うらしま太郎・第5話(浅野浩二の小説)
海の底には、美しい竜宮城がありました。
乙姫は、一人ぼっちで、話し相手といえば、鯛や、平目の魚たちだけです。
当然、魚なんかと、話していても、面白くありません。
ある時、乙姫は、そっと、人間という生き物の住む、陸に近づいてみました。
陸に住む人間とは、一体、どういう、生き物なのかしら?
もちろん、乙姫は、足がなく、下半身は、魚で、人魚のような、姿です。
浜辺では、子供たちが、遊んでいました。
下半身が、二本の、太い腕のようになっていて、自由に、陸の上を走り回っていました。
乙姫は、しばらく、子供たちの、遊びを、じっと、見ていました。
乙姫が、見ていると、一人の、イケメン男が、歩いて、きました。
男は、子供達と、楽しそうに、遊びました。
乙姫は、さびしく、竜宮城へ帰りました。
あの、「人間」、という生き物は、どういう、動物なのだろう?
鮫のような、怖い、生き物なのだろうか?
イルカのような、優しい、生き物なのだろうか?
乙姫は、好奇心が、募っていきました。
ある時。
乙姫は、カメに言いました。
「カメや。私は、人間というものを知りたいわ。お前は、這って歩けるのだから、ちょっと、人間の所に行ってくれない?私も一緒に行くから」
カメは、
「はい。わかりました。乙姫さま」
と言いました。
乙姫と、カメは、竜宮城から、出て、海の中を泳いで、陸に、上がって行きました。
すると。この前、見た、人間の、子供達が、ノロノロ歩く、カメを取り囲みました。
「おーい。カメがいるよ」
「めずらしいな。こんな、大きなカメ」
「しかし、歩くのが、のろいな」
そう言って、子供たちは、棒を持って、カメを叩き出しました。
「やーい。ばーカメ」
「ここまで、来てみな」
カメは、首を甲羅の中に引っ込めてしまいました。
乙姫は、それを、岩陰から、そっと見ていました。
「やっぱり、陸の人間、というのは、サメのように、残忍な性格の動物なのだわ。関わらないようにしましょう」
乙姫は、そう言って、溜め息を、つきました。
その時です。
前回の、イケメン男が、歩いて、やってきました。
「あっ。浦島さん。ここに、大きな、カメがいるよ」
と言いました。
イケメン男は、子供たちに、
「こらこら。歩みの遅い、カメをいじめては、かわいそうじゃないか。やめなさい」
と、注意しました。
子供達は、叱られて、
「ごめんなさい」
と言って、散り散りに、去って行きました。
男は、カメを、持ち上げて、海へ、
「ほーら。お帰り」
と言って、海へ放してやりました。
乙姫は、驚きました。
「人間は、全てが、悪い生物ではないのだ。彼のような、優しい心を持った、人間も、いるのだわ」
乙姫は、いたく感激しました。
乙姫は、カメと一緒に、竜宮城へもどりました。
「ごめんね。カメ。お前を、実験台に、使ってしまって」
「いえ。いいんです。乙姫さまは、僕の女神さまです」
と言いました。
その日から、乙姫は、不思議な感情に襲われ出しました。
それは、今まで、一度も、経験したことのない感情でした。
「ああ。あの、浦島という、優しい、男の人と、話してみたいわ」
乙姫は、何度も、そう呟きました。
カメは、乙姫の、さびしさ、を、見るに見かねました。
そして、乙姫の気持ちを、忖度しました。
「竜宮城に、浦島さんを連れてこよう」
そう、カメは、決意しました。
カメは、ある日、こっそりと、あの、浜辺へ行きました。
すると、ちょうど、あのイケメン男が、漁のため、船を出す所でした。
カメは、陸に這い上がって行きました。
そして、男に話しかけました。
「浦島さん。この前は、助けてくださって、有難うございました。おかげで命びろいしました」
