これまでとこれからを思いながら、一番根深いものの正体を知る。
8月は今までの振り返りとこれからの進み方を確認する時間にしようと、あえて予定をあまり入れないで過ごしてきた。
暑さに弱いという自分の特性も考慮して、外出や家族以外の人と会う予定もほぼ無かった。ヨガ教室の開催もお休みし、会社員としての仕事も必要最低限のみ。
自分自身のヨーガの学びは継続しつつも、この先いつまで会社員を続けるのか、新しい事業へのチャレンジをどうするのか、そんなことを自分自身に問い続けていた。
私はどうしたいのか。
なぜそれをやりたいのか。
その先にどんな人生を歩みたいのか。
う~ん、よく分からない、
というか、思いがうまく言葉にならない。
世の中のためにとか、誰かの為にとか、それらしい理由を作ることはできるけれど、どれも合っているようで、それだけが全てではないような。
言葉にすればするほど、思いが限定されてしまう感じがして、ペンを持ったままノートに書くことすらできなかった。(思ってもないきれいごとをスラスラ書けるのが私の特技なのだが、今回はそうはいかなかった。)
まあ、ビジネス的に言うと、ターゲットを絞れず、商品設定も曖昧で、これじゃお客様に伝わらないだろうなあってことだけはよく分かる。ここはもう少し時間をかけてまとめなくてはいけないなあ。
会社の仕事も別に嫌ではないし、楽しいときもあるし、安定した給与はもらえるけれど、時間を奪われているような、常にうっすらと拘束されているような、そんな不自由さもある。(実は今そこに直面していてややメンタル不調を感じているのだ。)
ヨガもインストラクターになりたいわけではないし、アーサナ(ポーズ)が上手に出来るわけでもなければ、疲れた心を癒すような力量も持ち合わせてはいない。今の私にできるヨガを形にしてみたかったというのが本音だ。(結果的に何かよいエネルギーが届いていたらいいなとは思っている。)
ヨガ教室に関しては、勢いで始めてしまったからなんとなく続けている。
結局、私の力どうこうではなくて、何か大きな力に巻き込まれて動いてしまっている、そんな感じが近いのかもしれない。
ただね、お金への不安はまだまだある。
確実にある。
そのことに嫌というほど直面した。
そりゃそうだ。
長い間、稼げなかった自分を私はさんざん痛めつけてきた。会社員を辞めることへの大きな恐れがあって当たり前だ。(口ではいつ辞めてもいいと言いながらね。)
会社員という憧れの免罪符を45歳にしてやっと取り戻した私が、そう簡単に手放す訳もないよなあ。だって、あの頃の惨めな私には絶対に戻りたくないのだから。
「肩書」とか「お金」の部分は、自分の幼少期からのかなり偏った刷り込みや満たされなかった思いも入っていて、これはちょっとやそっとでは解決しそうにない気もしている。
「かなり根深いぞ、これは」ってことを自覚することができたのが、この夏の一番の収穫だったようにも思う。
そして、肩書きやお金に執着している自分のことを少しは受け入れてあげられたのかもしれない。
「それでいいよ、そんな私も大好きだよ。また東京にヨガしに行こうね!」って私は私に伝えたい。(まあ、9月に行くんだけどね♡)
あまり大きく構えず、自分にできることをコツコツと続けていく。結局はそれしかないのかなと思いながら、まだもう少し「会社員」と「ヨーガの人」のわらじ生活は続く。
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