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ここ3年ほどかけて精神的に体調を崩したので、何があったのか当事者目線で整理してみる(発症~休職編)


はじめに

3年ほどかけて疲れをためた結果、2024年夏に精神的に体調を崩しました。セルフケアのために、経緯を一度整理しておこうと思ったのでnoteにまとめてみます。また、同じような経験をしている・した方や、当事者の状況を理解したい周囲の方の役に少しでも立てば良いなとも思います。

以下自分の状況を説明する際、研究室や会社のことに触れていますが、特定の個人・団体を批判する意図はありません。

(注意:体調を崩していたときに自分が感じたことや症状も具体的に書いています。現在体調が悪い方には悪影響の可能性があるので、読むのを控えられたほうが良いかもしれません。)

何があったか

2024年の夏に体調を崩し、心療内科で適応障害の診断を受け休職しました。
職業はweb系のプログラマをしており、2023年新卒入社の2年目でした。

現在は、半年ほど休暇を経てだいぶ体調が治ってきており、まとまった文章が書ける程度には回復しています。一方で、まだ睡眠が安定しない日があったり、呼吸が浅い症状・頭重感も残っているので万全ではないと感じます。

少しずつ考えられる程度には体調が回復してきたので、一度自分のこれまでを振り返り、今後を考える目的でこのnoteを書いています。

なんで体調崩したか

ざっくりと、僕は何者か

大学では他の理系専門分野の学部にいたのですが、自分の興味とのズレを感じていました。そんな中、2020年 (大学二年生のとき) にコロナ禍で暇を持て余していた間にプログラミングに興味を持ちました。2021年ごろから開発のバイトと大学生活を並行しており、2022年に就職活動をする中でIT業界への就職を決めました。2022年はほとんど研究室で卒業研究に時間を使っていました。2023年に就職し、一年弱プログラマとして働いていましたが、精神的に体調を崩し休職、今に至ります。

体調崩した理由

今、この3年ほどを振り返ってみて体調を崩した理由を考えると、

  1. 2,3年間無理のしすぎで、十分な休みが取れていなかったこと

  2. 1により体調が悪化し、コミュニケーション不足に陥っていたこと

  3. もともとネガティブがちな性格であること

  4. 精神医学的な知識・社会経験が不足していたこと

  5. 1~4に無自覚的だったこと

かなと思っています。

高校時代〜休職までを振り返る

高校時代

もともと、僕は昔から精神的に体調を崩しやすい、というタイプではなく、大学に入るまでは基本的に健康に過ごしていました。地方の進学校だったので、大学受験の勉強もそこそこしていたはずですが、そのときは大丈夫でした。

大学1年目

大学に入って一年目は特に大きく体調を崩さず、健康的に過ごしていました。興味の方向性が定まっておらず、あまりハードに勉強をしていなかったこと、部活に入っていたのでいろんな人との交流があり、人間関係が閉鎖的になっていなかったことが大きいと思います。

2年目にコロナ禍になる

大学2年目で、コロナ禍になりました。これにより、人との交流が極端に減少しました。一日家からほとんど出ず、人とも喋っていない、というような状況が普通に発生していました。もともと一人が嫌いな訳ではなく、当時はこれを苦痛とは感じていなかったのですが、今思うとストレスではあっただろうと思います。

一方、コロナ禍により授業がオンライン化したこと・バイトもほとんどなくなったことで、自由な時間が大きく増えました。一年目で、大学での自分の専門の授業があまりおもしろく感じていなかったこと、友達がゲーム開発をしていて面白そう & かっこいいと思ったこと、ちょうど入学時にパソコンを買ってもらっており、初期費用もいらないこと、などが重なり、プログラミングに興味を持ちました。
また、この当時、youtubeでインフルエンサーがエンジニア転職を煽る動画などが流行っていた影響もあり、「就職にももしかしたら使えるかも」という期待もありました。(これは浅はかだったなと後に勉強する過程で気づくことになります。)

そんな動機で、2年生の9月くらいからプログラミングを始めたのですが、自分が想像していた以上に「コードを書いて動くものを作る」という体験が面白くハマっていきました。この頃から、土日も含めて、平均して一日8hくらいプログラミングのことをしている、という状況が半年くらい続きました。

これは、今考えると正直無理をしていたと思うのですが、知識が増えていく喜びや、初めて自分でものを作る快感が大きく、楽しい気持ちが勝っていました。また、「3年生になったら就活もあるため、それまでにある程度のレベルになっておかないと、情報が専門でない自分は就職できないぞ」という焦りの意識もあり、十分に休まずに勉強をしていました。

