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どうやってネオンは広がっていったのか?

ここからは、実際にネオンが広告看板として、街に設置されていくお話し。

In 1912 Fonseque sold the world's first neon advertising sign to a small barber shop called Palais Coiffeur on the Boulevard Montmartre A year later a more spectacular neon sign, the first installed on a roof, lit up the Paris sky with three-and-a-half-foot white letters spelling CINZANO. The main entrance of the Paris Opéra was illuminated with a Claude Neon construction in 1919.

Rudi Stern/Let There Be Neon
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"1912年、フォンセックはモンマルトル大通りにあるパレ・コワフールという小さな理髪店に世界初のネオン広告看板を販売した。その1年後、屋根の上に設置された初のネオン看板は、CINZANOと書かれた3.5フィートの白い文字でパリの空を照らした。1919年、パリ・オペラ座の正面玄関がクロード・ネオンで照らされた。"

⚫︎フォンセックは、クロードの同僚。
⚫︎初めての広告看板は、パリの床屋さん!
⚫︎広告看板といえばビルの屋上。
屋上デビューは、お酒の広告だったんだ。
⚫︎3.5フィートは?
約1メートル。意外と小さいなぁ。

1919年といえば、ドイツでバウハウスが設立された年。同じ時に、パリのオペラ座の正面玄関にネオンが設置されたのか!
第一次世界大戦が終わり、みんな各地で奮闘していたんだなぁ。ネオンは復興の灯りだ。

of orange-red (neon-filled) letters against scintillating green meta backgrounds, but the Opéra sign boldly combined orange (clear red) and blue tubing to create an effect that came to be known as couleur Opéra.
It was in this color combination that neon was first seen in the United States. In 1923 a Los Angeles car dealer named Earle C. Anthony visited Paris and met the enterprising Fonseque. As a result, neon came to Califor nia in the form of two identical blue-bordered signs with the single word PACKARD spelled out in orange neon letters. The signs literally stopped traffic in Los Angeles, which upset the police. One sign is still functioning, having outlived the Packard automobile.

Rudi Stern/Let There Be Neon
P24

"オペラ座の看板は、オレンジ(クリアレッド)とブルーのチューブを大胆に組み合わせ、オペラカラーとして知られるようになった。
この色の組み合わせで、ネオンは初めてアメリカで見られた。1923年、アール・C・アンソニーというロサンゼルスの自動車ディーラーがパリを訪れ、進取の気性に富むフォンセックに出会った。その結果、ネオンは、オレンジ色のネオン文字でPACKARDと書かれた2つの同じ青い縁取りの看板という形でカリフォルニアにやってきた。この看板は文字通りロサンゼルスの交通を止め、警察を怒らせた。1つの看板は、パッカード自動車よりも長生きして、まだ機能している。"

⚫︎ネオン赤とアルゴン青の組み合せを「オペラカラー」って呼んだんだ!
⚫︎フランスではじめてのネオンはパリに。
アメリカではじめてのネオンはカリフォルニアに。
⚫︎ちなみに、日本ではじめてのネオンは1918年、銀座の"タニザワ"という鞄屋さん。
⚫︎みんな初めて見るネオンにびっくりして、車を止めて見入ってしまったため、交通整理の警察を怒らせた。というこの逸話は、何度も聞いてもいい話だよなぁ。
⚫︎パッカード社が潰れてしまった後も、ネオンは残っている。技術の高さはもちろんだけど、おそらく今よりもガラスの鉛の含有量が高く、粘り強く丈夫なガラスだったのかなぁ。

パッカード社のネオン 文字が赤で縁取りが青
出典 : Rudi Stern/Let There Be Neon

1924 began offering territorial licenses outside France. They were bought throughout the world, but nowhere in such numbers as in the United States.
Soon there were licensees in New York, Chicago, Los Angeles, San Fran-cisco, Detroit, Pittsburgh, and Boston, among other cities. Each agreed to pay $100,000 plus royalties for their franchises

Rudi Stern/Let There Be Neon
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"1924年にクロード・ネオンはフランス国外での地域ライセンスを提供し始めた。このライセンスは世界中で購入されたが、アメリカほど多くの人が購入したところはなかった。
間もなく、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、デトロイト、ピッツバーグ、ボストンなどにライセンシーが現れた。それぞれが10万ドルとロイヤリティを支払うことで合意した。"

⚫︎日本にも、クロードの名前が付く会社が、大阪、名古屋、東京、北海道などにある。
⚫︎10万ドルってどれくらい?
1927年で1円が今の636円くらいの価値があったらしい。当時、1ドル2.4円。そうすると…1億5千万以上になる!えっ!ほんと?!

ともかく、こうして、ネオンはまず、アメリカに多く広がっていった。

※ 引用部分については、Let There Be Neonさんのご厚意により、直接許可をいただいています。

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