と、丁寧に、お辞儀しました。
「はは。いいんだよ」
と、浦島は、言いました。
「あ、あの。浦島さん」
「なんだね?」
「実は、この前、助けてもらった、ことを、竜宮城の乙姫さまに、話しましたら、ぜひ、お礼がしたい、と言うのです。よろしかったら、一緒に、竜宮城へ来ていただけませんか?」
カメは、そう言いました。
「竜宮城か。どんな所なんだ?」
「とても、いい所ですよ。気に食わなかったら、帰ってもいいです。私が送ります」
「そうか。どんな、所か、一度、見てみよう」
と、浦島は、言いました。
「では、私の背中に乗って下さい」
「よし。わかった」
そう言って、浦島は、カメの背中に乗りました。
カメは、水中深く、潜って行きました。
「う。息が苦しい」
「もうちょっと、我慢して下さい。もうすぐ、竜宮城です」
やっとのことで、浦島を乗せたカメは、竜宮城へ、着きました。
「乙姫さま。浦島さんを、お連れ致しました」
そう、カメは、大きな声で言いました。
乙姫が、そっと、おそるおそる、顔を、のぞかせました。
「あなたが、乙姫さま、ですか。何と、美しい方だ」
浦島は、乙姫を見ると、そう言いました。
乙姫は、顔が、真っ赤になりました。
乙姫は、カメを見ました。
「乙姫さま。勝手に、浦島さんを、竜宮城へ、連れてきてしまって、すみません」
と、カメは、謝りました。
「い、いいの」
と、乙姫は、カメを、なだめました。
「あ、あの。私の、家来のカメを、助けて下さって有難うごさいました。どうぞ、ごゆるりと、くつろいで下さい」
と、乙姫は、言いました。
「それでは、お言葉にあまえて」
と言って、浦島は、竜宮城へ入っていきました。
乙姫は、横座りになって、家来の、魚たちに、酒や、海鮮料理を、たくさん、もって来させました。
浦島は、
「うわー。美味しそうだー。それじゃあ、失礼して、頂きます」
と言って、酒を飲み、豪華な料理を食べました。
乙姫も、一緒に、酒を飲み、料理を食べました。
「うわー。美味しい。美味しい」
と言いながら、浦島は、パクパクと、食べました。
乙姫は、嬉しくなって、浦島の体に、ピッタリと、くっつけて、寄り添いました。
食べ終わると、浦島は、乙姫に向かって、
「ありがとう」
と言いました。
そして、乙姫の肩に手をかけて、乙姫の髪を、優しく撫でました。
そして、歌を歌ってやりました。
乙姫は、今までに経験したことのない最高に幸せな気分になりました。
「乙姫さま」
「はい。何でしょうか?」
「ここは、隠された方が、いいのでは、ないでしょうか?」
そう言って、浦島は、乙姫の、豊満な胸を指しました。
「そうね。何だか、恥ずかしいわ」
乙姫は、裸を見られることに、恥ずかしさが、起こって、思わず、胸を手で覆いました。
浦島は、近くにある、大きな貝を開き、それを、乙姫の、胸の二つの、膨らみに、かぶせてやりました。そして、その上から、昆布で、巻いて、貝が、落ちないように、してやりました。
「優しい方」
乙姫は、ポッと顔を赤くしましまた。
乙姫にとって、こんな、素晴らしい、気持ちになったのは、はじめてでした。
「あ、あの。浦島さま。あなたさま、さえ、よろしければ、いつまでも、ここに、いて、くださって、構いませんのよ」
と、乙姫は、顔を赤くして言いました。
「そうですか。それは、うれしいです」
そう言って、浦島は、竜宮城で、乙姫と、楽しく過ごしました。
しかし、竜宮城には、時計がありません。
浦島が、竜宮城に来て、かなりの日にちが、経ちました。
「一体、何日、経ったのだろう?」
という疑問が浦島に起こってきました。
ある日。