加えて、コロナ禍で、人に会っていない & 時間も大量にある、という状況もにありました。人に会っていないと、自分の状態が客観的に良くわからなくなってきます。「今までと比べて無理をしている」ということにそもそも気づかず、半年ほど生活しました。このときは、「毎日達成感のあることをしている」という充足感のほうが強かったように思います。

3年目前半(4~11月くらい)

半年ほどプログラミングを独学していましたが、自分一人での勉強に限界を感じたため、2022年4月あたりにインターンとして開発のバイトを始めました。3年生は大学での授業が少なく、時間的にも余裕があったため、いけるだろうくらいに思っていました。

ただ、当然ですが、アルバイトとはいえ、実際の仕事としての開発は思っていたより難しく、勉強時間をかなり取られることになりました。バイトを始めてからも、一日 5,6h 程度勉強をしつつ、大学の授業もこなす日々が半年ほど続きました。コロナ禍も続いており、友達などに会う頻度も週一あるかないか程度で、それ以外は基本なにかの作業をしていました。

この頃もまだ、大変だなとは思いつつも、体調不良を自覚してはいませんでした。勉強のしんどさは感じつつも、今まで独学でやっていたときには得られない学びが多くあり、充実感も感じていました。

また、プログラミングに関しての情報や勉強方法などを調べる過程で、インターネットの情報を多く参考にしていたのですが、この過程で少しずつ「勉強をして知識をつけることを常にしておかなければならない」のような「勉強至上主義」とでも言うような考え方を内面化していきました。

これは、僕が読書(というか勉強?)慣れしていなかったため、情報を批判的に読む能力が低かったという問題と、独学だとどうしても孤独になるので考えが偏りやすい、という独学の悪い面が出ていたのかなと思います。しかし、当時はこれらの状態に無自覚的でした。それは、後に体調を崩す一因になったと思っています。(勉強を頑張ることを批判したい意図ではありません。「常に勉強をしていなければならない」というような行き過ぎた価値観は、今振り返ると危険だなと思った、という意味です。)

3年目後半(11月~3月くらい)

2022年の11月あたりから就活を始めます。このときが最初のしんどいポイントでした。大学の部活で部長をしていたため、「バイトの開発の勉強・就活・専門科目の勉強・部活の運営」の4つが重なってしまい、非常に忙しくなりました。

もともと人と話すのは得意ではないことに加えて、情報が専門ではなく、開発能力に才能や自信はないので、就活の面接によるプレッシャーが想像以上にありました。また、バイトも入りたてなので、まだまだ慣れているとは言い難く、今までと同水準で勉強が必要な状態でした。ここで、さすがに時間と労力が足りないことに気づき、「専門科目を全て捨てる(授業を受けない)」という選択をしました。

今考えると、無理に就活をせずとも、大学院に行きもう少し時間をかけて就職先を考える、などの選択肢もあったように思います。しかし、当時視野が狭くなっており、「僕は好きなことで就職をしたいし、勉強をずっと楽しむ必要がある」という思い込みがあり、必要以上にハードな環境に身を置くことを選択していました。

大学の後期が終わる2月あたりまで就活をしていましたが、ありがたいことに開発職で内定をいただけていたので、その時点で就活を終えることにしました。

また、PC知識が増えてきたことや、大学に入ってから色々な情報(Youtubeやインターネット、本)に触れるようになったことで、高校時代と比べて興味を持てる範囲が急速に広がり、「色々なものを作ってみたい」と思うようになってきました。

それ自体は悪いことだと思わないのですが、これが、「勉強をずっと楽しむ必要がある」という思い込みとマッチしてしまい、オーバーワーク気味なのが常態化してきました。例えば、プログラミングの勉強をした後で、「休憩」がてら「音楽を作ってみる」というようなことをしていました。これにより、きちんとした休憩が不足し、徐々に疲れが溜まっていったように思います。

この時点で、1年半ほど「過度な勉強 & 人とあまり喋らない・会わない」という無理をしているのですが、まだ体調不良の自覚症状はありませんでした。

4年目前半(4月~9月)

研究室に配属され、卒業研究に取り組みました。配属前は、「就活も終わったし、今年は楽な一年になる」と思っていましたが、3年後期で専門科目を取っていなかったため、その分のしわ寄せが来ました。また、卒業研究は思っていたよりハードで、拘束時間も長いものでした。結局、1日8h程度、研究と授業で時間を使う生活をしながら、空いた時間で開発のバイトをする形になりました。

初めての研究で心理的なプレッシャーが増えていたこと、学部生までとは大きく環境が変化すること、そもそも自分の興味と少しズレていることなどが相まって、ここでも疲れが溜まっていきました。また、空いた土日は開発のバイトなどをしていたため、休みも十分に取れない生活が続きました。

