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休まないで働かないといけないと思っていた頃の話

私はかつて大学院で研究をしていました。正直なことを書けば、本当は早く就職したかったけれど、当時は大学院に進学したほうが後々良いと思い、奨学金を借りて通いました。

ただ、今冷静に考えてみると、当時、学生はほとんど労働力として搾取されていたと思います。
まず学生として学業や研究に専念すべしと謳われつつも、生活もあるのでアルバイトも掛け持ちし、それが終わった後に再び大学に戻って、夜~深夜帯はゼミの先生の所属している学会や研究会のための仕事(※無償)をしていました。
通常の労働時間に加えて残業が常態化しているような感じですね。(今思うと笑い事ではないと思うのですが、そんなもんなんだろうなとその頃は思っており、今もよくわかっていない気もします)

毎日寝る時間も削って、学会や研究会のために働き、休日もほとんどありませんでした。休日に本分であるはずの研究のための資料や準備をして、他のアルバイトのための準備もして…「休みとは?」という状態です。
当時「労働基準法ってあるんだ…学生には適用されないんだ…」と絶望していました。
ほぼ無償労働させられているに等しいのに、これをすることが自分のためになるんだ的な洗脳をされていたように思います。

それの見返り…とでもいうのでしょうか、多くの先輩方は良い就職先やポストへと採用されていくのを見ていました(この辺りはもしかしたらそうではないかもしれませんし、そうだったのかもしれません…としか言えませんが)。実際に研究の業績を上げるべし、と言われながらも、あまり業績が無くても良いポストに紹介されていった先輩も見たことがあります。

だから、やがてこの大変さや困難さを乗り越えれば、自分たちもいつかは良い就職先に恵まれるのではないかという淡い期待があったのですが、悲しいかな、卒業して10数年経った今も私はそんなことには恵まれませんでした。
…この仕事の不安定さ、経済的困窮状態に置かれることも自分の現在のメンタルヘルスの問題に影響していると思います。
(今は服薬によってかなり落ち着きましたが、以前はすさまじい不安や憤りに支配されていました。)

卒業後はいくつかの仕事をかけもちしますが、不安定な雇用状況、かつ低い収入のもと、呈示される仕事量以上のものを頑張れば、もっと良い仕事に就けるんじゃないかという期待だけを頼りに、頑張って頑張って頑張って頑張って、なんだか身体がだるくて変だな、どうしてわけもないのに涙が出そうになるんだろう、休みたい、でも働かなきゃ生活できない…という葛藤状況のなかで必死でした。
そもそも不安定な雇用状況だったので、病休や退職した際の保障も何にもありませんでした。「絶対に今病気になりたくない、自分の状態を病気だと認めたくない」と必死でした。

そんなフラフラのなかで支えてくれた夫と結婚し、子どもを授かった時も、育休制度なんて使えるはずもないので仕事を辞めざるを得ず、経済的にも一切保障がない状況でした。産休や育休を取っている周囲が羨ましくて泣いたこともしばしばありました。保育園を探す時にも仕事復帰、ではなく仕事を探すところからスタートせねばならず、いわゆる「保活」も厳しい状況でした。

でも子どもと暮らし始めて、決まった時間にご飯を食べて、寝る時間も確保して、必要な時に休むというリズムになってからは「あれ…今自分はなんて良い暮らしをしているんだろう」とふと思うようになりました。少しだけ回復したきっかけは子どもとの暮らしでした。でも、一方で子どもがいることで仕事に関するいくつかの問題も発生して、どんどん周囲に追い越され差をつけられていく感覚もありました。

一度だけ、正規雇用の話を打診されたことがあり、私も引き受けたい仕事でしたが、夫に相談したら「こちらの仕事が忙しい状態だから、引き受けられないに決まっているじゃないか。断って」と言われ、断らなければならなかったことも忘れられません。
それ以降、私はプッツリと糸が切れてしまったように覇気が無くなり、仕事を探すのも躊躇するようになりました。
求人はずっと探し続けていましたが、自分が必ず子どもの送迎できる時間で働こうとすると、正規雇用の仕事はほとんど応募できませんでした。少なくても非正規の仕事しか見つけられませんでした。結果として、収入面ではとても苦しい状況にならざるを得ませんでした。

ちなみに同じような状況でも、うまく就職していった同期や後輩もいます。就職してすぐに妊娠し、産休や育休を取っている様子を見て「要領よくやってるな」と思いました。その方たちにはその方たちなりの大変さはあると思うのですが…。その度に自分の能力や運の無さを見せつけられているようで苦しくてたまりませんでした。

苦しかったのは、最初は応援して祝福できたのに、だんだんと毒のように自分のなかに溜まっていく何とも表現できない妬みがあって、私のこころが壊れていってしまうような感覚でした。でも自分にとってはボロボロの状態でも、「おめでとう」としかいい続けることができず、自分は何を言っているんだ、そんなことが言いたいんじゃないだろうと思い続けるたびに、何も言えなくなって、黙り込んでしまうことも増え、食事は美味しくなくなり、夜は眠れなくなりました。

人と会うことが怖くなり、「今何をしてるの?」と聞かれることが苦痛になり、人に会うことを避けるようになっていきました。

そんな状態でしたから、研究になど注力できるエネルギーはありませんでした。文章を読むのも書くのも、何をするのも、ただただしんどい。「もう頑張れない」と何度も泣いて泣いて、ただただ荒む心を抱えていました。

学生生活、本当にブラックだったんだなぁと今でも思い返します。悪夢を見る時は大抵この時期で、仕事に追い詰められながら深夜まで大学で作業をし、収入もほとんどないので貧しさに喘いでいたせいでしょうか。今でも「ああもう深夜2時だな」と時計を見ながら「仕事が終わらないなぁ…明日も朝から授業があってバイトなのにな」「いつまでこの生活を続けるのかな」と焦る気持ちを抱えて夢の中から飛び起きる時、呼吸が荒くなっています。

今思えば、当時すでに何らかのメンタルヘルスの不調を抱えていたとしか思えませんし、その基盤にはこの大学院生活の問題があったと思います。
この後遺症のように残っている「頑張らなきゃ」の末に、何も手に入らず「搾取されただけだったな」という思いに駆られ、打ちのめされる時間が本当に苦痛でした。
それでも気を抜くと、その頃のように「働かないと」と言う気持ちが出てきてしまうので、適度に休む練習をしていこうと思います。

そしていつか、夢を追って努力している人たちをささやかながら応援できるくらいまで回復出来たら、私は良くなった、と言えるような気がしています。今はまだ自分のことで精いっぱいで、余裕はありませんが、少しでもなりたい自分に近づかればと願っています。

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