見出し画像

双極症 狂人日記④

私はいつも完璧な妻と母でありたかった。
愛情の全てを夫と子供達に注ぎたかった。
夫は家事が何も出来ない人だから私がやらなきゃいけないし、何より夫に美味しいものを食べさせてあげたかった。

毎日夫にお弁当を作り、夕食を作り、子供達に手作りのお菓子を作り、自ら刺繍をしたエプロンや巾着や洋服などを仕立てた。
赤ちゃんの時はたまごボーロですら手作りした。

完璧なママでいたかった。
きっとみんなそうであることを喜ぶだろうと予測したからだ。

障害だらけで産んでしまった娘は、もしかして大人になれないかもしれない。
だから後悔のない様にしたかった。
欲しいものはなんでも買ってあげた。
行きたいところには連れて行ってあげた。

仕事で潰される前までは全てが上手くいっていた。
許せない。
上司に謝って貰おう。

連日、コミュニケーションツールやLINEで上司に非を認める様にメッセージを送り続けた。
上司は、返信をしてはくれるが言い訳を並べ立てて謝罪はしなかった。
私は、休職前のやり取りをスクリーンショットでしっかり証拠を押さえていた。
スケジュールが遅延した原因を私のせいにした資料も別口から入手していた。
それらの証拠と上司の言い訳の矛盾を突いた。

それでも愚かな言い訳を続けていた。
私はその上司に以前はとても可愛がられ、こちらも尊敬していたのだ。
分かってもらえると思ってその上司にメッセージを送っていたのだが、私は二重に傷ついてしまった。

そんな中、何故かヨガをはじめてみようと思い、クラスに通いはじめた。
自分の中の湧き上がる怒りを悲しみをどうすることも出来なかったからかも知れない。
表向きは躁うつ病の気分の波を観察する為などと言っているが(それもあるかも知れないが)、私は完全に心の拠り所を失っていた。
夫にも話せなかった。

私は家事が出来なくなっていた。
大好きな刺繍も、音楽も聞けない、テレビも見られない。
得意な料理も掃除も出来ない。
唯一は洗濯機から洗濯物を取り出して干すだけ。

ヨガには通えるくせに、他は何も出来なくなっていた。陰湿なメッセージを執拗に送り続けていたし、躁うつ病の混合状態だったと思う。
夕方になると急に死にたいという波が腹の底から何回も突き上げてきた。

それが喉から出た時に私はきっと死ぬのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?