この頃は、以前より少し人に会うのが億劫になっていました。非常に仲の良い友達以外とは話すのがしんどく、話すのを避ける傾向が強まっている感じがしていました。また、読む本が少し思想系の本に偏ってきていて、内省的になっていました。好きだった漫画も、少し鬱っぽい描写が目立つものを読むことが増えていました。時折自分はだめだと強く思ったり、一方で自分はできると過度に自信のあるような気持ちになっていることがありました。今考えると、このあたりで既に精神的な症状が出始めていたように思います。

4年目後半(10月~3月)、一度発症

卒業研究をしつつ、授業をこなす日々が続いていました。この頃から、自分でもほのかに体調不良、特に呼吸が浅いなどの身体症状を感じ始めました。また、どことなく不安な気持ちを感じることも増えてきました。自分でも違和感があったので、「気持ちを落ち着ける方法」のような動画を見ることが増えていました。

それでも、「ちょっと調子が悪いだけで、自分は大丈夫だ。病気ではない。」と思っていたので、特にしっかり時間を取って休むことはしませんでした。また、そもそもこの時点では病気についての理解が浅く、「時間を取って、作業から離れてしっかり休むことが重要」ということを理解していませんでした。

そしてそのままの作業量を続けていた2023年の1月、一度過呼吸の発作のようなものが起き、初めて心療内科を受診しました。正月休みで実家に帰り、家族と車に乗っているときに、考えが止まらなくなって過呼吸になり、吐き気を催す、というような症状が出ました。最初自分でも訳がわからず、かなり混乱していたのをぼんやり覚えています。

この出来事をきっかけに、「あ、今の自分の状態はおかしいんだな。病気かもしれない。」と明確に意識するようになりました。

事情を伝えて、2週間ほど研究室もお休みを頂き療養しましたが、根本的な体調の回復はできませんでした。2週間では、休息に必要な時間が足りていなかったのだと思います。その後、卒論を書く必要があったため、2~3月は研究室に通い詰めで、良くない体調を誤魔化しながら通っていました。

3月時点で、就職をやめて休むべきか少し迷っていましたが、「エンジニアリングに興味があり、働きたい気持ちはある」「せっかく内定をいただいているのにキャンセルできない」といった考えから、そのまま仕事を始めることになりました。

社会人一年目前半(4月~9月)

関西圏の大学に通っていたのですが、就職を機に東京へ引っ越しました。生活環境の変化や、人間関係もリセットされるため、負荷の高い日々が続きました。基本的に、会社での研修をメインに過ごしました。

就職後の会社での研修は想像以上に楽しいものでもありました。今までほとんど独学で開発していた(インターン中も、ベンチャー企業だったこともあり、あまり教育に割ける時間はなく、とにかくタスクをしながら学んでいくという感じでした)ため、自分よりレベルの高い同期たちと研修を受けるのは学びも多く、刺激的で面白かったです。自分の開発の基本的知識の不足を痛感しつつも、今まで理解していなかったwebアプリの背景を少しずつ理解してきて、楽しさも感じていました。

一方で、「自分が一番できない」という環境に身を置く大変さも感じていました。同期の多くが情報系の大学院卒である中、僕は非専門かつ学部卒だったので、知識差を感じる場面も多く、「ついていかなければ」という思いが強くなりました。このような焦りから、土日にも研修の本を読んだり、分からなかった部分を復習する、といったことを行う日が増えました。体調が良い状態で、自分の可能な範囲でこのような勉強をするのは効果的な場合もありますが、当時の僕には明らかに逆効果になっていました。これにより、土日にもうまく休むことができず、さらに疲れが溜まっていきました。

この頃は、体調不良を自覚する場面が増えてきました。呼吸の浅さが慢性的になっていたり、生活リズムが乱れがちになっていました。もともと生活週間は良い方だったのですが、朝ご飯を食べない日が増えていたり、睡眠時間が8hより増えたりしました。

また、夏休みなどがあっても、どこかに遊びに行こうという気力を感じなくなってきました。正確には、遊びに行きたい気持ちはあるのだが、「遊びに行くのがしんどいなぁ」という感覚のほうが勝るようになってきました。他にも、ぼんやりと理由のない不安感のある日があるなど、精神症状も強くなってきていました。

さらに、趣味が楽しめなくなってきました。以前は好きだった本や漫画を読む・アニメを見ると、情報量が多すぎてしんどく感じたり、場合によっては吐きそうになる・強烈な不安感を感じたりしました。Youtubeで好きだった配信者を見る、といったこともしんどくてできない、という日が増えてきました。「好きなことが楽しめない」ということ自体がストレスとなり、悪循環に陥っていたように思います。

