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私は教科書が読めなかったのかもしれない

先日、こちらの記事を読んで、いろいろ考えされることがあった。

"教科書が読めない"?どういうこと?

文字は追えるのに、理解できていない。
文章が意味をなして頭に入ってこない。

わが家は、毎晩5歳の息子に読み聞かせをしている。
物語は読めるだろう。意味も理解していると思う。
でも、これが教科書だったら?

物語を読むのと、何かを説明した文章を読むのとは違う。
物語は雰囲気で読めてしまうところがある。

けれど、何かを説明した文章は一字一句理解していないと、意味をはき違えて読んでしまったり、間違った解釈をしてしまうということがある。
これではまずい。

なぜまずいかというと、意味をはき違えて読んでしまっては、間違ったことを覚えてしまうかもしれない。間違ったことを覚えてしまっては、そもそも問題を解くことができない。
基盤が間違っていることで次のステップに進めないかもしれないし、次のステップでも間違った解釈をしてしまう恐れもある。
そうなると、もう負のループだ。

私は教科書をちゃんと読めていなかった


ここではっとしたことがある。
私は教科書をちゃんと読めてなかったのではないか。

中学までは、テストでそこそこ良い点が取れていた私。
高校は市内の進学校と呼ばれるところに入学できた。

中学の先生からは「星野さんなら、高校に行っても大丈夫でしょう」と太鼓判を押されていたのに、ふたを開けてみるとどうだろう。

高校の授業に、まったくついていけなかったのだ。
中学までは国社数理英語の5教科だったのが、国語だけでも「現代文」「古文」「漢文」にわかれ、数学に至っては「数A」「数B」?
なんでこんなに教科が多いの。

私がやってきた、中学までの詰め込み式・暗記の勉強のやり方ではまったく太刀打ちできなかったのだ。

理解しようと教科書となんどにらめっこしても、頭に入ってこない。
先生になんど説明されても覚えられない。
各教科の「単語」が山のようにあって、どれを覚えればよいか、どこを押さえればよいかわからない。
私の頭はパニックになった。

教科書を理解していないと太刀打ちできない


AIが問題を解くときは、キーワードを拾って検索をかけ、もっともそれらしい答えを導き出すそうだ。

中学時代の私もそうだった。
問題文にキーワードが出てきたら、だいたい答えはわかる。
なぜわかるかというと、似たような問題を何百回とやってきたからだ。

AIは蓄積されたデータから答えを導き出す。
私の勉強方法はAIとまったく同じだったのだ。

意味を理解していたわけではない。
単純に、暗記していただけ。

それが、高校に入るととたんに破綻したのは、暗記・同じ問題の繰り返しだけでは、追いつけなくなってきたから。

勉強の基盤として、もちろん暗記することも大事だとは思うが、ひたすら暗記するだけではだめ。
"教科書を読んで意味を理解し、自分の中に落とし込む"という過程を踏まないと、太刀打ちできないのだ。

AIに取って代わられる?

AIと同じようなやりかたで勉強していた中学時代の私。
高校になって、それではだめだと気づいた。

けれど、「詰め込み・暗記式」の方法しか知らなかった私は落ちこぼれて終わった。

社会人になった今も、「読解力のなさ」に苦しめられていると実感することがある。
私は現在、ソフトウェア開発に携わっている。
プログラムを組むときはまず、「仕様書」を理解しなければならない。
どういった機能が必要なのかを理解しなければプログラムが組めない。

この「仕様書を理解する」というのがなかなかやっかいなのだ。
専門用語も飛び交っているし、機能をイメージできないと読めない。
まさに「日本語読めるけど、意味わからない。書いてあることがわからない」と言う状態。

AIがこれからもっと世の中に浸透していけば、AIに人間の仕事が代替される時代がやってくるかもしれない。
では人間はなにをするのか、AIにできない仕事をする。
でも、AIにできない仕事をできる人間がどれだけいるんだろうか?

少なくとも、私が中学時代に培ってきた勉強方法ではAIには勝てない。
高校の授業にもついていけなかったのだから。
「文章の意味を理解できない」ということに陥れば、仕事をするにも苦労するだろう。
現在の私がそうであるように。

読解力をつけたい、子どもにもつけさせたい

現役で仕事をしている私でさえヒィヒィ言っているのだから、子供世代になったらどうなることやら、とても心配になる。

「子どもに苦労はさせたくない」とか「私みたいに育ってほしくない」という考えなのではない。

私もまた、子どもと一緒に学びたいと思うのだ。

今考えているのは、「子どもと一緒に教科書を読む」「子どもと一緒に新聞を読む」ということ。

来年1年生になる息子。
どんな教科書を使うのかが気になった私は、近所の年上のお友達から1年生の教科書を借りてきた。
息子に声をかけて、広げて一緒に読んでいる。

子ども新聞の購読も検討している。

「絵本の読み聞かせ」は親が好きだから率先してやっているのだが、これからは「教科書」や「新聞」も一緒に読んでいこうと思っている。

子どものためだけではない。
親の、私自身のためにも。

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