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キャリコン|特性因子論 byパーソンズ


こんばんは、るーんです。
季節の変わり目だからか、突然雨が降り始めることが多いですね。
夏も好きですが、日本の夏はハワイなどに比べると湿気がすごいですね。カラッと晴れてくれたら最高なのに!でもそしたら紫外線がキツすぎるかな。一長一短ですね。


秋はなんだかノスタルジックな感じで落ち着くし、旬の食べ物が見事なので四季の中で最も好きな季節です♪
日本は本当、ご飯が美味しくて最高です^^


さて、理論を一旦終えたのでまとめていきます。
以前ご紹介した三種の神器からの引用がほぼですが、頭の整理のために改めて記載していきます。

最も古くから用いられてきた理論「特性因子論」byパーソンズ

人間と職業の両者を合致させる理論(=合理的な推論によるマッチング)
彼は、職業指導に決定的な影響を与える理論の原型といえる以下3つの見解を示しました(1909年)。

1:自分自身、自己の適性、能力、興味、希望、資質、限界、その他の諸特性を明確に理解すること
2:さまざまな職業や仕事に関して、その仕事に求められる資質、成功の条件、有利な点と不利な点、報酬、就職の機会、将来性などについての知識を得ること
3:上記の2つの関係について、合理的な推論を行いマッチングすること

「キャリアコンサルティング理論と実際」木村周/下村英雄 著


上記3つを課題とした場合、それを達成する方法として以下7つが必要だと彼は説いたそう。(沢山!)

1:個人資料の記述
2:選択と意思決定
3:職業についての概観と展望
4:選択した職業への適合のための援助
5:自己分析
6:カウンセラーによる分析
7:推論とアドバイス

「キャリアコンサルティング理論と実際」木村周/下村英雄 著


元々、”どう生きていくか”という課題は、古来より家族や親類縁者、友人などの私的な人間関係において話し合われてきたもの、つまり、身近な人間の経験則で行なっていました。
それに対してパーソンズは、”第三者である専門家が一定の専門性を根拠に専門的な支援を提供すること”を切り拓いた第一人者のようです。

ちなみにキャリアガイダンス(実習・指示・助言)の土台として生かされているこの理論は、GATB(厚生労働省編一般職業適性検査)*をはじめとする様々なテストや検査、職業分析などを生み出しています。

*GATBでは、以下9つの適性能を測定できる。
知的能力:一般的学習能力
言語能力:言語の意味およびそれに関連した概念を理解し、それを有効に使いこなす能力。言語相互の関係および文章や句の意味を理解する能力。
数理能力:計算を正確に速く行うとともに、応用問題を推理し、解く能力。
書記的能力:言葉や印刷物、伝票類を細部まで正しく知覚する能力。文字や数字を直観的に比較弁別し、違いを見つけ、あるいは校正する能力。文字や数字に限らず、対象を素早く知覚する能力。
空間判断力:立体形を理解したり、平面図から立体形を想像したり、考えたりする能力。物体間の位置関係とその変化を正しく理解する能力。青写真を読んだり、幾何学の問題を解いたりする能力。
形態知覚:実物あるいは図解されたものを細部まで正しく知覚する能力。図形を見比べて、その形や陰影、線の太さや長さなどの細かい差異を弁別する能力。
運動共応:眼と手または指を共応させて、迅速かつ正確に作業を遂行する能力。眼で見ながら、手の迅速な運動を正しくコントロールする能力。
指先の器用さ:速く、しかも正確に指を動かし、小さいものを巧みに取り扱う能力。
手腕の器用さ:手腕を思うままに巧みに動かす能力。物を取り上げたり、置いたり、持ち替えたり、裏返したりするなどの手腕や手首を巧みに動かす能力。

独立行政法人労働政策研究・研修機構HP


パーソンズは、人のキャリアを支援する専門家の始祖と言われており、110年以上前の彼の著書において、19歳少年の職業相談に乗った経験が描かれているようです。

「少年は以前は食料品店の配達馬車の運転手としてある程度の収入を得ていたが、病気によって職を失い、わずかな賃金でビリヤード場の片隅で靴磨きを行っていた。そんな彼の職業相談に乗ったパーソンズは、彼は絵やレタリングが他者より秀でていることを見出し、街角の看板や雑誌広告を見て気に入ったものを真似て何度も何度も練習せよと促した。結果、少年はレタリング技術を身につけ、立派な装飾文字を描く看板作りの職を得ることができた。」

パーソンズの特性因子論は「人間には個人差があり、職業には職業差がある。両者をうまく合致することが可能であり、それがよい職業選択や職業適応である」ことを伝えたいようです。




特性因子論の発展版「特性因子カウンセリング」byウィリアムソン

パーソンズの特性因子論の発展版として、1930年代にウィリアムソンが生み出したこの理論は”差異心理学”に理論的背景を置いており、「人はすべて異なる。この個人の差異性は測定でき、複数のパターンで示すことができる。それは職業についても同じである」という立場に立つものです。カウンセリングの源流の一つとして、進路指導や職業指導などに多大な貢献をしている理論です。

この特性因子カウンセリングは、以下6段階を経て行われます。

1:分析(主観的・客観的方法を用いて、適性・興味・価値観などクライアントに関する多くの情報を集める)
2:総合(クライアントの特性を明確にするため、情報を比較検討し、要約する)
3:診断(クライアントの目立った特徴と問題点を叙述し、個人の特徴と職業や進路の諸条件を比較し、問題の原因を見つける)
4:予後(問題から予想される結果と適応の可能性を判断し、クライアントが選択可能な行動や適応をクライアントに示唆する)
5:処置(現在及び将来において望ましい適応状況を得るために何をすべきか、クライアントと協力的に話し合う)
6:追指導(新たな問題が生じた場合に、上記ステップを繰り返す)

