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高校生の頃、教室が苦手でした。

 「教室」と聞いて思い浮かぶ光景の中に自分はいない。自分もその教室にいたはずなのに。「教室の中央でやかましく騒ぐサッカー部とラグビー部の連中」、「窓際で居心地が悪そうにたたずむメガネの男子生徒」、「やかましい彼らに戸惑う教師」、「我関せずとスマホをいじる女子生徒」、など。

 自分が教室の光景に登場しないのは、自分が教室でほとんど誰とも話さなかったから。教室には約40人がいて、それぞれの人間関係を構築していた。それぞれが自分なりの社会を作り上げていたけれど、自分はどのグループにも所属していなかった。

 「群れるのが嫌い」のような格好いい理由はなかった。ただ、狭い部屋に多くの人がいる中で、自分がどう立ち振る舞えばいいのか全く分からず、戸惑い続けていただけ。

 中学、高校と教室で戸惑い続けた。なんでこの人たちは、たまたま同じ場所に居合わせた人とこんなに仲良くなれるのだろうか。同級生たちとどんな話をすればいいのか、自分はどう振る舞うべきなのか、全くわからなかった。

 耳には、いろんな人のいろんな会話が飛び込こんでくる。「次の授業の宿題やった?見せてぇや」「いや、お前それはおもんないわ。ちゃうネタやつやってや」「~ちゃんかわいない?」「顔は可愛いけど、性格悪いらしいで」 時折、急に聞こえる女子の叫び声「えーーーーーーーー!ちょ、まって!嘘やん!!!」「いや、声でかいわww」

 聴きたくもないのにいろんな会話が耳に入ってきて、戸惑っているうちに一日が終わる。会話の一つ一つに反応してしまって、疲れ果てる。一日の終わりにふと気づくのは「あ、自分、今日学校でひとこともしゃべってないやん」

 学校にいるときは、早く帰りたくて仕方なかった。居心地がすこぶる悪かった。誰かと話したい気持ちはあるのに、誰とも話せない自分が嫌だった。聞こえてくる会話が耳障りで、精神的な体力を着実にそいでいく。休み時間になるたびに、イヤホンを耳に突っ込んで机に伏せていた気もする。あんまり覚えていない。

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 自分にとっての人と繋がれるほとんど唯一の手段がサッカーだった。教室では一言も発しなかったけど、サッカーの練習になれば声を出せた。プレイについてチームメイトと話すことが出来た。
 上手な方じゃなかったから、守備でチームに貢献した。ヘディングで相手に競り勝ったり、相手からボールを奪ったりすると、チームメイトから「ナイスプレー」と言ってもらえた。守備をすることが自分が存在していい理由だった。
 部室に戻ると、また、何を話していいかわからなくなって、黙ってしまうことがおおかった。練習が終わった後の駄弁りは居心地が悪くて、自分だけそそくさと帰るようにしていた。
 公式戦は緊張したけど、楽しかった。試合前の円陣の一体感が好きだった。地域のトーナメント戦で優勝できたのはいい思い出。

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 教室にいるのは得意じゃなかったのに、なぜか高校時代は、ほぼ無遅刻無欠席だった。サッカーが楽しさがギリギリ勝っていたんだろうと今になって思う。サッカーがあったから、自分の対人関係の能力に絶望せずに生きてこられた。

 サッカーを信じていた。次は何を信じていこうか。

最後までありがとうございました。ゆるく生きていきましょう。