正しくなくてもまっすぐいられるように
正しい人たちのためにある世界で、正しくなりきれない自分がそれなりに生きていく。普通の人が普通に得るであろう生活を、それ相応の努力を以て手に入れる。それが自分にとっての反骨精神。
「野心がない」「覇気がない」「やる気がない」どう思われたって、仕方がない。自分はその前の、人間として正しくいようとするということに力を注いでいるだけなのだから。
行動力だの、決断力だのなんだの、それが人間としての価値かのように、言葉が氾濫しているけれど、たまたまそういった性質のある人たちに適した社会構造になっているというだけで、行動に起こすのが苦手な人、何かを決めるのが不得意な人に価値がないというわけじゃない。
俺みたいな人間でも、ある程度はまともに生きていける。それをただ示していきたい。あまり強くはないけれど、負けっぱなしは本当に悔しいから。
運によって掴み取ったものを、自分の努力の成果だと勘違いされたくないから。頭に浮かんでくる愚痴や文句をただの戯言として片付けられたくないから。愚痴や文句にも意味があったと言いたいから。
だから、とにかく自分の生き様で示したいんだ。正しくなくても生きてけるって。間違いだったとしても死ななくていいって。日陰にずっといる必要はないんだって。そうやって、自分に似た人に「大丈夫だよ」って思ってもらいたい。
最後までありがとうございました。ゆるく生きていきましょう。