見出し画像

摂食障害 愛よ!社会人編③

奴は優しい男であった。
カーテンがない生活をしていた私に直ぐにカーテンを持ってきてくれて取り付けてくれた。入院した時には遠いところをお見舞いに来てくれた。
私はあっという間に好きになってしまったのだ。
私を救いたい、僕の特別な場所に連れていってあげると言い、毎週プロテスタントの協会に一緒に行き、ゴスペルを習った。
時々帰りに私の部屋に泊まった。一緒に漫画を読み笑い合った。
私は彼のお陰でとても救われていたのである。

奴をもう一度家に入れて、殺そうと思った。
カッターを手に取って立ち上がったが、やっぱり刺すことはできなかった。
「私が死ぬ」
私は自分の左腕を思い切り、切り付けた。
もう一度カッターを振り上げた時、彼は私の両腕を掴んで力ずくでカッターを取り上げた。
そして素手でカッターを真っ二つに折ってしまった。手から血が出ていた。

彼は泣いていた。
涙を見るのは初めてだった。

私は一滴の涙も出ない。
むしろ、本当に泣きたいのは私の方である。

以来1年ほど、アルコールを大量摂取し、精神科の薬を大量に飲み、リストカットをするというダメダメな生活を送っていた。
私は、政治家がたまに出る裕福な家庭で育ち、大きなお屋敷で幼少期を過ごした。(のちにドラ息子の父が全て財産を使い尽くしてしまったようだが笑)政治家だった祖父が生きていた頃は、祖父に媚を売る大人たちが一列に並んで、私と妹にプレゼントを渡す行事があった。
欲しいものは何でも買ってもらえた。
やりたい事は全てやらせてもらえた。
健康に気を遣ったお高い食べ物を食べていた。
学校の先生も私には気を遣っているのが分かった。虐められた記憶もない。

嫌味なようだが、小さい頃から周りと比較して頭が良かった。2歳になる前に般若心経を誦じていた。学校ではほとんどトップクラスの成績だったし、高校に至っては全教科ALL満点を取り周りから崇められた。県下共通テストでは数学で1位を取ったこともある。数学は高校で2年間は満点以外取ったことはなかった。

しかし私は全く幸せでなかった。常に怯えていた。人を笑わせる事が好きで冗談ばかり言っていた。お調子者のペルソナを付けて、私はテストで一問でもミスをしてはいけないという強迫観念に打ち震えていたのであった。

周りから羨ましがられることが多かった。
まぁ、外見以外ということだと思うが…
それなのに、
それなのに、
それなのに、
私はこんなにも落ちぶれて、
腕も心も傷だらけで、
なんと愚かで、
なんと惨めで、
なんと不幸で、
救いのない馬鹿で、
なんで生きてるか?
周りが欲しがっているものを持っていたとしても、それで幸せなんかになれない。

結局、神様は私を救ってはくれないのだ。
拒食で臨終寸前だった時も、神様も仏様も救ってはくれなかったのだ。
私を救うのは、私しかいないのである。

しかし、特にきっかけはなかったが、急に症状が落ち着いてきた。
仕事が忙しくなり、仕事に没頭できるようになった。

そんな中、今の主人に職場で出会ったのだ。
上長であり、私より10歳位年上で、当時はすごく大人に見えた。
無口で仕事がとても出来て、部下の面倒見が良く、仕事の教え方が上手だった。
そしてとても優しい男だった。
ギャンブル好きのクズ男という周りからの評価なぞ全く気にならなかった。
仕事が出来ないポンコツの私に根気強く優しく少しずつ仕事を教えた。そして、ほとんど指示をもらって作ったプログラムを「Aさんが作った」ということにして周りに言った。
「あなたは仕事が出来るね」
何回も彼はそう言った。

私はいつも自信が無かったが、彼が私の自信を付けてくれた。

私は彼とずっと一緒に仕事がしたくて、喜んで出社し、2人だけで休日出社の日も喜んだ。
でも彼は単身赴任が決まってしまった。私は悲しかった。
すると彼は「子猫を見に行かないかい?」という、なんとも可愛らしい提案をしてくれたのだ。
2人で自由が丘に行き、子猫と遊んだ。
彼は猫と遊ぶのが上手だった。
私はもう彼が好きだったから、上手でも下手でも一向に構わない。
猫と彼に癒された。

そしてその日に交際することになった。
今は死語かもしれないが、三高(高身長、高学歴、高収入)の真反対をいく人だった。
彼はたくさんいる兄弟の為に、行きたい大学に行かず、補助金の出る安い大学に進学したのだ。親孝行である。
親孝行な息子は何にも代え難い。
ハーバードを出たという男よりずっと私にとって価値がある人間なのだ。
私が出来なかった親孝行を、彼となら出来る気がする。彼のお父さんお母さんに親孝行しよう。

彼が単身赴任から戻ってきてから直ぐに結婚することにした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?