「キャリアコンサルティング理論と実際」木村周/下村英雄 著


ちなみに特性因子論には、いくつかの突っ込みも寄せられているようです。
例えば、
・人と職業の関係を固定的、静的に捉え過ぎているのではないか。両者のダイナミックな関係や発達プロセスへの考慮が足りていないのではないか
・現実の職業選択は、必ずしも合理的な推論によって行われるとは限らないのではないか。例えば無意識的、情緒的などによっても左右されることへの考慮が足りていないのではないか
などです。




「人 - 環境適合理論」byダウィス&ロフキスト

これは、特性因子論に”双方向性・主体的な考え方”を導入した理論です。この理論の代表的なものに「職場適応理論」があります。

人のニーズが環境に満たされている程度     =満足感
環境(≒職場)のニーズを人が満たしている程度   =充足度

「キャリアコンサルティング理論と実際」木村周/下村英雄 著


上記2つの適応度合いが高ければ高いほど、人は満足感を感じ、職場は要求水準を満たしていると考えるとのこと(=人は退職せず、職場も解雇しない状態)。

個人は人-環境適合を高めるために働きかけたり、また自分のニーズを低めたりするらしく、その際、以下4つの要因があると言います。
1:柔軟性(不適合を許容する能力)
2:活動性(環境への働きかけ)
3:反応性(自分の側の対処)
4:忍 耐(調整行動を持続できる時間)


この理論、深掘りが必要だなーと個人的に思います。
「不適合を許容する能力」ってなんだろう。
不適合を適合に変えるために頑張るんじゃなくて、不適合であることを認める能力、つまり、諦める能力ってことなのかしら?何をもって”不適合”とする/なるのかも曖昧な気がして、もっと知りたい!と感じます。



理論をちょっとかじっただけですが、感じたことがあります。

1900年代以前はキャリアカウンセリングというもの自体がなく、もちろん理論もなかった(たぶん)。それまでは、家族や友人などの身近な人に相談していた。生い立ちが近ければ、似通った思想や考え方を持つ可能性が高いだろうから、結局は相談しても大きく方向性を変えるなどダイナミックな決断に至ることは稀だったのでは、と推察。もしくは、代々受け継がれてきた運命に従うことに使命を感じていた為に方向性への悩みが生じなかったり、逆に選ぶ自由がない(と思い込んでいた)から悩むことすらしなかった者もいたかも知れない。戦時中、どれだけ嫌でも軍人として命を賭けなければいけない状況に追い込まれる人だって、一体どれほどいた/いるだろう。

選ぶことができる環境にあるというのは幸せなようでいて、誰の、何の責任にもできないから、当事者は悩み苦しむこともある。そして、課題と解決策はおそらくセットだから、人は課題も定められないまま、必死に解決策を生み出そうとする。そういったときに、キャリアコンサルタントは必要とされるのだろう。

資本主義経済においてすべての商いは、
こうあったらいいよねという理想とそうではない現実の双方を認識し、顕在化し、そのGAPを埋めるべく課題を設定し、解決するという一連の流れで成り立っており、お金が巡っている。
新規事業やスタートアップだって、「いかに課題を見出すか」が肝。つまり、”いかに問いを立てるか”がとても重要視されている。課題さえ定まれば解決先はいくらでも出せるし、生成AIが秒でロジック立てて導き出してもくれる。

だから、こうも思える。
「これ課題だよね」と認識しなければ、課題にならなかったかもしれないのになぁ、と。世の中には、自分や自分たちでコントロールできるものとできないものがあるけれど、その境界線が曖昧にふわふわしているように見える人にとっては少し酷なのかもしれない。

今、「社会課題」と声高に叫ばるようになった理由の一つは、今までわざわざ課題を作り出し続けてきたからではないか、と思う。AIによると社会課題とは「社会において発生し、解決に至っていない課題。貧困、差別、労働、ジェンダー格差、気候変動、森林破壊など、私たちの社会が抱えているありとあらゆる課題」。社会課題の対義語は「社会的包摂の対義語」である「社会的排除」らしい。


本来一つであるはずの宇宙がバラバラになったように見せかけられていて、宇宙の一部である人間もまた、それに倣ってあらゆるものを自らバラバラにしてしまっているように見える時がある。あまりにもこの世は壮大すぎて、分けないと認知が追いつかなかったから、あらゆるものに名前をつけてみたけれど(そうしないと、相手とコミュニケーションが成り立たなければ、私が何なのかもわからない。相手が何なのかもわからない。だからわかりやすく分類もした)。それがいつの間にか優劣を生み、分断を生み、戦を生み、白黒を生み、経済を生んでしまっている側面もある。


本当は、ロジック立てて考えなくてもわかるはずなのに、わざわざ頭を使わないと認知できなくなってしまったのは一体なぜなのか。それはきっと、それだけ壮大なものに人間が向かっていくための手段として必要だからかもしれない。
でも、そちらだけに頼り切ったり、扱い方をまちがえるとまずいのかもしれないな、と頭で考えている今日この頃。


いっつも話が逸れてしまう(笑)
ではまた^^



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