて最初に浮かぶのは、やはりこの題材かな、と自然と指が動きました。
「ハリー・ポッターシリーズ」です。
書きたいこと、話したいことは、たくさんあります。それらを書くにあたって、まずは「ハリポタ界での自己紹介」が必要なのでは、と考えました。

思い入れがあまりにも強すぎるので、また同じタイトルで書きたくなることもいつかあるかな、という想定でタイトルには①とつけさせていただきますが、このページだけで内容としては完結しています。


ハリポタとの出会い

私がハリー・ポッターシリーズと出会ったのは2001年の秋頃、母親から面白い本がある、と薦められたからでした。おそらく、この頃にシリーズと出会った方はかなり多いのではないでしょうか。というのも、2001年の12月に『ハリー・ポッターと賢者の石』の映画版が公開されたからです。

小説を読み始めたとき、正直なところ最初はあまり面白いとは思えませんでした。ドリルの会社に勤める中年おじさんの話に魅力を感じられなかったのです。だんだんと面白いな、と思えるようになってきたのは、主人公ハリー・ポッターの誕生日の頃。ホグワーツ魔法魔術学校への入学許可証を森番であるルビウス・ハグリッドが持ってきたあたりだったと記憶しています。

ここまで読んだところで映画版が公開されたので、先に映画を見に行きました。その映画で、私はすっかりこの魔法界の虜になってしまったのです。

それまで「残りのページ、こんなにあるのかぁ」と沈んでいた気持ちが、「残りのページにこんなにキラキラとした世界が詰まっているんだ!」と一気に弾んだ気持ちへと変化しました。そこからはもう夢中で、噛り付くように『ハリー・ポッターと賢者の石』を読み、すぐに『ハリー・ポッターと秘密の部屋』、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』へと、するすると手が伸びていきました。

ハリポタファンとして

『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』を読み終えたとき、問題が発生しました。当時、私は日本語訳版でシリーズを楽しんでいたのですが、続きの巻がまだ発売されていなかったのです。「続きが読みたいのに、読めない!」は小学校低学年の私にとってはなかなかのジレンマでした。その時、あることに気づいたのです。「原書(英語版)なら続きがある」と。

ほどなくして、私はUK版の 'Harry Potter and the Goblet of Fire' を入手しました。正直言って、英語なんてほとんど分かっていませんでした。日本語ですらまだよく分かっていない年齢でした。英和辞典を引いて、国語辞典を引いて、解説本を読んで、インターネットで解説ページを読んで、それらの情報を基に各章のタイトルやキャラクターなどの固有名詞とその前後にある動詞を読み取るだけで精一杯。物語の大筋しか把握できません。けれども、その作業が大好きでした。

そこから、私のハリー・ポッター作品への触れ方は「原書→訳本→映画」の順番がスタンダードとなり、巻が進むにつれて原書と訳本との間で得られる情報の差が減っていき、自身の成長を密かに感じていました。

映画シリーズのフランチャイズとしての成功からも、多大なる影響を受けました。目まぐるしく展開される関連グッズたちは、私の日常を常に彩り続けています。いつの日からか、筆箱も鉛筆も消しゴムも定規も、下敷きもメモ帳もノートもすべてがハリー・ポッターになっていました。それを入れるカバンも、時には服までもがハリー・ポッター。商品展開にある程度依存していたので、量に差はあれど、学生時代はほぼそのような形でハリポタグッズに囲まれていました。小学生のころなどは、可愛らしい流行のキャラクターグッズでそろえている友人の方が多かったので、異質な存在と捉えられることもありましたが、それすらも勲章のように誇っていた私は、当時から非常にめんどくさいファン、というかオタクだったと感じています。

学生時代、私のハリー・ポッター愛は周囲にも広く知られており、「本読んだよ」や「映画見たよ」という報告をしばしば受ける、という珍現象も発生しました。また、原作や映画で分からなかった個所について質問されたり、解説を求められたりすることも少なくなく、気持ちとしても「ファン」から「専門家」のような立ち位置にだんだんと移り変わっていったように思っています。

ハリポタ研究者として

大学でイギリス文学を専攻することは、小学校高学年ごろから一途に続いた夢でした。私にとっては至極当たり前のことで、そこに疑問を抱くことすらありませんでした。その夢のために自分なりの努力を重ね、最終的にその夢をかなえられたことは私の大きな誇りです。しかし、思い描いていたものと現実は少しばかり異なっていました。

「ハリー・ポッターシリーズが好きだ。ハリー・ポッターシリーズの研究がしたい」と言えば、「みんなそうだよね」と真剣に受け止めてもらえない、という場面に多々遭遇しました。私はただハリー・ポッターシリーズを楽しみたいのではなく、もっと深いところまで追求してみたいのだ、という気持ちは簡単に伝わるものではありませんでした。これは国内に限った話ではなく、英国でも似たような反応を受けました。

このムードは、ハリー・ポッターシリーズの研究や論文にも顕著に表れていたように思います。私が大学生だった当時は、ハリー・ポッターシリーズを文学作品として論じた文書はほかの文学作品と比較すると多いとはいえず、批評を集めるのに苦労しました。シリーズ完結以前に書かれた論文も少ない上に、シリーズ完結以降に本数が格段に増えたということもなく、十分な議論が発展していないという印象を受けました。どちらかというと、ハリー・ポッターシリーズは文化や現象として論じられることが多く、フランチャイズとしての影響力への関心が強いことを感じました。他作品と比較した論文や批評という点においても、比較対象となるのは文学作品よりも映画作品などの方が多いようにも感じ、研究対象としてのある種の限界のようなものを垣間見たように思いました。

ありがたいことに、結果的に私は素晴らしい指導者の方々や仲間たちの協力を得ながら、長年の目標であった、ハリー・ポッターシリーズを題材とした卒業論文を執筆することができました。

消費されていくハリポタ

私は現在、既にアカデミックなフィールドからは離れてしまいました。ですが、ハリー・ポッターシリーズの研究をやめるつもりはなく、ハリポタ研究者を自称しています。それまで「研究」という視点にどこか固執していた自分がいたのですが、論文を書き終えてから一歩引いたところから見てみると、視野がぐんと広がったことを最近はとみに感じています。作品への愛情を様々な方法で表現している人たちが国内外にこんなにたくさんいらっしゃったなんて、と日々感動するここ数年です。

ただ、近年のハリー・ポッターシリーズのフランチャイズとしての盛り上がりには、複雑な心境を抱いています。ファンタスティック・ビーストシリーズが加わり、ウィザーディング・ワールドへと世界が広がったことはとても嬉しい出来事でした。ですが、様々なメーカーとのコラボレーションやタッグを組んだフランチャイズの展開は時に文化の消費のように感じられ、切なくも思うことも少なくありません。ビジネスのために、ハリー・ポッターシリーズが一過性のブームとして激しく燃え上がるための燃料を投下されすぎているように感じているからです。もちろん、私だってその多くを楽しんでいます。グッズも買うし、イベントにも行くし、ゲームもプレイするし、映像は見るし、舞台も観るし、施設にだって行きます。けれども、一過性のものとしてではなく、永く残り続けて欲しい、というのが私の願いです。

これからハリー・ポッターシリーズもといウィザーディングワールドがどのような展開を見せるのかはわかりません。しかし、私にとってはJ. K. ローリング氏が紡いだ、あの7冊の本だけが正典であって、その認識が揺らぐことはないでしょう。それが私にとってのハリポタを応援する軸であり続けます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回は取り留めもなく語ってしまった部分もありますが、今後も興味のある話題がありましたら、また覗きに来ていただけますと幸いです。

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