【書評】日本歴史編集委員会編『恋する日本史』(2021)を読んで
↓今回読んでいた(2023)本はこちら
いつも自分語りで長めになるので、今回は自分語り控えめ、簡潔に。
この本は、23人の歴史学者たちが、日本の古代から現代までの恋愛について書いた論文を束ねて作られた本である。上手く全体的にまとめるのは難しいので、以下に目次を掲載して、雰囲気を感じ取ってもらいましょうか(引用ではなく見やすく改変しました)。
この本の目次
古代
・大谷歩「万葉びとの「恋力」─『万葉集』にみる非貴族階級の恋─」
・中野渡俊治「桓武天皇と酒人内親王」
・岩田真由子「古代における内親王の恋と結婚─皇孫の血の世俗化─」
・高松百香「「一帝二后」がもたらしたもの─一条天皇、最後のラブレターの宛先─」
・告井幸男「摂関期の史料にみえる密通」
・三谷芳幸「古代にみる肖像恋慕の心性」
・三上喜孝「古代史はLGBTを語れるか」
中世
・野口華世「院政期の恋愛スキャンダル─「叔父子」説と待賢門院璋子(しょうし、たまこ)を中心に─」
・高橋秀樹「鎌倉時代の恋愛事情─『民経記』と『明月記』から─」
・小川剛生「尚侍藤原頊子(ぎょくし、たまこ)(万秋門院)と後宇多院」
※↑の野口さんの論文に出てくる人と同姓同名ですが待賢門院より120年後の人です。
・清水克行「娘の密通、そのとき母は・・・・・・」
・遠藤珠紀「宮中の恋─室町後期の女房たちの出会い」
近世
・畑尚子「大奥女中の恋愛事情」
・松澤克行「ある宮家の「恋」」
・大藤修「駆落・心中と近世の村社会─村における恋のゆくえ─」
・綿抜豊昭「<恋文集>について」
・箱石大「勤王芸者と徳川贔屓の花魁」
近現代
・千葉功「天心・波律・隆一の三角関係と美術行政の展開」
※美術家の岡倉天心は華族の九鬼隆一の妻である波律と不倫していた
・土田宏成「軍隊と恋愛」
・小山静子「純潔教育のゆくえ─一九五〇年代前半における文部省の考え方─」
・石田あゆう「戦後皇室と恋愛─天皇制「世論」と理想的結婚イメージとの関係性─」
・三成美保「同性愛と近代」
本文244p
感想
これからDISる(批判)わけじゃなくて、擁護の文章を書いていくのだけれど、普通の学術書です。だから、題名にひかれて読んだ人は面食らうかもしれない。しかも、1本1本は10p前後の論文だから、内容も薄いと感じられるかもしれない。
でもね、しようがないんです。私も一応研究の世界に足の指先だけ突っ込んだ人間だから言うけれど、大学の先生は忙しいんです。そして若いころからアップアップで必死で人生を駆け抜けている。だから、大学生の時にこれといった研究テーマを決めたらそれに絞り、後は、自分の研究テーマを最近の流行りのテーマと無理やり紐づけ、本を書く時も1人で1冊を書くよりも、
分担して書いていく、場合によっては既に書いた論文を流用するという風にするしかないんです。
ましてや、恋愛の問題なんて途轍もなく大きいテーマ。特に近現代なんて、逆に史資料が大量にあるし、恋愛のあり方は多様で本来はまとめて論じることもできない。LGBTや皇室についても触れているから、政治色強めと感じる人もいるかもしれないけれど、何とか「恋愛」を通して、「歴史」を身近に感じてほしい、昨今話題になっている問題についても考えてほしいというのが本書の心意気なわけなのです。
特に私が面白いと感じたのは、高松百香さんの、「一帝二后」がもたらしたもの 一条天皇、最後のラブレターの宛先 、である。
時は平安時代─
第66代天皇である一条天皇の治世の頃(986~1011)は、藤原氏による摂関政治が全盛期を迎えつつあった頃で、特に藤原氏の中でも藤原北家と呼ばれる家の中での権力争いが激しくなっていた。
以下、細かい説明を省いて要点だけ記す。間違っている箇所があったら申し訳ない。
さて、
990年、藤原北家の藤原道隆は娘の定子を入内(輿入れ)させ、その後、父・兼家を継いで摂政・関白に次々と就任した(道隆は兼家の長男)。
しかし、5年後、道隆は病により死去。生前から道隆は長男の伊周(これちか)を関白にしようとしていたが、伊周が若すぎて無理だった。さらに道隆死去後には、伊周の弟である隆家があやまって、一条天皇の前の天皇だった花山法皇(出家していたので法皇)に矢を射かけたことをきっかけに、
伊周や隆家は左遷された(長徳の変)。道隆の次の弟だった道兼(兼家の正室の次男)も道隆死去後2週間もしないうちに亡くなっていたので、遂に次の次の弟(兼家正室の三男)である道長に藤原家の家長と日本のトップの座がわたってくる。
※実は道長は摂政にはなったが関白にはなっていない。
摂関政治のやり口であるが、自らの権力を確定させ、子孫の宮中での繁栄を確かなものとするためには、娘を天皇に入内させ、天皇の子を産ませ、さらにその子を天皇にし、自ら天皇のおじになるのがセオリーだ。
道長も自らの娘である彰子(しょうし、あきこ)を一条天皇に入内させることを企む。
しかし、道隆・伊周らの後ろ盾がなくなっても、一条天皇は定子にデレデレ。
さらに、当時は重視されていた前例や律令(法律)の問題があってそこを説明するとややこしくなるため省くが(説明できないので逃げ)、とにかく、道長は定子がいるのに彰子を一条天皇の正室扱いにしようとし、それがちょっと問題だった。
しかし、道長は強引にそれを成し遂げてしまい、正室が二人という状況になったのだ。
当初、彰子は天皇より8歳も若く、まだ11歳だったこともあり、天皇の心は彰子にはなびかなかった。だが、定子がその後10か月くらいで亡くなり、彰子も成長したこともあって、天皇の心も彰子に傾き、遂に入内から9年近く経った1008年に男の子を出産した(後の後一条天皇)。
一条天皇は、その後、たった3年くらいで31歳という若さで崩御(亡くなること)した。
天皇は崩御時、「露の身の 風の宿りに 君を置きて 塵を出でぬる ことぞ悲しき」(文献によって一部違いあり)という、この世にあなたをおいて去っていくのは悲しいという意味の辞世の句を詠んだ。
この句における、「君」が定子なのか、彰子なのか、以前より論争があった。
本章の著者の高松さんは、この和歌が、そもそも辞世ではなくて、出家の歌なんだという主張をしつつ(一応先行研究の存在を挙げ、参考文献の欄に紹介し、自分のオリジナル説ではないよ的なことは表現している)、だからこそ生きている彰子に向けたものだろうという結論を述べた。
そうして冷静になろう的なことを表現しつつ、この句を記録した道長と藤原行成の立場や一条天皇の后に対する愛情にも触れ、文章を終えている。
歴史のロマン、その中でも人の心情に触れることは素晴らしい。しかし、その上で、研究者として、いや研究者だけではなく、社会に生きる人間として我々は、科学的(ここでは弁証法的)にバランスをとることが必要だ、そしてその上でさらに愛したくなる歴史上の人々。
この論文、いや本書全体から歴史を勉強する上での必要な感覚を学ぶことができるだろう。
余談だが、この章を読んだ直後、NHKの2024年の大河ドラマがこの一条期を含む紫式部と藤原道長を主人公にした「光る君へ」に決定し、運命的なものを感じざるをえなかった。
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