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1982年「ハイティーン・ブギ」


公開 1982年
監督 舛田利雄
公開当時 近藤真彦(18歳) 武田久美子(15歳)


私がティーンだった1980年代、男性アイドルの頂点に君臨していたのは、マッチこと近藤真彦と、トシちゃんこと田原俊彦で、当時の女子はマッチ派とトシちゃん派とで完全に二極化していました。

ワイルドでやんちゃなマッチと、可愛くて王子様的なトシちゃんはバラエティや歌番組などでも常にライバルであり、ガチガチのトシちゃん派だった私は彼らの新曲が出る度、どちらの曲が上位にランクインするか、「ザ・ベストテン」や「ザ・トップテン」を食い入るように見たものです。

ただ、そんな私でもマッチが歌う1982年リリースの松本隆、山下達郎が作詞作曲を手掛けた「ハイティーン・ブギ」は、昭和の歌謡史に残る名曲だと認めざるを得ませんでした。

財閥の御曹司で暴走族のリーダー、藤丸翔と、薄幸だが才色兼備な優等生、宮下桃子。
世間の荒波に揉まれながらも、二人は小さな幸せを求めて愛を育む。
やがて翔はバンドを組み、一躍スターダムへと上り詰める…

気まぐれに高校に現れた翔は、教室にいた桃子に一目惚れする。
桃子は「そのテカテカ頭と、暴走族を辞めたら、付き合ってみてもいいわ」
適当にあしらったつもりが、数日後、翔は
「条件、全部呑んだぜ!」
トレードマークのリーゼントと、暴走族を辞めて桃子の前に現れる。

当時15歳で新人だった武田久美子は言わずもがな、マッチの演技力も「新春スターかくし芸大会」や「ヤンヤン歌うスタジオ」のそれであり、学芸会に毛が生えたほどのレベルだったと言えます。

絶大なマッチ人気に配慮してか、ラブシーンはおろかキスシーンすら無く、当時武田久美子の元にはマッチのファンからと思われるカミソリの入った手紙などが届いたそうです。

劇中で、ミュージシャンとして成功した翔がステージで「ハイティーン・ブギ」を歌うシーン、
「お前が望むなら~♪ ツッパリも辞めていいぜ~♪」
リーゼントを撫でる仕草を模した振付も、マッチファンを痺れさせたものです。

疾走感があり、ほとばしる若さのエネルギーに溢れた名曲で、本作は完全にこの曲のプロモーションビデオと言っても過言では無いかもしれません。

「ハイティーン・ブギ」のB面「MOMOKO」も、甘く切ない名曲で、ラストのステージから「桃子~!!」と叫ぶシーンはこの映画の最大のクライマックスと言えます。

ワルだけど純粋な翔と、マッチのイメージが程よく重なり、1982年映画ランキングで「ET」に継ぐ2位を記録しており、興行収入的にも完全にジャニーズの戦略の勝利と言えますね。

原作はプチコミックに連載された牧野和子作の漫画で、ヒロイン桃子は叔母に虐待をうけたり、暴走族にレイプされ妊娠、キモい義兄にセクハラを受けたりととにかく可哀そうで、その他にも、翔の許嫁さおりが乱交パーティをしたりとエロい描写も満載、少女向け漫画としてはかなり際どい内容だった印象です。
映画ではドロドロした部分は排除され、爽やかな青春映画の仕上がりになっています。

1980年代は松田聖子の「プルメリアの伝説」や南野陽子の「はいからさんが通る」など、アイドル映画の全盛期だったと言えます。
一部のファンだけに留まらず、彼らの歌う主題歌と主演映画はエンターテイメントのど真ん中に位置し、社会現象の域に達していました。

車の中で「昭和歌謡全集」を聞いていた時、今更ながらマッチの歌唱力のつたなさに驚かされました。
当時はマッチの神々しいビジュアルに目を奪われ、歌唱力などは気にも止めていませんでしたが、改めて聞くと高校生のカラオケレベルかもしれません。

マッチも還暦を迎え、補聴器のCMに出演するようになり、時の流れを感じてしまいますが、今でもストイックに若い時と変わらぬ体形を維持していることには感服してしまいます。
トシちゃんも、いいオヤジになりましたね。

令和の若者にも、推しと共に老いる幸せを味わってほしいものです。

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