「乙姫さま。あなたとの生活は、楽しい。しかし、私の家には、老いた母がいます。漁もしなければなりません。私は、母を看護し、働かなくてはなりません」
と言い、
「それと。私には、将来を誓い合った、婚約者が、います。なので、あなたと、別れるのは、つらいですが、私は、家に戻らなくては、なりません」
と浦島は、言いました。
「あ、あの。婚約者って、一体、何なのでしょうか?」
乙姫が、聞きました。
「つまりですね。今の、私と、あなたの、関係のように、いつも、仲良く、一緒に生活する女性のことです」
と、浦島は、言いました。
乙姫は、ガッカリしました。
一生、優しい、浦島と、楽しく過ごせると思っていたのですから、無理もありません。
この時、乙姫に、今までに、経験したことのない、ある感情が起こってきました。
乙姫は、非常に激しい、苦悩に悩まされました。
この気持ちを、どう処理していいか、乙姫には、わかりませんでした。
そして、考え抜いた、あげく、乙姫は、浦島に、ある箱を渡しました。
「浦島さま。わかりました。それでは、陸へおかえり下さい。長い間、引き止めてしまって、もうしわけありませんでした」
乙姫は、そう言いました。
そして、浦島に、きれいな漆塗りの箱を差し出しました。
「浦島さま。これは・・・おみやげです。受けとって、いただけないでしようか?」
乙姫が、そういうと、浦島は、嬉しそうに、
「どうも、ありがとう。こんな、お礼まで、頂けるなんて」
と言いました。
浦島は、陸に帰るために、カメの背中に乗りました。
カメが、泳ぎ出そうとした時、乙姫は、
「あ、あの。浦島さま。その箱は、やっぱり、開けないで下さい」
と言いました。
しかし、浦島を乗せたカメは、竜宮城から、かなり、離れていて、その声は、浦島に届きませんでした。
「まって。まって」
と乙姫は、必死で、浦島を引き止めようとしました。
微かな声が、浦島に届いたのでしょう。
浦島は、後ろを振り向きました。
竜宮城では、乙姫が、激しく手を振っています。
浦島は、それを、別れの、あいさつ、だと、とらえました。
そして、浦島も、笑顔で、目一杯、力強く、乙姫に向かって、手を振りました。
やがて、竜宮城との距離が、離れていき、乙姫の姿も、見えなくなりました。
陸に上がった、浦島は、はて、自分の、家の、方向は、どちらだろうと、迷いました。
カメが、辿り着いて、浦島を降ろした場所は、元の場所ではなかったからです。
それは、乙姫が、カメに、「浦島さまを、ちょっと、離れた場所に返して」、と言ったからです。
カメが、それは、どうして、ですか?と聞くと、乙姫は、黙ってしまいました。
陸に上がった、浦島は、はて、自分の、家の、方向は、どちらだろうと、迷いました。
見知らぬ土地、見知らぬ人ばかりです。
「まあ、しかし、人に聞けば、ここは、どこで、どの方角に行ったら、家に戻れるかは、わかるだろう」
と、そんなに、あせりませんでした。
浦島は、とりあえず、浜辺に座りました。
乙姫が、くれた、きれいな箱が目にとまりました。
「一体、何が入っているんだろう。優しい、乙姫のことだから、きっと、素晴らしい、お土産に違いない」
そう思って、浦島は、玉手箱を開けてみました。
すると、どうでしょう。
箱の中から、煙が、モクモクと出てきました。
「うわっ」
と、浦島は、びっくりしました。
箱の中には、カガミ、がありました。
竜宮城には、カガミはありませんでしたから、自分の顔を見るのは久しぶりのことです。
浦島は、カガミを見てみました。
そして、驚きました。
なぜなら、浦島の顔は、老人の顔になっていた、からです。
蛇足。言うまでもないが、聡明な読者諸兄には、おわかりのことだと思うが、玉手箱の煙とは、「嫉妬」、の感情、なのです。