あれは高校時代の地学の授業でのこと。 玄武岩だの安山岩だの砂岩だの石が出て来ますね。 で、その石がどうやってそうなったのか(火山岩とか堆積岩とか) ※間違いやすい凝灰岩~これ、火山灰か何かが堆積してできたので堆積岩扱いだったはず そういうどこにでもあるどうでもいい石が好きだった。 学校から帰る時ずーっと石蹴りしながら帰るとか(小学生時代) そういう子どもが高校生になり(選択してないのに)地学の授業を受けさせられることになり。 地学準備室に4人ほど呼ばれて、石のサンプルが箱に
昔の話だから、町にいる男女をお見合いで結婚させていた頃なんだろうか。 叔母はわりと早く結婚したようだ。私より年上の従兄もいるし。 そこで、叔母は三軒ほど先で商売をしている家の子に目を付けた。 「うちの兄貴(私の父)と会ってみない?」 てなことで私が生まれてしまった。 父親も母親も無口で、無口同士がよかったのかもしれない。 ところがとんでもないモノを産んでしまった親。。 年少なのに年長と遊ぼうとする、拒否られると理由を聞こうとふんばる。 (そんな時は泣いとけばいいものを・・・)
「生きるためのリスカ」という言葉を聞いたことがある。 しかし私は血が怖いので、リスカはしたことがない、というかできない。 なぜなら血が怖いから(子どもか?) なぜリスカのことを書こうかと思ったかと言うと 警察官が「絶対そんなことしたらダメだ!」と強い口調で言う場面に出くわしたから。 私にも自傷癖がある。血が怖いので刃物は登場しない。 ODだ。 生きていて意識があるのが辛くてたまらない。 少しの間意識を飛ばして眠れば多少リセットできてなんとか生きていける。 そういう感じかな?
一応「進学校」とされた学校を出たものの、そういう学校には求人が来ない。 進路指導室に行っても、就職希望と言うと追い返される。 だが、どうしても私はあの家で過ごすのは無理だった、自立したかった。 就職して自分のお給料で1人で暮らす、小1からの夢だった。 叶えたかった。 しかし、情報がない。 当時はネットもなかったし、どうしようもなく。。 そんな時、1つの就職先を見つけた。 これがまた、大学受験より難しいシロモノだった。 (親の意向で地元国立大受験→合格→蹴って就職) さて。 元
私は父の再婚相手から苛烈な虐待を受けて育った。 でも、でもである。 後妻の子(異母弟妹)と同じ食事を食べさせてくれた。 お風呂はしまい風呂で、当時追いだき機能などなかったし 私が入る時はふくらはぎぐらいまでしかお湯がなかった、しかも冷めてる。 けど。 昔々のことだから、高校の学費は払いに行ってくれたし 制服も買ってくれた。 私は自分の衣類等は自分で洗濯せねばならなかったが 洗剤は継母が買ってきたものを使っても良かった。 (異母弟妹の衣類等は全部継母が洗う) 18で家を飛び出
虐待の家で育ち、とりあえず高卒まで頑張って、それから就職して 自立しようと思って頑張った。 初めて1人で眠れた日のうれしさは何十年経っても忘れない。 もう、怯えなくていい 正直前職は国立大受験より難しかったが、なんとか受かった。 (間違って進学校に入学したので、親から大学受験を強要された。 世間体のため) なので私は国立大法学部受験経験がある(合格) でも、そんなことよりとにかく家から逃げたかった。 逃げて、給料は安いが安定した職に就けたので 一生ひっそりと1人で生きて
私はいわゆる「進学校」という高校を卒業している。 だが、虐待の家などに居続けるつもりはなかった。 親から援助を受けるつもりもなかった。 1人で就職先を探し(進学校には求人など来ない) 採用試験に受かり、採用する旨の通知をいただいた。 それも、家から絶対に通えない場所にある事業所を狙った。 親という人達はとにかく「世間体」を気にする人たちなので 同じ町の会社に勤めながら1人暮らしなどということは 「世間体が悪い」と許してくれないだろうな、と思ったから。 もう採用通知はもらって
あの頃は個人がそれぞれ素材屋さんを利用して個性を出して 自分のHP作ってたっけ。 ジャンルは色々。 その中でも私はいわゆるメンタル系というのかな? うつ病やパニック障害に悩んでる(多分)女性が管理人をされている ところに入り浸っていた。 私よりお姉さんの管理人さんが 「引き返す勇気を持つことも大切」と書かれていたことが今でも 心に残っている。 つまり、パニック発作が出そうになったら途中で引き返せ、ってこと。 無理して目的地に行って発作が出たりすると、あの発作って 身体的な違和
