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イメクラ高校?
※話がすさまじくズレております
女子生徒の真ん中に座り、手を握っているのはこの高校の校長。
そして、後ろの男子生徒は黒服に見えてならない。
正直、ここの高校は昔から評判がよくないと聞いていた。
同じ市ではないから、違うかもしれないけれど。
実は私の継母(主たる児童虐待者)はここの高校の出である。
なるほどね~だからあんななんだ。
一方、実母はこの地方で一番レベルが高い(らしい)高校出。
継母は、学歴ではなく「学力」コンプレックスがある。
私をありもしないことで何時間も怒鳴り散らしていた頃、
私は小学生時代から顔だけ「ごめんなさい」の顔をして
頭の中では全然違うことを考えていた。
精神科医にそのことを言うと
「あなたはよく解離性同一性障害(いわゆる多重人格)にならなかったね」
と言われた。
私は勉強で苦労したことはないのだが、怠け者なので宿題したくないときは
「忘れましたー」と平気で言っていた(本当は忘れていない、やりたくないだけ)
そういう継娘が小中高からバンバン100点、高校では成績上位一覧に載る成績を取ってくる。
きっと悔しかったんだろうと思う。
「自分はキャバクラ高校の特待だった」
小学生でもわかる、この学校で特待取ったって(スポーツではない)
何の得があるんだろう?って。
結局一般入試で入ったのであって、嘘だったんだが。
私は頭はよくないけれど、成績はよかった。
小学校時代から授業が退屈で退屈で。
「先生・・・もうわかったから何度も説明しないでー」
あくびこらえるのがつらかった。
要領がよかったのかな、だから成績もよかったのだろう。
私の小1からのモットーは
「勉強は学校で覚えて帰る」
塾?家に帰ってまで勉強したくないし・・・
学校では勉強させられるから、それで十分。
予習復習なにそれ美味しいの?が小中高まで続いた。
私は性的虐待以外コンプリート。
でも一番つらかったのは心理的虐待だ。
家で口を利いてはいけない、小学生時代から
問題を起こしたことないのに
夜中の2時3時まで怒鳴り散らされたものだ。
高校では状況証拠しかないが、一服盛られたこともある。
話戻って小学生が夜中の2時3時まで起こされて怒鳴り散らされていたら
翌朝はフラフラ。
でも不思議なことに専業主婦の継母は家族の中で一番早く起きるのだが
お肌ピッカピカだった。
小学生だった私はフラフラで眠さをこらえて登校していたのに。
つまり、八つ当たり、生贄、サンドバッグだったのだろう。
私は親という人から何も教えてもらえなかったので
高校受験の時、何も相談に乗ってくれるなどなかった。
田舎だから公立絶対優位。
そしてたまたま私も行くなら公立がいいな、と思っていた。
親という人達は「アンタに金かけたくないから公立しか認めない!!」
当時の担任との二者面でも
「お前は男子校以外どこでも受かる」
そうなんだー
だったら呑気にしてていっかー、と高校受験の勉強もしていない。
でもさすがに12月や1月になると志望校を決めなければならない。
「公立高校一覧表」をもらってきて
「どこにしよう」と1人で考えた。
一番偏差値がいい高校は勉強勉強で面白くなさそう。
三番目は女子の夏の制服が長袖!暑がりの私には無理!
