孤独と自分らしさの狭間で。
※こちらの記事は、韓国ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」の「第5話 ドタバタ×腹黒策士」の内容を含みます。
韓国ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」を現在視聴中です。
このドラマはクジラが象徴的な動物として出てきますが、私の推しであるBTSにもクジラに関連した曲があります。
そしてこれは全くの偶然であったのですが、私が今ジャーナリングに使っているノートにもクジラのイラストが描かれています。
今回はこのクジラに関連したお話を書いてみようと思います。
BTSの歌に「Whalien 52」という曲があります。
(翻訳動画をお借りしています。あみにさんの翻訳がとても好きなのでよければ是非ご覧になってみてください。)
Whalien というのは造語で、Whale(クジラ)とAlien(エイリアン)を混ぜたもの。
この記事を書くにあたって、エイリアンという言葉を検索してみたのですが、本来の意味は「外国人・異邦人」だそうです。SF映画で宇宙人をエイリアンと呼ぶようになり、その意味がメジャーになってしまったのだとか。
52という数字は「52ヘルツのクジラ」を意味しています。別名は「世界で最も孤独なクジラ」。何故孤独かというと、他のクジラは10〜39ヘルツの周波数で鳴くのに対して、このクジラは52ヘルツで鳴くため、他のクジラとコミュニケーションを取ることが出来ないからだそうです。正体は不明だそうなので、本当に存在しているのかは分かりません。
BTSの曲では「52ヘルツのクジラ」がこのように表現されています。
自分の声は誰にも届かない。広く深い海の中、自分の声だけが反響する世界で、クジラは「孤独」と戦っています。この歌詞を見ながらそのクジラを思い浮かべると物凄く胸が締め付けられます。
孤独というのは誰しも感じるものだと思います。友人がどれだけいようと、家族が傍にいようと、恋人に愛されていようと、孤独は自分から無くなるものではない。
それに孤独は悪いものではない、とも思っています。孤独を感じるからこそ得られる感情があり考えがあると思うのです。
私は今、自分と向き合うことに沢山の時間を費やしています。一人で黙々と机に向かい、ノートを広げ、頭の中に広がる思考を書き出しています。
その行為はとても孤独です。過去の自分と向き合い、現在の自分を見つめ、そして未来の自分を描く。答えは全て、自分の中にしかありません。
そんな時にこの「Whalien 52」を聞くと、まるで今の自分を歌ってくれているような気持ちになります。悲しさ、寂しさ、そして「いつかきっと」と夢を描く心。
「春の日差しみたい」
ウ・ヨンウが同僚のチェ・スヨンにかけた言葉です。そして私がとても気に入っているシーンでもあります。
ヨンウは自分をライバル視する同僚クォン・ミヌとチームを組んで案件に当たることになります。ヨンウに対して案件の内容を伝えない等の意地悪をするミヌ。スヨンはヨンウに対し、ミヌがロースクール時代に「腹黒策士」というあだ名を付けられていたことを明かします。
裁判の後に言い合いになったヨンウとミヌ。ミヌはヨンウに対して「ドタバタ ウ・ヨンウ!」とあだ名を付けて言い放ち、ヨンウもミヌに対して「腹黒策士!」と言い返しました。
スヨンはその経緯を聞くと「あだ名で呼び合うほど仲良くなったの?私にも付けてよ」とヨンウに言います。スヨンが「童顔チェ・スヨン」「美人チェ・スヨン」と候補をあげますが、ヨンウはそれを違うと一蹴します。
そして、「あなたは、春の日差しみたい」と告げました。
自閉症であるヨンウは周りから少し浮いた存在だったのでしょう。高校時代のエピソードが描かれていますが、ロースクール時代もおそらくそうだったのかもしれません。
そんなヨンウに対してスヨンは自然と寄り添ってくれていたようです。講義室の場所を教えたり、試験の範囲を教えてくれたり。そして同僚となった今でも、ヨンウのペットボトルの蓋を開けてくれたり、キンパがメニューの日は教えないとねと言ってくれたり。特別扱いをするわけでもなく、ただ「友人」として。
「あなたは明るくて温かくて、思いやりにあふれた人なの」
「春の日差し チェ・スヨン」
このシーンはとても感動しました。スヨン自身もヨンウからの思わぬ言葉に涙ぐんでいましたが、私もしっかりもらい泣きしました。スヨンの温かな優しさと、それを素直に受け止めて感謝を伝えるヨンウ。二人の優しさが交じりあった瞬間だったように思います。
私は「52ヘルツのクジラ」がヨンウと重なる部分があるように思うのです。
自閉症であることで、周りの人が自分と距離を置いたり、あるいは揶揄ってきたり。周りに理解されないという「孤独」を抱えて生きてきたヨンウだけれど、一人、また一人とヨンウを友人として、仲間として、対等に遠慮をせずに接してくれる人ができた。
周りとは周波数の違う「孤独なクジラ」が歌を歌い続け、仲間に出会ったようなそんな感じがするんです。誰かに自分を合わせたわけでもなく、ただありのままの自分で。
「Whalien 52」にはこんな歌詞があります。「孤独」というものの悲しさや辛さ。叫んでも誰にも届かない自分の声。この曲自体がハッピーエンドで終る曲ではありません。それでもクジラは希望を捨てずに、自分を信じて歌い続ける、最後はそんな終わり方です。
このクジラがヨンウのように、仲間に出会える日が来たらいいな。そんな願いが心に浮かびます。そして私は、自分とクジラを重ねてしまうのです。
孤独を受け入れ、時には辛さを抱えながらも、こうして言葉を紡いで私なりの自分らしさを見つけ、そしてそれを隠すことなく「あなたらしくて良いね」と受け入れてくれるような仲間に出会えたらいいなと。
孤独と共存し時には争って、私のヘルツを信じて未来へ向かって進んでいく。そして夢が叶えられたらいいなと思っています。
思いのほか長くなってしまいましたが、今回はクジラを共通点にお話をしてみました。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。