熊本市の慈恵病院(産婦人科、かな?)に設けられた「こうのとりのゆりかご」 自らそこに預けられたことを発表した青年がおられる。 ドキュメンタリーで、彼がまだ小さい頃の写真を見た。 お父さん(養父、かな)に肩車されて、いたずらそうな顔してとってもかわいい。 本当にこの青年は引き取られたお父さん、お母さんにすごく愛されて育ったんだなと「私は」わかる。 なぜなら。 私の母は私が4歳の時病死している。 そして数年後父親が再婚し、トンデモナイ女が継母となった。 彼女から虐待を受け続けるこ
私は精神障害者2級だった。 双極Ⅱ型が主な診断。 ただ、口頭でカルテには書いてないかもしれないが 「あなたはPTSDだね」と言われたことがある。 何のトラウマかというと幼少期からの虐待。 でも学校では隠していて「おりこうさん」のフリしてた。 精神保健福祉障害者手帳、障害年金は窓口は違うけれど 定期的に更新しなければならない。 そこで更新の時期に手続きをしたら 障害1級になってしまった。 おまけに心身重度障害者までついてきた。 元職からして言える立場でもないし、 どうしてそ
いつもいつも希死念慮さんがそばにくっついているけれど。 既遂は無理とわかっていて未遂したこともあるけれど。 幼い私を母は自分で育てたかったと思う。 彼女は最後に私の名を呼んで別れを告げた。 幼すぎた時なので間違ってるかも?と伯母(母の姉)に 「お母さん、最期にこう言ったよね?」と確かめてみたら 「そう、最期にそう言ったよ」 合ってた。 母は病気だった、死にたくて死んだのではない。 一方私は父がトンデモナイ女と再婚したのもあり 虐待の日々、高校まで我慢してさっと就職して 絶
まだ夏ではないのにヒマワリの画像貼っているのは、わかる人にはわかる。 でも、たいした意味ないのでスルーしてくださいな。 私は小学校に入ってから授業が大嫌いで、退屈でたまらなかった。 で、テストがある、となると「やった!」と喜ぶ変態児童だった。 テストって1問から10問まであるとして、1問から解いてもいいけど 10問から答えをうめていってもいい、最終的に全部解ければいいから マイペースでできる。だからうれしかった。 でも、同級生たちは「テスト」というと皆嫌がる。 不思議に思い
継母から怒鳴られた、というのは日常茶飯事だったのだが 何と言われたのかわからないけれど・・・ その言葉を浴びた時、視界がモノクロになって、身体が動かなくなった。 映画やドラマの話かと思っていたけれど、自分の身に起きて 視界が元に戻った時本当に驚いた。 ※モノクロの時は考える・感じることができなかった気がする 背中側から怒鳴られたような気がする。 本当に背中に槍が刺さったような痛みもあった。 (実際に槍とか刺されたことないし槍見たことないけど) このことは私が高校生ぐらいの
私は昔からあるあるですが、継子いじめをしこたまやられました。 実母は幼少期に病死しており、実父はサラリーマン。 ソッコーで見合いして適当な女と結婚したのですが、この女が まあ気性が激しいのなんの。 そして彼女は実父との間に一子をもうけましたが、 先妻の子(私)より自分の子が上でないとどうしてもいやみたい。 とはいえ。 当時偏差値70の高校に通っていたにも関わらず勉強嫌いで モットーは「勉強は学校で覚えて帰る」 だって家に帰ってまで勉強したくないじゃないですか。 なのに当時高学
同級生で東大に行き、3月で某省庁を辞めた人間がいます。 そろそろ定年も近いくせに何やってんの?と思っていたら なーんと某選挙に立候補するらしい。 いや、いい人なんですよ。 でも、確か1年か2年か同じクラスになった者としては あいつが政治家になぞなった日には日本は目も当てられないということが 容易に想像できます。 私は1人での外出は難しいですが、必ず、補選でも投票するようにしています。 私が持っているのは一票ですが、棄権したらあいつを支持していると思われても仕方ない。 選挙はも
私は無党派で、選挙の度にどの立候補者・どの政党に入れるか調べて 自分の考えに一番近い人を選ぶようにしています。 誰もいなかったときは消去法。 この人には入れたくない、から消して行って最後に残った人に入れる。 さて。 国会ではたまに(たまにじゃないかもしれないが)ヤジが飛ぶことあるようですね。 日本にはいくつか政党がありますが、自公政権、つまり与党は自民党と 公明党でいいのかな?(アホなのでよくわかってない) 私は創価学会の信者ではないので公明党は最初から除外。 で、もし自民党