エッセイ:サンタさんになった私
先日、最近好きになった声優さんのラジオを第1回から聞いていたら、こんな話が
「小学3、4年生くらいにクラスの中でサンタさんがいるかどうか議論になって、お母さんに聞いたら、あっさり私がやってんたんだよと言われて、
最悪だった。」
こんな光景は、私がいた小学校でもあった。そのくらいの年になると、
サンタさんがいるかいないか、クラスの中で論戦がはじまることがある。
私は、サンタさんはいる側で論舌を奮った。それにはある理由があった…
* * *
既に書いた記事にあるように、私は子どもの頃に虐待を受けていた。しかし、ありがたいことに両親から完全に放置されたり、いじめられたりしていたわけではなかった。
我が家にもクリスマスにはサンタさんが来ていた。
5歳の頃の秋、両親にこう言われた。
「○○~?、もしサンタさんにプレゼントを頼むなら、何がいい?」
私は、「何もいらないよ」と答えた。だってサンタさんにお願いしたら、欲張りだと思われて何もくれないかもしれない、と考えていた。
でも、本当は、恐竜の図鑑が欲しかった。私は別室に行った後、小声でぽつりとこう言った「本当は恐竜の図鑑が欲しいなぁ」
迎えたその年のクリスマス。なんと枕元に恐竜の図鑑が!!
(やった、サンタさんが、わたしの願い事を聞いてくれたんだ!!)
私はその後むさぼるようにその恐竜の図鑑を読んだ。
しかし、その後、次の年からは願い通りのものが来ることはなかった。私は、家でテレビを見ることが制限されていたため、夜中にこっそりテレビが見れるようにワンセグテレビが欲しかったのだが、それは来ず、学校の図書室で読んでいた「はだしのゲン」に欠品があったので、「はだしのゲン」全巻セットを頼んだが、それも来なかった。そしてついにサンタさんが来ることもなくなった。
私は、なんか怪しいぞと思いながらも、5歳のときの成功体験?を忘れずにまだサンタさんを信じていた。サンタさんがいるかいないか論争がはじまると、私は5歳の時の話を持ち出し、「もしサンタさんが親だったら、こっそりお願いしたものを心を読んで買うことなんてできないよ!!」と主張していた。
しかし、5年生になった時に、父に唐突にこう言われた。「もう、お前を騙すのにも無理が出てきた。正体をばらそう、サンタをやっていたのは俺だ」
私は、そんなことをいきなり言われてショックだったが、何とか知ってたふりをしてごまかした。
考えてみれば、5歳の頃の成功体験も、部屋の中での私のひとり言が大きかったから両親に聞こえてたのかもしれないし、そのくらいの子どもの欲しいものなんて、普段のようすを見ていたら親には簡単に予想できるものかもしれなかった。
そんなことを考えている私に、父は続けて、「でも、まだ妹は信じてるみたいだから、今度は一緒になってサンタさんをやろう」と言ってきた。私は、それを受け入れ、それ以来、クリスマスの前には、妹からこっそり欲しいものを聞きだしたり、父が買おうとしているものが妹が喜びそうかチェックしたりする係をしていた。
しかし、それもいつしか妹が小5になるくらいには自然消滅した。
だが、私のサンタ生活は終わらなかった。今度はその対象が友達の妹に変わった。
私は、友達の妹を実の妹のようにかわいく思っていたので、それからクリスマスの頃になると、100均から買ってきたサンタの帽子をかぶり、大きな靴下にお菓子などを入れて、友達の家に行っていた。
だが、それも2年前、友達の妹が20歳になったときに相手方のお母さんから「○○も20歳になったから、もうそういうのもやんなくてもいいよ~」とやんわり断られ、私のサンタ生活は終わった。
結論:サンタさんはいる
余談:日本においてサンタさん(〇〇)がプレゼントを配る文化っていつ始まったのかなぁ?そういう研究調べたらありそう。それからサンタさんいるかいないか論争をやったことがある子どもってどれくらいいるんだろうか。これも調査してほしい。
てか、この話自体、クリスマスの前くらいに書けばちょうどよかったのに、戦略性がない私(セルフつっこみ)