大正113年
7月30日は、大正天皇(明宮嘉仁親王)が即位した日(1912年)である。すなわち、2024年は「大正113年」である。
数年前まで、片隅に「大正〇〇年、昭和〇〇年」と記したカレンダーをよく見かけた。家でも使っていた。しかし、いつしか「大正」の書かれたカレンダーを見かけなくなった。
自分が子供の頃や学生時代に書いたものを見ると、年の表記はすべて「昭和」の年数を使っている。周囲の人が書いたものや、当時の新聞雑誌類や印刷物も、ほぼ同じである。
昭和は長く続いたし(日本の歴代元号で最長。以下明治、応永、平成と続く)、その年数は日常生活において極めて使いやすかった。2桁以内に収まるので記述や記憶も楽だし、
「西暦の下2桁-25=昭和の年数」
の公式が成立する。たとえば1978年は78-25=53で、昭和53年とすぐ換算できる。25は、暗算に便利な数字である。
対して大正は、今ひとつ暗算しづらい。関東大震災が起きた1923年は大正12年だから、とワンクッション置かないと、つい間違えてしまいそうである。15年までで終わったことも不利である。
昭和が終わった後は、再び西暦との換算にワンクッション置かざるを得なくなった。1989年が平成元年(1年)とされたため、「西暦の下2桁-88=平成の年数」となるが、88は繰り下げにかかる確率が高い数字である。21世紀に入ると、西暦のほうが圧倒的にわかりやすくなり、平成の年数は使わなくなった。
2019年に明仁親王が退位。同時に徳仁親王が即位され、それに伴い再び改元されたのだが…。
今の元号は、正直あまりしっくり来ない。ゆかりの地や、選定に携わった方々には申し訳ないが、当時の政治家たちの顔が思い浮かび、ほろ苦さが先立つ。今上陛下とそのご家族はとてもすばらしいお人柄で、尊敬の念を惜しまないが、そのイメージとも合わない。
加えて改元から1年ほど過ぎると、「昭和」をあたかも旧時代の遺物であるかのように位置づけ、蔑んだりからかったりする風潮が現れ、ネットの力であっという間に広まってしまった。この現象には、少なくとも2つの問題がある。
ひとつは、何でもかんでも「昭和」で一緒くたにする姿勢。
昭和は実質62年間(年数は64年まで)続いた。その間には第二次世界大戦という人類史上屈指の大事件があり、ほとんどの国民が深刻な影響を受けた。
あくまで個人の印象だが、昭和の世相は3つに分けられる。
改元(1926年)から敗戦(1945年)までが第1期
敗戦から高度成長期の結実(1970年とする)までが第2期
それ以降が第3期
である。今、「昭和の価値観」を物笑いの種にする人たちの目には、第3期の昭和しか映っていないだろう。それ以前の昭和の姿など見ようともしないし、テレビドラマやアニメ映画などでその時代を取り上げる作品ができると、たちまちギャグの物種として消費するだろう。
「私たちは、小難しい歴史なんて知りたくありませ~ん」
と、自らの知性放棄を告白しているようなものである。
もうひとつは、改元と同時に世の中全体がリセットされたような錯覚を与えてしまう点。
過去には、まさにその目的による改元が頻繁に行われた時代もあった。自然災害、疫病、戦乱などの凶事を改元で断ち切ろうとしたのである。コロナが流行し始めた頃、SNSで「改元と遷都と大仏建立をセットでやろう」とつぶやいた人がいて思わずウケたが、これは凶事リセット改元を現代に持ち込もうとすることにより生まれるおかしみである。同時に、今の元号に対するそこはかとない違和感も、笑いに転化している。
現代の改元は、天皇の即位に伴い行われる。すなわち、崩御や退位など、天皇陛下個人の動きとリンクしている。にもかかわらず、世間では「リセット改元」の社会記憶が残されているらしく、改元されるとそれ以前の時の流れを切り離し、元号の名前でラベリングするような考え方が起きてしまう。
今思えば「昭和」は、日本史上最大級の凶事である第二次世界大戦が終了した時に改められても不思議ではなかった。天皇制そのものが危機に立たされた。GHQも天皇制存続を了承してくれたのだし、裕仁親王在位のまま、新しい元号で再出発…という考え方は出なかったのだろうか。少し前までの時代ならば、当然改元されていたケースだろう。
それにもかかわらず「昭和」を継続させたのは、一世一元の原則を前提としていたゆえだが、同時に「戦争に向かって動いていった時代をリセットさせない」という副次的効果をもたらした。日本社会の特徴を勘案すると、好判断だったと思う。今、昭和を小馬鹿にする人たちは、どこまで理解できているだろうか。
対して2019年の改元は、明仁親王のご意思を尊重する形で行われた。下々には直接関与しない話のはずなのに、リセット改元的なふんいきができてしまう。釈然としない。
今の元号年数は、あまり使う気になれない。印象が芳しくない、西暦との換算が煩雑という以前に、時の流れをぶつ切りにされたような印象が拭えないからである。オンラインの日付記入フォームのほとんどは西暦がデフォルトだし、日常生活には何ら支障をきたさないが、年輩の人が作る書類や、確定申告書・期日前投票など公的機関書類では今でも元号年数記入欄があり、「今、何年だっけ?」と、一瞬虚を突かれる思いがする。
このnoteに書く記事は、年表記を原則西暦に統一している。平安時代や江戸時代の話題を書く際にも、その原則は崩さない。それは「今からどれくらい前の出来事か」がすぐわかるようにして、今の世の中は過去からの連続した積み重ねによって成り立っていることを明確に示し、改元によるリセット効果を排するためである。
2024年が「大正113年」ならば、明治生まれで存命の人は満112歳以上になる。誕生記録が確定している人を対象にした長寿者リスト"World Supercentenarian Rankings List" によれば、2024年7月10日時点で存命の明治生まれ日本人は25名。全員女性である。世界全体でも、大正天皇の即位前に生まれた人は57名、同じく全員女性となっている。それだけの時間が過ぎている。かつては良くも悪しくも「戦争をしぶとく生き残った頑固者」の代名詞だった「明治生まれ」が、いよいよ完全に歴史の中に入る時を迎えた。
このリストや、近年亡くなられた長寿者の享年の表は、「人類の限界寿命は120年である」ことの何よりの証拠である。日数に換算すると
(365×3+366)×(120/4)=43830
すなわち、どんな人でも生まれてから43,000日以内に寿命が尽きるのである。東京都台東区の浅草寺で開催される「ほおずき市」の「46,000日の御利益」は、偶然の産物とはいえ、よくできた宣伝と思う。
為政者や医師は、これを延ばそうとか、一般人に適用させようとか、ゆめゆめ思うなかれ。