さすがに自分でもおかしいと思い、8月あたりにもう一度心療内科を受診しました。そこでは休職判断は出なかった(僕自身まだ入社したてで、働きたいという気持ちもありました)ので、しんどいときは通院しつつ、様子を見ながら仕事をすることになりました。

社会人一年目後半 & 二年目最初(9月~休職前)

研修が終わり、配属されたチームで仕事を行うようになりました。新しいチームでの仕事は、イチから学び直すことばかりなので、やはり無理をする日が増えていました。また、自分と年齢の離れた方や立場の異なる方を相手にしながら働く、という経験も乏しく、その当時の自分には負荷が高かったように思います。配属先でひどいパワハラが存在した、とかではないのですが、既にかなり体調が悪化していたこと・単純な業務負荷・リモートワークで中々チームに馴染みづらかったこと、などが合わさり、体調が改善することはありませんでした。

この間にも緩やかに体調は悪くなっていきました。睡眠の質が明らかに低下してきており、11月あたりから眠っても途中で目が覚めるようになりました。また、悪夢を見ることも増えており、目が覚めると過呼吸のようになっていることもありました。お腹の調子も慢性的に悪く、常に下痢をしているような状態になりました。加えて、常に焦燥感と不安感があり、「なにかしなくては」と思っている状態が慢性化していました。

部屋の片付けや料理など、自分の生活において基本的だったこともできなくなってきており、ご飯を作るのはもちろん、外に買いに行くのもしんどい、といった状態の日もありました。お風呂に入るのもしんどく、身なりを気にする余裕がなくなってきていました。一方で、「仕事だけはやらなくては」という焦燥感のようなものはあるため、なんとか9h出勤している、という状況が続きました。

この頃は、睡眠の質が低下し、眠った感覚がないのがしんどすぎたため、早寝して遅起きし、極力睡眠を取ろうとする生活になっていました。実質12h程度睡眠関係に使い、そのあと8h働く+1h休憩で9h使うので、一日のうちのほとんどが睡眠と仕事になっており、その日が終わってもすぐ次の日が来る恐怖感も感じるようになっていました。しかしこのようにしても、熟睡感はなく、休養が取れた感覚はありませんでした。

このままでは持続しないなとも感じていましたが、「仕事を辞めるわけにはいかない」という恐怖感があり、なんとか出勤し続けていました。仕事の質も明らかに低下してきていました。常に頭がもやっとする感じ(頭重感に近いです)があり、頭の前方に違和感がありました。複雑なことを考えようとするとそこが痛むため、簡単な仕事でも以前より時間がかかったり、新しいことがあまり覚えられなくなったりしていました。

ついに休職

2024年夏、通っていた心療内科で休職を勧められます。医師から告げられた当初は、「まだ働ける。休むわけには行かない。」と思ったのを覚えています。が、担当医師の判断で診断書を発行いただき、速やかに休職手続きを取ることになりました。

今思うと、この状態でなぜまだ働けると思っていたのか分からないのですが、追い込まれてくると視野が極端に狭くなるため、正常な判断ができなくなるのだな、と感じました。

思っていたよりだいぶ長くなってしまったので、休職後の体調回復編は次の記事に整理しようと思います。

書いてみての感想

誰かに見られうるパブリックな形だと、ちゃんと文章をまとめようとするので、自分の理解も整理できて良いなと思いました。一人でメモとかにまとめてると中々流れに沿ってまとめることができていなかったので良かったです。

改めて振り替えると色々みすったなぁ感が強まって、書いていて羞恥心も感じるなぁと思いました。が、客観的に一度整理することは自分にとっても重要…なはず…。

ネットを見ていると、病気にかかった当事者の声はあまり多く見かけないなと感じます。(僕のインターネットがそうなだけかもしれませんが…。)「発信する人・発信力のある人」は何かしら成功した人の方が多いので、そうなるのかなと思っています。(他にも、現在精神疾患の公表自体が社会的にリスクだ、とか様々な要因はあると思いますが。)そこでは、自分のリソースを全てつぎ込むようなあり方が肯定されることが多いと感じます。それが間違っているとは思わないのですが、自分の人生のリソース配分を考える際に、そのような声だけでなく、リソースを注ぎ込んだ結果病気を発症した当事者の視点が少しでも理解されると、色々な人にとって利益になるかなと思い、このような記事にまとめました。

続編はまた体調との兼ね合いを見ながらまとめようと思います。一旦以上です。

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