で、二番手の変な名前の高校があることに気が付いた。
この高校については何も知らなかったけれど
入学(合格)して進学校だったと知りびっくりした。
そして高1の時、男女の複数の生徒が
「羽目外して遊びたい。でも親は自分を信頼してるから
やりすぎると親が悲しむからブレーキがきく」
同じ内容のことを言っていて、心の底から驚いた。
私は小中高と学校で問題を起こしたことはないし
いじめたこともいじめられたこともない。
授業だけですいすいついていける。塾や家庭教師は不要。
(というか勉強は嫌いだった)
それでも何か学校で問題が起きると
「アンタが悪いんだろうが!」と継母の雷が落ちる。
それ誤解・・・と言おうものなら怒鳴り散らす時間が
長引くから、怒鳴りたいだけ怒鳴らせていた。
実父?見て見ぬふりですよ。
私は実父も継母と同罪だと思っている。
高校に入ってからもなぜか成績上位だった。
偏差値70ぐらいだったのかな?高校。
弁当作ってもらえない、小遣いなど一度ももらったことない。
だけれども、虐待の家に帰りたくないから繁華街をフラフラして
帰る時間を延ばしたりしていた。
成績は上のほうだったが、とにかく早く自立したかった、
あの家から逃げたかった。
ただ、進学校には求人が来ない。
進路指導室に行っても就職希望の情報を教員は持っていない。
ということで1人で就職先を探して高卒で社会人となった。
話がそれるが、私には異母弟(継母の実子)がいるのだが
彼が高校受験の時期になるとしきりに継母が言っていた。
「あの人間(私)より上の学校に行きなさい」
上下が偏差値だとすると、私の出身校より上の高校って
ひとつしか・・・ない・・・
そして無事県で一番手の高校に合格した異母弟は
「勉強ができない人間には生きる資格がない」と言ってのけた。
(やまゆり園の事件を思い出してゾッとした)
あの・・・
あなたが勉強でつまずいた時、親という人達から
「勉強を教えろ!」と言われていたのは、私なのですけども。
英単語が読めないのにはびっくりした。
こいつ、留年するんでない?とか思ったり(マジで)
でもどうやって言葉がわからなくて長文問題を解くのだろう。
謎。
話があっちこっち行くが(頭がよくない人はこうなる、たとえ成績がよくても)一番手の高校に進んだ異母弟は別のメス(私)の子より
上の高校に行かせたい継母、私には大学進学を許さなかったくせに
※世間体のために国立大を受けさせられた、落ちると思ったんでしょうよ
異母弟は・・・浪人・・・
いい予備校に通わせ、私立大に行かせる始末。
でも私は継母のことについてはネタにできるのでもう何とも思っていない。
愛情の反対は無関心って本当。
ただ、実の娘がボコボコにやられているのを見ていながら
見ないふりをしていた実父については今でも腹が立つ。
私は仕事は好きだった。
職場環境もよかったし、同僚からもよくしてもらった。
(ただし薄給・・・)
激甚災害の対応もやった、二十歳ぐらいの頃。
心配の電話など一度もなし。
当時は若かったので情けなさに涙した。
被災地の状況は毎日のようにテレビで報道されていたというのに。
そこに実の娘がいたというのに。
コロナ前に伯父の葬儀があったのだが
継母は今でも、ものすごい目で睨みつけてくる。
いとこたちが「ちょっとお茶でも飲もう?」と
言ってくれたのだが、実父は
「早く帰れ、早く帰れ」
私はいとこたちと伯父の思い出話したかった。
何もわかっちゃいない。
今でも親という人達は私をのけ者にしている。
そしてとうとう私は精神疾患を発症、休職を経て
傷病退職となってしまった。
精神障害者福祉手帳や障害年金が取れるのでは?と
思って自分ひとりで手続きをした。
おかあさん(実母)あなたが幼児の私を遺して
旅立ってからロクなことなかったよ。
あとどのぐらい生きていかねばならないのだろう。
働くことはドクターストップがかかっている。
なんせ障害者手帳は1級・・・
ネットでも私は精神障害1級という人を見たことがない。
ひとりでは何もできない。
きっと私を育てたかったであろう実母のことを思い
どんなに苦しくても寿命まで生きる。
それだけで息をしている。
・・・でも限界まで追い詰められ未遂もしてしまったけれども・・・
本当につらい。
そして何もかもひとりでやってきたので、他人にSOSを出すことが
難しい、どうしていいのかわからない。
おかあさん、早く迎えに来て・・・